東日本大地震


福島県南相馬市は私が生まれ育った場所です。


妹と母親は南相馬市に、私は11歳の時父親と2人福岡に来ました。


その後20歳から30歳までまた故郷へ戻り子供達3人は南相馬市で生まれ育ちました。


なので11年前の午後2時46分地震発生時は私達は福岡に居たのですが、テレビで信じられない光景を目にし。。。母へ連絡するも夜中過ぎまで繋がらず生きた心地がしなかったこと。
離れていてもあの故郷の光景は忘れることはありません。


母に連絡が取れて声を聞いて泣いたのは私のほうで、母の声は震えてはいましたがしっかりした声で「大丈夫だから」の言葉


津波の被害は免れたものの、母の家は半壊寸前でしたし原発の被害で埼玉へ避難するしかなく5年間埼玉での避難生活余儀なくされました。


母は南相馬市へ帰りたいと、戻りましたが復興は本当に時間が掛かり今もまだ震災前に完全に戻ったわけではありません。


環境だけでなく、心にも大きな傷跡を残した自然災害。生きていることの尊さを身をもって感じた東日本大地震。

今日は職場で黙祷を。。。

分からないだけで、自分や子供と関わった方々全てが無事ではなかったと思うし、災害を目の前に人間の力は無力に近く。。。


だからこそ、人間が出来ること「生命」を大切に生きることに誠実でありたい。。。それは自分に関わる命だけじゃなく地球に生きる全ての生き物達や自然に対しても




「花は咲く」を聴きながら今日は犠牲になった方々や命を守るために尽力してくださった方々への感謝を込めて手を合わせよう



梅吉も手を合わせようね



先日、太宰府天満宮へ「梅」に会いに行きました






有名な飛梅




蝋梅




梅吉のお腹みたいに白い白梅




八重の梅





沢山の梅と共に 東日本大地震への想いを込めて🌸

そして1日も早く理不尽な奪われ方をする命が消えることが終わりますように