弥生時代 | xyavのくしゃくしゃブログ

弥生時代

3000年前の紀元前10Cごろから 1800年前の3世紀までの約1200年間は 弥生時代である。


期間の長さは縄文時代の10分の一となり、この次は大規模国家運営の証拠である大型古墳の時代へと続いて行く。


最も古い弥生式土器は水田稲作より300年ほど前から作られるようになっていたが、弥生時代の特徴は何と言っても食糧増産による身分格差の発生である。


このため 弥生土器の出現でなく、水田稲作の始まりが新時代の幕開けとなっており、そして 日本国の建国は今から約2000年以上前と推定され、この弥生時代での出来事である。


福岡市板付遺跡からは縄文と弥生の両方の土器が発掘されて両時代の連続性が証明され、また縄文遺跡から出土する人骨は 現在の日本人との共通性が指摘されている。


ライバルと言う言葉はリバーと同じ語源をもつと言われ、弥生時代には水を巡る争いが日本でも激しくなっていた。


弥生時代の代表的遺跡は佐賀県吉野ヶ里遺跡で、濠や柵を巡らせた環濠集落が特徴である。


吉野ケ里遺跡には2.5kmに亘って三重の濠が巡らせてあり 濠は深さ4mの急斜面で 軍事要塞都市である。


この濠の外には大規模な集落があり 吉野ヶ里遺跡は周辺の複数の集落を束ねる存在であったと推測される。


この時代はまた金属器の使用も始まり 激しい戦争の痕跡も数多く見られるようになっている。


弥生時代の前の縄文時代と 後の古墳時代は戦争の無い平和な社会であるが、弥生時代は戦争の時代であってこの時期に日本は建国されており、祖先は産みの苦しみを味わったと言える。