新型コロナウイルスの流行に伴って、基本的には自宅待機をしていた3月末。

Twitterで友達が”バズって”いるツイートを怒りの文と共にリツイートしていた。

そしてその”バズって”いるツイートとは、政府の経済政策に対する、どこかの誰かのもっともらしい批判。
そしてそのリプ欄には、ツイートに賛同し怒りを露わにする意見や情報の不確かを指摘し反論する意見などが溢れていた。

私も、自宅待機で暇を持て余し、恥ずかしながら1日のスクリーンタイムが10時間を超えていたその頃、
タイムラインに流れてくるネットニュースや上で述べたようなツイートのリンクをぽちぽちクリックしてはコロナに対する情報を集めていたつもりだった。

だがある時、コロナの情報収集ぽいことをする時間が無意味で疲れていることに気付く。(3/28らへん)

私は、情報と意見をごっちゃにしていたのだ。

Twitterでバズっている「意見」を「情報」だと思っていた。
誰でもツイートできるこの世の中。発言している場所が、リアルかTwitterかではその重みははるかに後者の方が重くなっているように思う。特に拡散力が強い人は。(もちろん意図せず広まってしまった意見もあるだろうが)

例えば、2月末に話題になった<紙製品が不足する>というある一人の意見。これが広まるといかにも正しい情報になっていた。

切り取りや個人の見解が多いネットニュースやTwitterなどの「流動的な」情報に惑わされて疲れていた時、私が求めたものは「固定的な」情報だった。

とまあ、前置きが鬼の長さになったけれど、
1人の大学生が
初めて能動的に情報を得ようと
人生で初めて新聞を読み始めた。

だけのブログです。
4月から頼み始めた新聞、果たして朝刊夕刊のリズムに私はついていけるのか。

日記的なブログを開始します^_^