それが夢や想像と言われるのなら、
そういう世界のものなのかもしれない。


でも、私は実際にこう感じてしまったのだ。
彼といる時間は、全部パーツの揃った私でいられると。
静かで落ち着いた私の場所から、
心の中までも共有しているような感覚で。


お互いにそうだと決め込んでいたことが、

勘違いや想像の世界のことだと言わせてしまうんだと思う。
でも同時に、

お互いに同じように心が流れていないとあることのない思いが共有だと
頑なに譲らない私がいることは事実でもある。


少なくとも言えることは、

彼は心の中まで覗かれることを望んではいなかったということ。
見える弱い部分を補い合うつもりはなかったということ。





別れの言葉の代わりに、彼はいくつかの助言をくれた。
具体的に、箇条書きにでもできるような簡潔さで。
まるで、彼がいなくても私の望む私として振舞えるようにと、

それが心をあげられない代わりの品物でもあるかのように。


そして今の私は、無意識だとしてもそう振舞えない度に

何度となく彼を失ったような気持ちになる。

無邪気さ、純真さ、と言ってしまうと

その直接的な響きから意味が違って聞こえてしまいそうな気がする。


イノセンス、その世界に一度隙間が作られてしまっては、

私は失う方向にしか向かうことができない。

おそらく私自身を失っていく作業。


たとえ人々が失われないほうがいい部分だと

柔らかい言葉で意見したとしても、

また自分でもその世界があるからこそ

知らずのうちに人々からの心からの思いを受け取れていたのだとしても、

そこには望んでも留まっていることはできない。


その世界が自分によって作られ温められてきたものであって、

生きた人々にさらされた現実の世界ではないと気がついてしまったからだ。


大人になったと人々は言う。

けれど、

流れ出すように中身が減らされていってしまっても残る世界観の枠を抱えて、

その新たな扱い方を考えたときに、

私は一人静かで強烈な孤独の一点の中に心を浸してしまう。