関東大震災での虐殺 | xyavのくしゃくしゃブログ

関東大震災での虐殺

関東大震災では東京の街に救援を待つ被災者が溢れ 治安に不安を持った当局は戒厳令を発した。


今回の原発事故でパニックを恐れた政府は情報操作を行ったと言われたが、大正の時代では情報伝達の手段すら十分でなかった。


この状況で発生したのが朝鮮人に対する大虐殺である。


流言飛語の発生源は不明だが、朝鮮人が襲来すると言うデマは警察によって広められ 地元自警団によって次々と無辜の人が殺された。
  

被害者には中国人や日本人も含まれ、翌日内務大臣となった後藤新平は警視総監を更迭して、再び警察によって虐殺の禁止が伝えられた。


このデマの伝達には警察の関与も大きいが、デマは同時多発に発生しており 発生源さえも警察ではないかと言われる。


被災者による暴動が起きれば鎮圧が難しいと考え 意識を逸らし不安と不満の捌け口を与えようとしたのではないか。


当時は遷都の意見も出され その理由は必ず再度東京は地震に襲われるというもので、それくらい繰り返し地震が襲う歴史を有している事を皆当時から知っていた。


東京の防災の備えは十分にしなければならず、必ず災害は起こると考えねばならない。