体調の安定はない。自分で動けるうちに不安定でも困らない暮らしの基盤を作るのが大切。…ある程度わかっていたから一人暮らしで生活保護になった。後は毎日の体と心。一般の48歳より無理がきかないのはもとより、昔の古傷の後遺症があちこちに出始めて日常生活にも支障が出始めた。今の、何となくな暮らし方では体も心も着いて来ない体調になった。薬でごまかしてごまかして一人暮らしの家事をするのが辛くなって来た。さあ、どうする。心のよりどころはアメブロや友達や母親が居てくれるけれど日常生活は……ギリギリ迄ヘルパーさんには頼めない。ギリギリとは体が買い物さえ出来ない状態。…ん~、心が腐ってくる。体がギリギリに近いものがあるだけに、見たくない先が見えてくる。一人暮らしが通算七年になる今年、その大半を精神以外にも具合がどこかしら悪く、母親の様子見に助けられてきた。母親が倒れてから、今これから、痛みと付き合いながら日常生活を一人繰り返す事が苦痛だ。一人だから…いるよと言ってくれる人がいても、一人暮らしの現状は変わらない。訪問看護の皆さんが禁煙はやめた方がいいと口を揃えて言う。僕がコーヒーとタバコのセットを無くして一人暮らしに耐えられる訳がないと笑う。他の患者さんの例も見ていて話す言葉なのだろう。長寿より現在を生きぬかなければの考えは、甘い物ではない。甘くすれば寿命は縮むし、いらない病気や怪我を増やすだけ-……………………………………そんな一人言を呟いても、明日からじゃあどうするべきかは浮かばない。いつもの様に体調と天気によって一日の予定を組むのだろう。人生いつ終わるかわからなくても終わる迄は生きてゆくのだから、現在に悩み先々迄の時間があると仮定して予定を組んでゆく。疲れる。タバコを一服。コーヒーをもう一杯。疲れた、で、終わらせない為のニコチン中毒と言う逃げ道に今日も逃げ道を見いだして、起き上がる。突っ伏すしかなくなったら、また一段階、福祉の世話になる事を考えよう。…………今日、母親の居ない桜見物からの帰りに、母親に電話したら、「去年の桜は元気だったかい?早く写真が見たいねえ」と、明るい声で応答していた。母よ、出来る事ならば、僕より平和に長生きして下さい。。。