忠臣蔵と明治維新 | xyavのくしゃくしゃブログ

忠臣蔵と明治維新

1701年 江戸城内 松の廊下で刃傷沙汰があり、加害者の赤穂藩主 浅野長矩が即刻切腹となった。


被害者の吉良義央はお咎めなしであったため、これを不服とした赤穂浪士が討ち入りをし やはり切腹となった。


江戸城内での刃傷沙汰は将軍の権威を貶めたのであるから、浅野長矩の切腹は当然である。


そして討ち入りはこれを不服としたのであるから これも将軍の顔に泥を塗る行為と言えるのに、さらには彼らを義士と認め 処刑ではなく切腹させてしまった。


将軍の権威を守るためなら 彼らを切腹ではなく処刑すべきであった。


幕府が守るべきは将軍への忠義でなければならなかったが、この忠臣蔵に於いて 将軍ではなく 主君への忠義が認められ、これが正義とされた。


将軍は 征夷大将軍であり、夷狄を成敗する総司令官であったはずが 忠臣蔵での失政が尊王運動の伏線となった。