原発と第五福竜丸事件 | xyavのくしゃくしゃブログ

原発と第五福竜丸事件

1954年3月米国はビキニ環礁で水爆実験を行い 操業中の第五福竜丸は多量の放射能に汚染され無線長は半年後に死亡した。


この時近海で操業し同様に汚染された船は数百隻、被爆者は2万人以上になった。


第五福竜丸は延縄の回収の為数時間に亘って死の灰を浴びたが、米国によって事件隠蔽のため撃沈される事を恐れ、救難信号SOSを発信せずに自力で焼津に帰港した。


米国は事件を矮小化し現在まで 放射線による死亡、を認めていないが無線長の 「犠牲者は私で最後にして欲しい」
との遺言が国内では強い原水爆反対運動を惹き起こした。


戦後まだ間もない時期から早くも核武装に繋がる原発を なぜ米国自ら日本で推進したのか。


その理由の一つに 安全な核、によってこの事件による反米感情を抑えようとしたと言われる。


福島原発1号機は運転40年で建設したのは米国GEだ。


米国は 日本政府による米国への責任追及の放棄、と引き換えに 「見舞金」 として200万ドルを支払ったが、これは当然 賠償金、とはされなかった。


そしてそれとは別にこの時から原発を売り込み 資源小国での安全な核の推進と同時に簡単に掌に乗る同盟国を手中にしてしまった。


事故を契機に日本は独立国としてゼロから本当の安全を自らの手で掴まねばならない。