富士山噴火の危険性 | xyavのくしゃくしゃブログ

富士山噴火の危険性

日本一美しい富士山は これまで100~200年の周期で噴火を繰り返してきた活火山である。


ところが 現在はここまで300年も噴火していない。


そろそろ 危ないのである。


富士山は2000年ごろから火山性微動地震が頻発するようになっており、防災体制を整えるべき時期に来ている。


もし噴火すれば この美しい稜線が崩れる可能性もあり、現在の姿は今だけのモノかもしれない。


報道でも 40万人が被災すると伝えられている。


過去の噴火でも大きな被害が出ており 富士山は日本一高く美しいが、日本一危険でもある。


このような変化の激しさは 日本の無常感が生まれた隠れた要因の一つだろうが、それにしても 過去の繰り返された噴火と言う災禍は、もっと伝わって良い筈なのに 伝えられていない。


富士山だけではない。


例えば原発事故もあれほどの被害が出ているのに 直ぐに再稼働している。


中国人の尖閣上陸や 様々に繰り返されているのに、教訓となっていない事は枚挙に暇がない。


ではなぜ教訓として伝わらないのか。


それは それを言葉で表現すれば、再度それを呼び起こすからだ。


富士山が噴火し大きな被害が出た後 人々は懸命にその災禍から再起し、


   「二度と同じ事は起きて欲しくない」


と強く感じる。


すると 同じ事を ”起こさない” ために、 ”起きない” ためではなく、起こさない為に あえてこの災禍を言葉にしないのだ。


「富士山は再度噴火するから これに備えて万全の対策を取ろう」


と主張すれば 縁起でもない事を言うな、これほどの被害が出たのだから 暫くは起きない、と言い返される。


ロシアが危険だ、米国が危ない、と言えば 恐露病だ、恐米病だ、と言って 口を封じられるのである。


噴火も戦争相手国も 言葉にして恐れる事を厳しく咎められてしまう。


また逆に、二度と同じ過ちは繰り返しません、戦争は放棄します、と誓えば 今度は、 戦争は ”起こさない” 、起きないのではなく、言葉によって起こさない、と決める事ができると考えてしまう。


相手が攻めてくる、という外部要因すら、放棄する、という自分の言葉によって回避できると信じている。


首相が二度と起きませんと断言すれば 再稼働しても良い国なのだ。


いやしかし 噴火や戦争、原発事故や中国人の上陸を想定し法律や体制を整えよ、と主張すれば 皆が努力しているのに水を指すような事を言うな、との空気で村八分にされる。


言葉によって発生を食い止める、と言う態度は 過去の歴史に学んでいるのでは断じてない。


これは 過去に学んでいない態度なのである。


同じ過ちを繰り返してしまう態度なのである。


噴火を想定しない、平和を誓えば平和になると言う態度は 恐露病、恐米病と言って口を封じたのと、同じ態度なのである。


この事に日本はまだ気付いてないから、歴史に学んでないと断言できる。


これまで繰り返されてきたから そろそろ危ないのだ。


噴火したり 相手が攻めてきたら危ないから備えよ、と発言した時 私達はどのように反応するだろうか。


お前はそれを望んでいるのか、相手側の肩を持つのか、スパイか 売国奴か、と攻める。


自国を売っている、と考えてしまう。


そうではないのに そう思ってしまうという、危険な考え方を持っているのが私達である。


次の戦争に備えよ、と発言すれば 軍国主義者なのか、平和実現のための主張ではないか、次の噴火に備える事と同じではないのか。


噴火を止める事ができない事と、相手からの攻撃を止める事ができない事は 同じだ。


戦前と同じ過ちを繰り返さない為に 歴史に学ぶ姿勢が必要だと考える。