今母たちに頼まれて、おばあちゃんの部屋を整理してる。
戦前生まれだからか、使っていない食器や着物がたくさんある。
物がない時代で、食器1つの価値も今とは違うのだろう。
家でお葬式をやったり、お正月は集まったり、そのためのたくさんの食器なのかもしれない。
着物は、ほとんど着ているところをみたことがなかった。新品のもの、反物のままのもの、自分で縫ったもの、たくさん出てきた。
古いアルバムも出てきて、ひいおじいちゃんと思わしき人が写っていたりする。
物って、そのときに使わないと何の意味も持たないんだなと思った。
今の時代着物はレンタルで充分だし、たくさんの食器もいらない。
知らない人が写っている写真を見てもよくわからない。
使えるうちに使って、目が見えるうちに写真をみて、体が動くうちに着物を着ないと、あとは意味のもたない物になっちゃうんだな。
物の哀れということで、良いことなのかもしれない。
私も、子供の頃大事にしていたシールやキラキラの折り紙があった。
使えずに、大事にとっておいたら、あっという間に30年過ぎて今となっては当時のような魅力はなくなった。
もったいない、は大事だけど、使えるときに使わないとダメだなと思う。
今私が持っている色々なものも、私が死んだら不要な物だ。
なんだ不思議。