トニー・スタークに憧れて

トニー・スタークに憧れて

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友人との会話で写真に対する価値観の話しが出た。
私もその友人も、写真を撮る時というのは、情景や思い出を残しておく為ではなく、情報として他の人へと伝える為のツールとして使う事が主という、共通の価値観を持ち合わせていた。
友人は、その時起きている事をその時にじっくり考察して楽しむので、振り返る必要が無いという彼自身の性格に対する答えも持っていた。ここの価値観は少し違い、私は時折振り返ってみたり、追体験してみたりしたいと考えている。
勿論前に向かって行く為の材料として。
どちらにせよ、お互い写真に対する価値観は情報伝達のツールとしているので、アルバムというものを自ら作ろうとはしないし、必要がなければ率先して写真を撮るといった事もしないんだ。という結論だった。

今考えている事へのヒントになるとも思うので、逆に写真を撮る事が好きでアルバムをたくさん持っている人の価値観など、話を聞いてみたいと思いました。











iPhoneからの投稿



タイトルからお気づきの方はいらっしゃるとは思いますが、私はアメコミが大好きなんです。

それももう、いっそアメコミの世界の中で暮らしたいくらいに!


来年にはMarvel vs CAPCOM 3も発売されますし、アメコミ映画も来年再来年と大きなタイトルが待ち構えています!


というわけで、突然ですがこれから来るであろうアメコミブームに備えて、グルっぽを緊急設置!


皆さん楽しんで参加してください。後、詳しい方はもっと色々教えてくださいw


よろしくお願い致します。




表現の最終着地点とはどんなものだろうか?
目を閉じてゴッホの自画像や、ヒマワリが飾られている所をイメージすると、それは私の中で浮き彫りになる。

特殊なタッチや色彩から生み出される存在感や異質さ。同時にその異質さゆえに実現可能とする、様々な状況へ適応する調和である。

その調和という事象を完成形としてイメージをし、実行に移す。

例えばある風景を一枚の絵にしたとする。
その時の事象を絵として表現したいと思った。ただそれだけの事である。
それだけの要素であれば風景画を描けばそのまま伝わる部分は多いだろう。
しかし仮にその事象を構成する要素に、彼女と一緒にいたというものが含まれていた場合、そしてその要素も表現したい一部だとしたら、一枚の絵だけで表現するのは難易度が上がるだろう。
要素として組み込むとすればタイトルに『彼女とみた風景』とでもするか。
しかしその事象が例えば 日常における驚きの要素、例えば遠くで火事のようなものがあったり、突然降り始めた雨の兆しだったりが含まれる場合、そのままのタイトルでは受け取り手はこちらの意図したものとは違った妄想を膨らませて解釈してしまう可能性がある。(人とは自分の勝手な理解の範疇の中で妄想を膨らまし、意味付けをする事が好きな性質があるのだから。)
その様な場合、タイトルとして『彼女とみた風景』では不適切かもしれない。
なぜなら、切り取った風景画が日常における驚きの要素として伝わるのではなく、火事の炎が2人の衝突を想像させたり、雨の兆しが悲しみとしての物語を受取り手の脳内で再生してしまう可能性があるからだ。
そういった場合を想定してタイトルを『彼女とみた驚きの風景』としてみるか、このタイトルでは絵で伝えるという要素が薄まり面白味にかけるので、『あの人とみた風景』として、タイトルにあえて具体性を欠かすことで、受け取り手が疑問を持つ焦点をこちらでコントロールする仕掛けを入れてみるといった工夫が面白いと思える。
この要素を組み込んだ作品を私が世に発表できるならば、おそらく多くの人に認められ、芸術、すなわち感情や心を扱う仕事を糧として生きて行ける事だろう。
それは私にとっての何よりもの望みであり、叶えるべき夢であるとこれ迄よりも深い部分での発見があった。

私は自分が前に進む正当な理由や免罪符が欲しかったのか?いや違う。

これは目標地点がより詳細に浮き彫りになったという事だ。

また、もう一つの課題として、今回取り上げた表現方法は絵だけでも言葉だけでも成り立たず、もっと簡易に感情というものを伝える手法を確率する必要があるとも感じる。


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