2015.12.31
今年が終わる。
自分はどんな所が、どのような人間、出来事によって成長しただろうか。
2015年、私にとってすごくすごく薄っぺらい年だと感じた。
全く成長してないとは言わない。
ただ、その成長した原因一つ一つがすごく”糞”という言葉が一番似合うと感じる出来事だったのだ。
今思えば、知っていてよかったと思える。
ただ当時は知らなくてよかったとすごく思った。
過去2年は留学に行った年、留学から帰ってきた年だったからか、すごく濃く感じた。
多分、留学が自分にとってすごく大きな出来事だったからだ。
今年は、高校を卒業して大学に入学しただけ。
これらが自分にとって最も大きな出来事だったのだ。つまり、これらの出来事は、留学と違って、平成8.9年に生まれてきた同世代の人間ほとんどが経験する事だ。
だからこそ、ものすごく薄っぺらく感じる。
昨日までは、2015年が本当に嫌いで仕方がなかった。
ただ、今日、実際に最後の日になった瞬間、需要のないと感じていた出来事が重なった事で自分への変化が、まるで別人になったかのように変わったのを実感した。
そして2015年の自分が情けない、嫌いな半分、好きにもなった。
好きになった理由は、自ら自分についていた、需要のない(と思う)”皮膚”をとったことだ。
比喩がよくわからなくて理解できないと思うけれど私にはこの”皮膚”という表現がしっくりくる。
その”皮膚”を自らとったことには様々な理由はある。例えば社会をもっと見たいや、視野を広げたい等。ただ、そんな単純な理由とは別に少し違った理由もあった。
人間、様々な人間から評価される事はすごく嬉しいことで誇らしいことだと感じる。
それは正しいと思う。
ただ、それは周りの人間に、自分の”なに”を見られたかの評価による。
私は、私といえば(ブランド化された)ホリスター、(ブランド化された)インスタグラマーが今年起きた様々な出来事により嫌になった。
だから、インスタグラムもホリスターも辞めた。
インスタグラマーと言える立場ではないかもしれない。ただ、フォロワーさんが1000人以上いてその中のたくさんの人に褒めてもらっていたことは事実だ。
単純にすっごく嬉しかったし、大学でも普通よりは知名度の高い人間になれた理由の一つにもなったし、それが自分を好きになる”自信''という理由にも繋がった事は確かだ。フォロワーさんに褒めてもらうのは本当に嬉しかったからアカウントを消す時、みんなからたくさん貰った褒め言葉を一つずつスクショした。そのくらい私にとって幸せを齎す出来事だった。
ホリスターも同様、みんなから褒められ、だからこそ接客する気になったのは確かだ。
だけど、両方とも”佐藤さくら”という人間を9割以上みてから評価をしているわけではない。というより、snsや、ただのバイト先では評価は出来ないからだ。
私の考察だと、本当に魅力溢れる人、誰もが興味を抱くような人は、snsや、なにかブランド化したものに触れている人ではなく、その人の努力が形として、オーラとして外側に溢れ出ているからだと思う。そういった人はやっぱり、表現は変かもしれないが、”安っぽいオーラ”より”価値の高いオーラ”が溢れ出ている気がする。
そして更に彼ら自身からではなく、誰か他の人間が彼らの情報を世間に与えることでその人に興味を抱くようになる。
そして、彼らがやっと彼ら自身の意見を述べた時、それに興味を抱いた人間が賛否両論する。
snsや、ブランド化したものに触れている人間が安っぽいとは言わないし、そうは思わない。ただ、それで満足なのかと問う。
それらに触れていない人間が、まるで触れているかのように良い評価を得られるのは、彼ら自身が凄いからだと思う。
去年の自分と、今の自分は遥かに違う。見事に今年の全ての出来事が私を180度、もしくはそれ以上変えた。
そう思うと自分には2015年という年に需要を感じる。
2016年今年学んだことだけを全てもって、あとは0から始めようと思う。
気持ちを改めて、今まで触れたことのないものにたくさん触れ、また違った環境にも触れ、もっともっと、”来年の自分”が”今年の自分”と比べた時、子供だなと思うくらい成長させる一年にする。
手で剥がせるような、少し無くても大丈夫なような”皮膚”という自分の一部ではなく、手術等大きなことを行わないと、無くては生きていけないような”肉”を身につけた上での自分を評価してもらえるような人間に近づく年にする。
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
