氾濫、決壊
豪雨災害に被災の方には心よりお見舞い申し上げます。
これまで先人たちは川の氾濫を防ぐ治水に、被害の大きくなる大河川から取り組んだのでしょう。
そのような大きな川に注ぎ込む支流は、大雨の時に、その合流地点で本川の水流によってせき止められる、という事が起きるようです。
すると支流で洪水になるため、次にはその合流地点から支流の上流へ向けて堤防工事が行われ、今回の鬼怒川の決壊地点も、そこから下流の工事が済み、次にはそこをやろうとしていた矢先でした。
その工事の前に、”鬼が怒った” と思えます。
昔の人は、”この川は暴れ川だ” と伝えようとして名前を付けたのでしょう、その教訓を受け取る謙虚さが私達には不足していました。
宮城県の川の決壊地点を見れば、支流のさらに支流、第二支流で起きたようで、水は、川の弱い所を見つけて溢れるのだと分かります。
つまり、もし鬼怒川のその場所の工事ができていたとしても、「鬼」 は、必ず弱い所を見つけて怒り、壊します。
もし上流から下流まで鬼怒川の工事が完了すれば、次にはその支流、そこが終わればまたその支流、というようにキリがありません。
さて、道路は、できたばかりの時はスムーズに車は流れますが、やがて通行車両が増えて渋滞するようになるのですけれども、そのネックになるのはやはり道と道の合流地点です。
そうして改良すると言う事になり、終わりなく工事は続けられますが、川も同じで眼には見えずとも道路のように合流地点がネックとなってせき止められ、水が溢れます。
道路の渋滞が起きるように、川の水も合流地点で止められるという事さえ知っていれば、溢れる、決壊する、という事は誰にでも理解できますので、合流地点でせき止められている、これを知ることが重要に思えます。
このように合流地点は非常に重要なのですが、川と川が合う、川合いに昔の人は神を祀る社を建て、なかでもマンションの建設が問題になっている下鴨神社は有名です。
コンクリートという工事だけで解決できると考えるのでなく、鬼が怒る、川合いを重視する、そういう昔からの知恵を受け継ぐ必要がありそうです。