この感覚。
ようやく忘れかけたのに
再びわたしを襲ってきた。
正体がわからないけども、付き合いは長いね。
もう、10年経つかなあ。
大人になればわかるよ、って
時間が解決してくれる類のものだよ、って
言われたけど、
未だに分からないよ。
もうきっと、わかる、ことはない。
だから、せめて、うまく付き合っていきたいよ。
首吊らないためにね。
いつ振りかわからないくらいお久しぶりな更新です。
さっきおもったこと、10年くらい前から思ってること、なんかを
なんとなく文字にしたくて。
とりとめもなく、かきます。
ひとつめ。
こころの状態って、そのときじぶんが置かれた状況の、
気温とか、天気とか、匂いとか、音とか、体調とか、空気の柔らかさ若しくはかたさとか、周りにいる人とか、
そういうのがいろいろ組み合わさってできあがるもので。
だから、まえと同じような状況にまた出会ったとき、瞬間冷凍させておいた最初の時の経験が一瞬にして溶けて、またじぶんを支配する。
つよくふかく憶えてることって、やっぱりじぶんのなかでは大きなことで印象に残ってることの場合が多い。
おおきなことっていうのは、うれしかった たのしかったももちろんあるけど、どちらかというと、かなしかった くるしかった つらかった ネガティブなことのほうが多い。
これのなにが 得 なんだろう。っていつもおもう。
ふたつめ。
音楽ってだいじだな、っておもう。聞いてた頃の気持ち、すぐによみがえる。
ひつようなときにひつようなおんがくをきく。と、
これでもか、っていうくらいに、こころに届く。
涙がでるし、あすもいきよう、と思える。
みっつめ。
さいきん、受験生だから、センター試験でも二次試験でもつかうから、
生物を勉強してる。
遺伝をやってると、
受験で出てくるのは、1つ~3つの形質について、
表現型の比率とか、組み換え価がいくらか、だとか
そんな問題ばかりでてくるけど、
実際、形質なんて1個体につきいくらあるかわからないくらいの遺伝子があるだろう(よくはしらないけど)。
あれってさ、突然変異でも起こらない限り、劣性の表現型、0にはならないよな、って思って。
劣性だから劣ってる、とか間違った解釈をしてるつもりはないけど、
これだけ遺伝子があれば、ぜんぶ異常がない、なんて、逆にすごいこと、なんだろうな、って。
五体満足で生まれてこれるのは、きっとすごいことなんだな。って、
わたしは、心臓がちょっとおかしかっただけ、なんだな。って、
いろんなことがちっぽけに思えてきた。
まいにちいろんなことがあるけど、
悔いのないように
生きていかねば、と思う。
掴みかけていたようななにかが、わたしから、音もなく離れていった。
どこで見失ってしまったのかもわからない。
いつもいつもそう。ぎゅっと握ってわたしのものにしてしまいたいと願えば願うほど、一瞬の隙、を付かれて、油断して力の抜けているわたしの掌からすべってどこかへ行ってしまう。
そもそも、なにを自分は求めているのか、それすらいまいち掴めていないし、いつから探し始めていて、何回手をすべらせてきたのかも、判然としないけども、感覚としてわかる、感覚でしかわからない、言葉にしがたい何かを、きっとわたしは求めていて。
生きているから、こう感じるのか。
生きているということは、こう感じることなのか。
よくわからなくなってきた。
お風呂でぼけーっとしてると、首を吊りたくなる。
授業を受けているときに、崖から飛び降りたくなる。
手首を見れば、切りたくなるし、
道路を渡るときは、いつだって、轢かれてもいいんだ、って思う。
楽して生きていたいわけじゃないけど、楽しく生きていたい。
そんなことを思う、初夏の日曜日。