喜望峰から半年掛かったペリー
1860年 勝海舟が咸臨丸で米国に渡った時、荒天による船酔いに苦しんだが 勿論太平洋を横断し、それは約37日の航海だった。
その7年前 1853年に黒船でペリーが来たときは、太平洋を横断せず 6ヶ月も掛かって大西洋から喜望峰を回ってきた。
この軍事行動は秘密裡に行われたのではなく 当時の幕府は日本に向かっている事をオランダを通じて知っていた。
勝海舟のように太平洋から直接来れば 荒天でも37日の所を、ペリーはなぜ半年も掛けて喜望峰から来たのか。
これこそが米国が日本に開国を求めた最大の理由である。
欧州各国は 極東には当然喜望峰からインド洋を渡ってくるが、米国だけは太平洋から来れば非常に便利である。
欧州と違い米国は大西洋だけでなく 太平洋にも面しているのだ。
ところがアジアの制海権は英国が握っており、米国には補給地がなかったために 泣く泣く大回りしていたから、日本が開港してくれる事を強く望んでいた。
ペリーの来航によって 日本中が大騒ぎとなり、時代は明治維新へと突き進んで行くこととなったが その端緒の黒船の出現は、このように全く突然の事ではなかった。
米国の民間船 モリソン号事件もあり、そしてアヘン戦争によって超大国の清が準植民地化していく様子を知っていたから、日本にとっても欧米が接触してくる事は時間の問題であった。
そして実際にペリーが半年前に 日本へ向け米国を出航した事も知っていたのだ。
ではなぜこの大騒ぎを起こした黒船の出現が 「突然」 ということになったのか、次回。