はじめまして、あのね。です。
今日はあの日、歩道橋から飛び降りた日のお話をしようと思います。
今後はその後の入院生活、経過を書いてく予定。
月日はつい先日、9/23の夜中02:00頃
あのね。は歩道橋の上にいました。
理由はいろいろあった、でも一言でまとめればただあの時あの瞬間死にたかった。
だからあのね。はそこから飛びました。
たしか6メートルだったかな?の歩道橋、
はっきり覚えてます。
手すりをこえて手を離した瞬間、一瞬だけ怖かった事。
でも歩道橋から地面までは一瞬で、
よく聞くような「スローモーションに見えた」なんて事はなくて。
すぐに道路に横たわってるあのね。がいました。
でもアレ?意識ある...なんとなく体は痛むけど
強烈な痛みではない...
歩道橋から飛び降りるってこんな軽傷なの??
って思った記憶があります。
でもそれは地獄の始まりでした。
通りがかった車が近くで停まった気配、
降りてきて声をかけられる。
「大丈夫ですか?」
「救急車呼びますか?」
とりあえず痛みは少ないけど体はなんか動かないし、救急車を呼んでもらおうと頷く。
でも何故か警察に電話してる会話がら聞こえてきて。笑
「道に人が倒れてるんですけど...酔っ払ってるのかどうか...」
なんて声が。
酔っ払ってません、この真上にある歩道橋から飛び降りたんだよww
って思いながら声がなかなか出ないからつっこめない。
そしたら2台目の車の音、駆け寄ってくる男性、
「大丈夫?どうしたの?」
遠くから声をかけてきた1人目とは違いすぐ傍まで来てくれたから、小さい声でもなんとか伝えられるかも、と、
「とび....た....ほどう...きょう...とびおりた...」
と途切れ途切れになんとか伝達。
その男性が警察と話してる男性に
大声で「この子歩道橋から飛び降りてる!すぐ救急車呼んで!」と言ったのが聞こえた。
そばまで来てくれた男性が「すぐ救急車来るからね、痛いとこない?」
とかってずっと声掛けてくれてた。
返事はできなかったけどそのおかげで意識はっきりしてたのかな。
で救急車到着、救急隊員の人達に血が流れてないか色んなところ確認されて、傷とか確認されて、
でも外傷がめちゃくちゃ少なかったのね、
というかほぼなかったのね。笑
ここも大丈夫ここも大丈夫って聞こえて
あーやっぱり軽傷なんだって思ったのもつかの間、
いきなりの激痛...背中と腰に発狂するほどの痛み。
あ"ーって叫んだまじで。
どこが痛いのって言われて背中に手当てて、
「折れてるかもしれないね」なんて救急隊員さん達が喋ってて、とりあえず病院に運ばれる事に。
でもここからがほんとの地獄、
まずあのベッドみたいなのに乗せられるとき
体を触られて激痛、持ち上げられて激痛、降ろされて激痛...その度に叫んだ。笑
そして救急車、揺れる揺れる、揺れる度に激痛、
言葉にならない痛みってほんとあれのことをいうんだなって。
で背中と腰だけだった痛みが足にまで出てきてもう最悪。
病院までは多分10分もなかっただろうけど、
その途中からもう意識朦朧...
痛い痛い叫びながら気づいたら病院で、
気づいたらママとパパいて、
レントゲンとか撮ったらしいけどその記憶は無い。
でもたぶんそのレントゲン撮る時とか体持ち上げられたりする度に激痛が激痛を呼び、痛すぎて失神するんじゃないかってくらい痛かったのは覚えてる。
で結果どうだったかっていうと、
踵がばらばらになった状態(両足)の踵骨骨折、それから背骨三本圧迫骨折、そして、骨盤までも骨折。
ママとパパにあとから聞いた話、
脊椎損傷で一生車椅子生活になるかもしれないと言われたらしい。
でもまず手術が難しすぎて、最新医療の整った病院じゃないと手術はできないってことで、そこの病院での手術は不可能だと。
一番近くて救急車で30分くらいの場所にある病院に搬送されることに。
もうここからなんてほぼ記憶ないんだけど
救急車また乗って、ママの付き添いで、パパは車で。
救急車揺れる度に泣き叫んでて見てられなかったってママが言ってた。
それから最初の病院の整形の先生が救急車に同乗してくれてたらしくて、
「足の指動かして!」とかって声掛けてたみたいなんだけど、まぁこっち意識朦朧で痛いしかないから動かせなくて、
だからそれが神経やられて動かないのか痛くて動かないだけなのか分からないって言われたらしくて、
ママの頭の中にはもう車椅子生活って言葉が離れなかったみたい。
病院着いてレントゲンとかCTとか撮って、
そしたら手術の説明の時に先生が説明してるこの間にもう早くとにかく早く手術しなきゃいけないって感じだったらしくて、
早々に手術室へ。
輸血しながらの6時間かけて背中の手術、その後3時間かけてかかとの手術。
合計9時間に及ぶ手術...
無事終了。
先生曰く障害は残らない、と。
その日は全身麻酔でぼーっとしながら終了。
意識がはっきりしたのは翌日の午後。
その話はまた次回。