◆関東の方に尋ねても… 「恵比寿?」山の手線だよ… なんだぁ~ビールだっけ…
なんともピントが違う答えが返ってきましたよぉ。(笑)
そう!「戎」⇒「えべっさん」でんがな。
で、大阪中心部じゃ、やっぱ「今宮戎」なんですねぇ。
「残り福」と言われる11日、ひょっこり参拝してきましたよぉ。
このド派手な縁起物出店は「えべっさん」ならではのものでしょ。※境内正面前にて。
さぁ~ 聞こえてきましたよぉ~ あのリズム、あの歌声。
♪商売繁盛で笹もって来い~~しょーばい繁盛でササもってこい~♪
◆3千人近くの応募者から選ばれた今年の「福むすめ」 国際色も豊かですねぇ。50名中の10名は留学生だとか。
ちなみに、境内で配られる「福笹」は無料なんですよぉ^^
「初々しい美しさ」とでも言うのでしょうか。輝いてました。
※某(`⊥´) しん氏も同日、時間違いで参拝されていた様子。
<ファインダー目線が同じなんですよねぇ。(爆)>
「知る人ぞ知る」本殿裏。
皆さん丁寧に合掌もさることながら、「えべっさん!来たでぇ~」と、壁板をどんどん平手で叩かれて行くんです。
すると、中から(えべっさんの)笑い声がぁ!<まぁ~笑い袋のような自動仕掛けですが>
※話によると、えべっさんは耳が遠いらしく、裏から近づいて大きな音でアピールしないと聞こえないとのこと。
これも、まぁ~大阪らしい「洒落」ですわなぁ。
「福笹」だけ手にしても意味なし。やっぱ縁起物つけてもらわなねー。この縁起物を「吉兆」って呼ぶんですって。
「吉兆」の数々。1点壱千五百円也。。。たわわにつけたら「なんぼ」なん?
そら、商売繁盛せな… 高嶺の華ですわなぁ。^^
◆汽車<蒸気機関車>
むか~し、小学5年の遠足で、大阪京橋から大和笠置までの「SL特別運行」?か何かの催しで乗った以外、
縁も興味もなかった「汽車」なんですが…
電車・汽車好きのチビさんをつれて「京都梅小路・蒸気機関車館」までアッシー君。^^
オトナになってから初めて至近距離で眺める実物ですが、今見るとレトロで結構な風格があるんですよ。
超近距離運行ですが… 乗ってみました。 お決まりの、あの汽笛で出発進行!
何なんでしょうか? 不思議と懐かしく妙に心くすぐる、あの響きと発進音、緩やかな加速度。
過去の遺物には違いないですが、実にアジのある乗りモノだったんですなぁ。
今どき、わずか400円(大人1名)の入場料で、満足度満点な世界がありました。
むか~し、小学5年の遠足で、大阪京橋から大和笠置までの「SL特別運行」?か何かの催しで乗った以外、
縁も興味もなかった「汽車」なんですが…
電車・汽車好きのチビさんをつれて「京都梅小路・蒸気機関車館」までアッシー君。^^
オトナになってから初めて至近距離で眺める実物ですが、今見るとレトロで結構な風格があるんですよ。
超近距離運行ですが… 乗ってみました。 お決まりの、あの汽笛で出発進行!
何なんでしょうか? 不思議と懐かしく妙に心くすぐる、あの響きと発進音、緩やかな加速度。
過去の遺物には違いないですが、実にアジのある乗りモノだったんですなぁ。
今どき、わずか400円(大人1名)の入場料で、満足度満点な世界がありました。
◆このブログも振り返れば継続7年。早いものです。
しかしながら、ライフスタイルの変化と、にわかに加齢を感じる昨今ですが… (笑)
相変わらずの不定期気まぐれ更新を、どうかお許しのうえ本年も宜しくお願い申し上げます。
◆で、平成も25年目。金運・景気向上が望まれる巳年ではありますが、
新年早々は敗者の美学。
昨年の大河ドラマでは視聴率低迷、論評ボロクソだった『平清盛公』ゆかりの神社から
スタートさせたのであります。^^
京都市下京の西大路八条に鎮座する“若一(ニャクイチ)神社”なんですが、おごる平家の夢の後。
こじんまりしていて、本当にひっそりした佇まいなんです。
西大路に突き出た、清盛公の手植えと伝わる楠のご神木。近年はパワースポットとして人気とか。
広大な別邸址も、今はこの石碑のみ。
黒猫♂の歴史好きは、古の大河ドラマ“新平家物語”を機に
関連本を読むところから始まったようなんです。
さぁ~今年も“温故知新”の精神で開運めざしましょ。^^
しかしながら、ライフスタイルの変化と、にわかに加齢を感じる昨今ですが… (笑)
相変わらずの不定期気まぐれ更新を、どうかお許しのうえ本年も宜しくお願い申し上げます。
◆で、平成も25年目。金運・景気向上が望まれる巳年ではありますが、
新年早々は敗者の美学。
昨年の大河ドラマでは視聴率低迷、論評ボロクソだった『平清盛公』ゆかりの神社から
スタートさせたのであります。^^
京都市下京の西大路八条に鎮座する“若一(ニャクイチ)神社”なんですが、おごる平家の夢の後。
こじんまりしていて、本当にひっそりした佇まいなんです。
西大路に突き出た、清盛公の手植えと伝わる楠のご神木。近年はパワースポットとして人気とか。
広大な別邸址も、今はこの石碑のみ。
黒猫♂の歴史好きは、古の大河ドラマ“新平家物語”を機に
関連本を読むところから始まったようなんです。
さぁ~今年も“温故知新”の精神で開運めざしましょ。^^
◆ま~だ長崎を引っ張るんかい…
そんなお声が聞こえて来そうですが。(笑)
ご当地で忘れちゃならないお土産№1といえば、やっぱ“長崎カステラ”ですよね。
数ある地場メーカーさん。販売競争も激しい様子です。
で、どこのが美味しいのか…
よ~分かりませんし。ちょっとだけ比較してみましたよぉ。
<<私的、独断と偏見です。あしからずご了承ください。そのため活字上でのメーカー名UPを控えました>>
※左:関西ではスーパーかい?勘違いされる方も多い名のメーカーさん。右:言わずと知れた老舗ブランド。
※共に0.6号サイズ。つまり、一般的な大きさ(1号)の6掛版。長さ同じで横幅が小さいんです。
※共に便利なカット済。右のほうが若干大きくて200円高。名以上に味に違いはあるんでしょうかねぇ。
地元では身近な店舗多い和○屋さん。カステラ以外もお持ちです。
本店!修学旅行生のメッカみたい。恐るべしコウモリマーク^^
こちらの紙袋持ってる観光客の多いことなんの。
オマエもやぁ~って、、、スンマセン。((((((ノ゚⊿゚)ノ
ではでは実食へ~~
◆味比較の前に… 見た目の違いを特とご覧あれ。元々どちらもカット済ですからね!
⇒先様へ差し上げる贈答用って考えれば一目瞭然。コウモリさんの1勝
◆質感⇒ 生地のきめ細かさと、しっとり感で ⇒コウモリさんの2勝
◆味覚⇒ これがね、和○屋さんのほうが濃厚な味わいで、底地のザラメもしっかり。
コウモリさんは上品すぎって感じ。 ⇒和○屋さんの1勝
◆価格⇒ 値差20% コストパフォーマンスで ⇒和○屋さんの2勝
※結果、2勝2敗のイーブンってことで。
先様向けならコウモリさん。気取らず自宅用なら和○屋さん、でしょうかねぇ。^^
そんなお声が聞こえて来そうですが。(笑)
ご当地で忘れちゃならないお土産№1といえば、やっぱ“長崎カステラ”ですよね。
数ある地場メーカーさん。販売競争も激しい様子です。
で、どこのが美味しいのか…
よ~分かりませんし。ちょっとだけ比較してみましたよぉ。
<<私的、独断と偏見です。あしからずご了承ください。そのため活字上でのメーカー名UPを控えました>>
※左:関西ではスーパーかい?勘違いされる方も多い名のメーカーさん。右:言わずと知れた老舗ブランド。
※共に0.6号サイズ。つまり、一般的な大きさ(1号)の6掛版。長さ同じで横幅が小さいんです。
※共に便利なカット済。右のほうが若干大きくて200円高。名以上に味に違いはあるんでしょうかねぇ。
地元では身近な店舗多い和○屋さん。カステラ以外もお持ちです。
本店!修学旅行生のメッカみたい。恐るべしコウモリマーク^^
こちらの紙袋持ってる観光客の多いことなんの。
オマエもやぁ~って、、、スンマセン。((((((ノ゚⊿゚)ノ
ではでは実食へ~~
◆味比較の前に… 見た目の違いを特とご覧あれ。元々どちらもカット済ですからね!
⇒先様へ差し上げる贈答用って考えれば一目瞭然。コウモリさんの1勝
◆質感⇒ 生地のきめ細かさと、しっとり感で ⇒コウモリさんの2勝
◆味覚⇒ これがね、和○屋さんのほうが濃厚な味わいで、底地のザラメもしっかり。
コウモリさんは上品すぎって感じ。 ⇒和○屋さんの1勝
◆価格⇒ 値差20% コストパフォーマンスで ⇒和○屋さんの2勝
※結果、2勝2敗のイーブンってことで。
先様向けならコウモリさん。気取らず自宅用なら和○屋さん、でしょうかねぇ。^^
◆島原港からフェリーで僅か30分。火の国・熊本経由で帰阪したかったんですが、
スケジュールの都合で断念。南島原から長崎・大村空港まで陸路横断となりました。
で、途中にわかに話題沸騰?の温泉へ。
見事勝利はアメさん大統領の話。こちら雲仙小浜温泉^^
こちらの温泉は九州きっての熱量とのこと。この温泉湯、沸騰すると105℃になるんだとか。熱っ。。。
◆本場に来て、これまだ食してなかったんですよ。
ついでにイッときましたわ。「ちゃんぽんとにぎり寿司セット」ホンマかい!なんと人気№1組み合わせ…
※「日本3大ちゃんぽん」ってあるんですって。長崎、天草、そしてこちら小浜ちゃんぽん。
小浜ちゃんぽんの特長は、地場で揚がる新鮮な魚介で取ったスープにあるとか。
確かに和風っぽいあっさり味。こりゃ本当“にぎり寿司”と食べても相思相愛!OKみたい。^^
◆食事されたお客様は「当店の温泉入浴料が無料です!」
ここは何屋やねん?って… 元来は寿司屋さんでした。
甘い湯~枠(誘惑)にのせられて。。。
ホンマに、え~~湯でした。(笑)
◆やばっ、、、空港まで、まだまだ遠いのに… 湯上りモードやし。
間に合いました。大村空港。
沈む夕陽と長崎に、別れを告げて、また来る日まで。
スケジュールの都合で断念。南島原から長崎・大村空港まで陸路横断となりました。
で、途中にわかに話題沸騰?の温泉へ。
見事勝利はアメさん大統領の話。こちら雲仙小浜温泉^^
こちらの温泉は九州きっての熱量とのこと。この温泉湯、沸騰すると105℃になるんだとか。熱っ。。。
◆本場に来て、これまだ食してなかったんですよ。
ついでにイッときましたわ。「ちゃんぽんとにぎり寿司セット」ホンマかい!なんと人気№1組み合わせ…
※「日本3大ちゃんぽん」ってあるんですって。長崎、天草、そしてこちら小浜ちゃんぽん。
小浜ちゃんぽんの特長は、地場で揚がる新鮮な魚介で取ったスープにあるとか。
確かに和風っぽいあっさり味。こりゃ本当“にぎり寿司”と食べても相思相愛!OKみたい。^^
◆食事されたお客様は「当店の温泉入浴料が無料です!」
ここは何屋やねん?って… 元来は寿司屋さんでした。
甘い湯~枠(誘惑)にのせられて。。。
ホンマに、え~~湯でした。(笑)
◆やばっ、、、空港まで、まだまだ遠いのに… 湯上りモードやし。
間に合いました。大村空港。
沈む夕陽と長崎に、別れを告げて、また来る日まで。
【お断り】
この<南島原編>は、少々重っ苦しい内容ですし、一部グロイ画像も含んでいます。
ご不快に思われる方はご遠慮願います。あしからずご了承下さい。
長崎市内に別れを告げ、一路長崎の東の端まで!
※長崎自動車道から、諫早市を経て橘湾を南下し、更に山越え… 見えた!有明海と、彼方は火の国熊本。
この日は朝からどんより曇り空。でも、のどかな島原半島の風情は心地よさ120%
※久々に嗅ぐ“肥え”のにおい。BOO...しかーし、懐かしくもあり… (笑)
何を目的に遠路わざわざ“南島原”まで?
↓
歴史好きだった黒猫♂少年。いつの日にか行くと決めていたんです。
『キリシタン一揆 島原・天草の乱』で有名な悲劇の地『原城跡』訪問へ!
今から375年前の1637年10月25日(旧暦) 一揆勃発。
関が原の合戦から37年。大阪夏の陣で豊臣家が滅んで22年。
時は徳川三代家光の治世。太平の世のはずが、この地では凄惨な悪政がはびこっていたんです。
一般に、キリシタン弾圧に反発した領民のクーデーターのように思われていますが、
全容はそう簡単なものではないんですよね。
①キリシタン信者だけの一揆ではない⇒ この地の民衆の大部分が重税と悪政に耐えかねて決起。
数年前から起こっていた天候不順による飢饉にも免税なく、加えてキリシタン改宗拷問が引き金に。
雲仙地獄(火口)へ改宗を迫って追い落としや、年貢を払えなかった庄屋の家族(臨月の妊婦)を
見せしめに、川の中に張付け流産させたとか… (ある種のサディストですやんかねぇ)
この地の多くは帰農武士= 関が原の西軍や旧大坂方の武士団と、その子孫が指導者地位に多かった。
だから、実戦経験がある者、古来徳川治世に反発する者も多かったんでしょうね。
で、非戦闘員も含め実に37,000人もの一揆軍が80日間余り籠城の末、1人を除き
老若男女全員が惨殺されました。(城の破却と共に、この人々もそのまま埋めらています)
②ポルトガル(カトリック) VS オランダ(プロテスタント)の代理戦争の一面も。
当時、日本のキリシタンと言えば、ザビエル来訪以来カトリック信者がほとんどでした。
で、遅れて日本にやってきたオランダは布教を前面に出さず、経済重視の方策を取りました。
この乱の際も、籠城中の原城へ向け、4日間に亘りオランダ艦から海上砲撃を行っています。
※ポルトガルから救援が来ると信じていたキリシタンたちは、敵艦の攻撃と知り深く落胆したそうです。
結果として、鎖国後の日本でも長崎出島で唯一西欧窓口の貿易国となったんですよね。
前置きが長くなりました。
先ずは、南島原市が運営されている“原城文化センター”へ。なんと入館無料なんです。
現在も発掘調査中の原城跡。最近出土した遺物を職員さんが水洗いされていました。
インタビューしてみると、お若く美しいご婦人でしたがな。^^
今も、遺骨がバンバン出土するとのこと。そら、30,000人超も死体が埋められたんですから…
玄関ホールには重厚なレリーフ。乱の中心人物に奉り立てられた“天草四郎時貞”肖像画から出土品展示室へ。
地形は昔も今も大きくは変わっていない様子。
出土遺品の数々。十字架の他にも、ロザリオやメダイ、陶磁器類も展示されてました。
これら十字架は、火縄銃の敵弾を溶かして作られたそうです。
でー、圧巻だったのが、この発掘再現レプリカ。。。
幕府軍による、原城本丸正門付近の破壊は凄まじく、一揆軍に対する強烈な嫌悪感を読み取れると言います。
焼けた土と門の屋根瓦に混じって、大量の人骨が石垣の巨石と共に土を被せて埋められており、
明らかに乱後の破却を示しているとのこと。
場内各所で発掘された人骨は、頭部と胴体が見当たらず手足が多い。その中には、幼子のものも…
約3万人の首級が、長崎市中や原城などにさらされたと伝えられています。375年前とは言え、何とも痛ましい。
発掘前と発掘後の状況な違いとその箇所が、分かりやすく展示されていました。
1638年2月27日(旧暦)の幕府軍12万余の総攻撃。原城陥落を模した絵画を眺めつつ、原城文化センターを後に。
††† 山手の文化センターから有明海側に下った約1km先に“原城跡” †††
振り返ると、雲仙普賢岳の勇壮が。城内三の丸が、今ではのどかな田畑(とうもろこし畑)に…
本丸下のパーキングスペースに駐車。
すぐ横にある“ホネカミ地蔵”乱の後年、この地で亡くなった子供たちを悼むために建立されたとか。
半地下式の住居に、家族単位で籠城生活をしていたのがこの空堀。
歩いて本丸へ。そこには静寂の言葉しか見当たりません。
天草四郎時貞の墓。後年発見されたものをここに移設されたそうです。
『この地に立つと天を仰ぎたくなります』と記された書物がありました。
まさしくその通り。重い。この上なく重いものが肌を通して込み上げて来るんです。
この下敷きに今も人骨が多数… 眺める景色とのギャップがありすぎなんです。
リアルに… 375年経った今も、発掘現在進行形。
同じ大和民族の一人として、大変考えさせられる史跡でした。
この記事を最後までご覧いただいた方。誠にありがとうございました。
この<南島原編>は、少々重っ苦しい内容ですし、一部グロイ画像も含んでいます。
ご不快に思われる方はご遠慮願います。あしからずご了承下さい。
長崎市内に別れを告げ、一路長崎の東の端まで!
※長崎自動車道から、諫早市を経て橘湾を南下し、更に山越え… 見えた!有明海と、彼方は火の国熊本。
この日は朝からどんより曇り空。でも、のどかな島原半島の風情は心地よさ120%
※久々に嗅ぐ“肥え”のにおい。BOO...しかーし、懐かしくもあり… (笑)
何を目的に遠路わざわざ“南島原”まで?
↓
歴史好きだった黒猫♂少年。いつの日にか行くと決めていたんです。
『キリシタン一揆 島原・天草の乱』で有名な悲劇の地『原城跡』訪問へ!
今から375年前の1637年10月25日(旧暦) 一揆勃発。
関が原の合戦から37年。大阪夏の陣で豊臣家が滅んで22年。
時は徳川三代家光の治世。太平の世のはずが、この地では凄惨な悪政がはびこっていたんです。
一般に、キリシタン弾圧に反発した領民のクーデーターのように思われていますが、
全容はそう簡単なものではないんですよね。
①キリシタン信者だけの一揆ではない⇒ この地の民衆の大部分が重税と悪政に耐えかねて決起。
数年前から起こっていた天候不順による飢饉にも免税なく、加えてキリシタン改宗拷問が引き金に。
雲仙地獄(火口)へ改宗を迫って追い落としや、年貢を払えなかった庄屋の家族(臨月の妊婦)を
見せしめに、川の中に張付け流産させたとか… (ある種のサディストですやんかねぇ)
この地の多くは帰農武士= 関が原の西軍や旧大坂方の武士団と、その子孫が指導者地位に多かった。
だから、実戦経験がある者、古来徳川治世に反発する者も多かったんでしょうね。
で、非戦闘員も含め実に37,000人もの一揆軍が80日間余り籠城の末、1人を除き
老若男女全員が惨殺されました。(城の破却と共に、この人々もそのまま埋めらています)
②ポルトガル(カトリック) VS オランダ(プロテスタント)の代理戦争の一面も。
当時、日本のキリシタンと言えば、ザビエル来訪以来カトリック信者がほとんどでした。
で、遅れて日本にやってきたオランダは布教を前面に出さず、経済重視の方策を取りました。
この乱の際も、籠城中の原城へ向け、4日間に亘りオランダ艦から海上砲撃を行っています。
※ポルトガルから救援が来ると信じていたキリシタンたちは、敵艦の攻撃と知り深く落胆したそうです。
結果として、鎖国後の日本でも長崎出島で唯一西欧窓口の貿易国となったんですよね。
前置きが長くなりました。
先ずは、南島原市が運営されている“原城文化センター”へ。なんと入館無料なんです。
現在も発掘調査中の原城跡。最近出土した遺物を職員さんが水洗いされていました。
インタビューしてみると、お若く美しいご婦人でしたがな。^^
今も、遺骨がバンバン出土するとのこと。そら、30,000人超も死体が埋められたんですから…
玄関ホールには重厚なレリーフ。乱の中心人物に奉り立てられた“天草四郎時貞”肖像画から出土品展示室へ。
地形は昔も今も大きくは変わっていない様子。
出土遺品の数々。十字架の他にも、ロザリオやメダイ、陶磁器類も展示されてました。
これら十字架は、火縄銃の敵弾を溶かして作られたそうです。
でー、圧巻だったのが、この発掘再現レプリカ。。。
幕府軍による、原城本丸正門付近の破壊は凄まじく、一揆軍に対する強烈な嫌悪感を読み取れると言います。
焼けた土と門の屋根瓦に混じって、大量の人骨が石垣の巨石と共に土を被せて埋められており、
明らかに乱後の破却を示しているとのこと。
場内各所で発掘された人骨は、頭部と胴体が見当たらず手足が多い。その中には、幼子のものも…
約3万人の首級が、長崎市中や原城などにさらされたと伝えられています。375年前とは言え、何とも痛ましい。
発掘前と発掘後の状況な違いとその箇所が、分かりやすく展示されていました。
1638年2月27日(旧暦)の幕府軍12万余の総攻撃。原城陥落を模した絵画を眺めつつ、原城文化センターを後に。
††† 山手の文化センターから有明海側に下った約1km先に“原城跡” †††
振り返ると、雲仙普賢岳の勇壮が。城内三の丸が、今ではのどかな田畑(とうもろこし畑)に…
本丸下のパーキングスペースに駐車。
すぐ横にある“ホネカミ地蔵”乱の後年、この地で亡くなった子供たちを悼むために建立されたとか。
半地下式の住居に、家族単位で籠城生活をしていたのがこの空堀。
歩いて本丸へ。そこには静寂の言葉しか見当たりません。
天草四郎時貞の墓。後年発見されたものをここに移設されたそうです。
『この地に立つと天を仰ぎたくなります』と記された書物がありました。
まさしくその通り。重い。この上なく重いものが肌を通して込み上げて来るんです。
この下敷きに今も人骨が多数… 眺める景色とのギャップがありすぎなんです。
リアルに… 375年経った今も、発掘現在進行形。
同じ大和民族の一人として、大変考えさせられる史跡でした。
この記事を最後までご覧いただいた方。誠にありがとうございました。
◆軍艦島から帰港して丘を登ればココ。
修学旅行のメッカでもあるんですなぁ。
※上から眺める景色も美観。やっぱ絵になる街ながさきですねぇ。
ミーハー承知でやって参りましたよぉ。福山雅治も紅白歌合戦で歌った中継場所“グラバー園”
※ガイドブックお決まりのアングルみたいな。(笑)
でも、邸宅内は見る価値あり。明治がそのまま再現されてます。
※遥か約145年前の文明開化。明治維新で変化したように、平成の御世にも“渇”が必要かもね。
グラバー園を出て、お隣さんの“大浦天主堂”
※弾圧の過去をもつ隠れキリシタン。長崎来て、初めて分かる感慨かもしれません。
所かわって、今晩も夜の街ながさき^^ 大阪には無い風情を楽しみに。。。
※創業146年・長崎浜町の元祖茶碗むしのお店、“吉宗(よっそう)” さんをご訪問。
江戸期のエスプリがプンプン。1階から敷かれた真っ赤なじゅたんを歩いて階上の座敷へ。
※ちょっと不謹慎ですが、大阪の飛田遊郭のイメージと重なってしまったのはワタシだけでしょうか!?
地場産の造りならではの超新鮮さ。
上品な薄味仕上げ。
こちらも、クセのないあっさり味。カツ丼ですがな。^^
で、肝心の『茶碗むし』を撮りこぼししてましたやんかぁ。( ̄_ ̄ i)
こちらも気になる、ご当地の味… でも流石に、I am fell
551ナンバ蓬莱級に、こちらではメジャーな“岩崎本舗”さん
「大とろ角煮まんじゅう」
喰わずして帰れず。(笑) これまた本物は美味!
修学旅行のメッカでもあるんですなぁ。
※上から眺める景色も美観。やっぱ絵になる街ながさきですねぇ。
ミーハー承知でやって参りましたよぉ。福山雅治も紅白歌合戦で歌った中継場所“グラバー園”
※ガイドブックお決まりのアングルみたいな。(笑)
でも、邸宅内は見る価値あり。明治がそのまま再現されてます。
※遥か約145年前の文明開化。明治維新で変化したように、平成の御世にも“渇”が必要かもね。
グラバー園を出て、お隣さんの“大浦天主堂”
※弾圧の過去をもつ隠れキリシタン。長崎来て、初めて分かる感慨かもしれません。
所かわって、今晩も夜の街ながさき^^ 大阪には無い風情を楽しみに。。。
※創業146年・長崎浜町の元祖茶碗むしのお店、“吉宗(よっそう)” さんをご訪問。
江戸期のエスプリがプンプン。1階から敷かれた真っ赤なじゅたんを歩いて階上の座敷へ。
※ちょっと不謹慎ですが、大阪の飛田遊郭のイメージと重なってしまったのはワタシだけでしょうか!?
地場産の造りならではの超新鮮さ。
上品な薄味仕上げ。
こちらも、クセのないあっさり味。カツ丼ですがな。^^
で、肝心の『茶碗むし』を撮りこぼししてましたやんかぁ。( ̄_ ̄ i)
こちらも気になる、ご当地の味… でも流石に、I am fell
551ナンバ蓬莱級に、こちらではメジャーな“岩崎本舗”さん
「大とろ角煮まんじゅう」
喰わずして帰れず。(笑) これまた本物は美味!
◆このたび長崎を訪問したの目的の1つがコレ↓
大昔、同世代の小学生が住む“軍艦島”を取材した
ドキュメンタリー(NHKだったような)を見て、
長年ず~~と訪れてみたいと思っていた島… <今回、軍艦島コンシェルジュ さんにお世話になりました>
定員130人の旅客船で、長崎大浦出発。
秋晴れの長崎港。今も外国船が寄港する国際港なんですよね。
女神大橋を過ぎると長崎湾から外海へ。
出港して40分。彼方に臨む端島(=軍艦島) 島と言うより要塞。確かに軍艦みたいな!!
世界文化遺産へ登録申請中とか。廃墟ブームも手伝ってるんでしょうね。 ワタシは、明治近代化~ ヒストリーと、人の営みが刻んだ遺物として興味があったんです。
見学者20人に1名。ガイド同行が義務付けされてるんです。長崎市には上陸誓約書も提出しました。
自然の前では、人類の力など無に等しい… 虚空を感じずに居られません。
当時、英知を結集して完成した近代建造物が、あと数十年を待たずして、崩れ落ちてしまうそうです。
大昔、同世代の小学生が住む“軍艦島”を取材した
ドキュメンタリー(NHKだったような)を見て、
長年ず~~と訪れてみたいと思っていた島… <今回、軍艦島コンシェルジュ さんにお世話になりました>
定員130人の旅客船で、長崎大浦出発。
秋晴れの長崎港。今も外国船が寄港する国際港なんですよね。
女神大橋を過ぎると長崎湾から外海へ。
出港して40分。彼方に臨む端島(=軍艦島) 島と言うより要塞。確かに軍艦みたいな!!
世界文化遺産へ登録申請中とか。廃墟ブームも手伝ってるんでしょうね。 ワタシは、明治近代化~ ヒストリーと、人の営みが刻んだ遺物として興味があったんです。
見学者20人に1名。ガイド同行が義務付けされてるんです。長崎市には上陸誓約書も提出しました。
自然の前では、人類の力など無に等しい… 虚空を感じずに居られません。
当時、英知を結集して完成した近代建造物が、あと数十年を待たずして、崩れ落ちてしまうそうです。