前の記事は5月に書いた。
今は8月。
心境も状況も、外見も中身も
なんとなく変わっている。
少なくとも5月に書いたようなことを
同じようにはもう書かないだろう。
以前の私なら
その変化を前と比べて好いか悪いかといった
基準で考え、悩むか喜ぶかしただろうけど
今はそんな風に考えない。
今は、何も望んでいない。
何も好きではないし
何も憎んでもいない。
こんなに何もかも どうでもいい と
人間は断ずることができるのか。
そこに驚く。
「絶望」という言葉を使うと
安易だと笑う人はいるだろう。
しかし何も欲しくない今は、
一番絶望的な状況だと感じる。
この世には
善悪なんてないのではないか?
本当に楽しいこと、素晴らしいことなんて
実はないのではないか?
といった疑問が
今は確信となっている。
少なくとも私は物事を
善悪で考えたくない。
道徳的なおしつけも嫌だ。
自分の意見を言いたくない。
人の意見も聴きたくない。
お互いにほとんどの意見は独善的だからだ。
じゃあどういう風に
考えていけばいいのか
選んでいけばいいのか
それが見つからなくて
恐怖を感じる。
過去のことを最近思い出すが
それを思い出すと悲しくなるので
できるだけほおっておくことにしている。
すがりつきたくないし
背負いたくないものだ。
思い出話も楽しいものではない。
自分が覚えていないことなら面白いが。
私は人と別れるのが苦手だ。
そこが欠点である。
飽き性だとか、面倒くさがり屋だとか
そういうのは欠点ではない。
それは、そういう人間なだけということだが
別れが下手くそな人間は
相手を必ず傷つけるから良くない。
(気付かないが、自分も傷つけているのだ)
うんざりし尽くす前に、
もっと手を打てばよいのだし、
最後まで誠意をもって見届けることが
大切だ。
そんなことを思う
暑い日である。