手紙
それは、言葉を受ける相手次第で残すことも、消すこともできる、古くから世界共通で続いているコミュニケーションツールである。
時に逡巡し、言葉が思いつかずイラついて破棄したり、想いを寄せすぎて涙や鼻水などの体液で汚してしまったり、在らぬ無茶な仕掛けをしようとして失敗したり、一生懸命綴った言葉を自分の勇気の無さから奪われてしまったり、相手に送るにも遅れず仕舞いで終わったり、渡そうとして先に声になって伝わってしまったり、受け手に言葉を奪われて、そのまま返されてしまったり…etc.
様々な思い出を作るのも手紙の役割ではあるのかもしれない。
それが、簡単に思わぬ形で、でも、割と有り触れていて意外性がない方法に変わってしまったら?
それは、きっと面白いものを起こすのかもしれない。
これは、私が体験した物語だ。
私には、片思いしている友達がいる。
相手は女の子で、いつも相手の実家近くのファストフード店やショッピングモールのプリクラで、燥いでは女子会で喋り倒す仲だ。
私にとっては居心地の良い、特別な時間だ。
よく他の友達に、「アンタたち、何してんの?」と聞かれるほど、空気が浮いているのだというが、私たち本人には関係ない。
高校生活は、とても楽しくて、夢心地だった。
それでも、やはり時間には限りがある。
卒業と同時に、少しずつ互いに疎遠になりつつあった。
卒業してからも、仲は続いた。
時折時間を見つけては、映画を見に行ったり、ペアチケットでライブに参加したり、レストランで食事をしたり、色々と特別な何かをすることで会えていない時間を埋めていた。
ところが、ある日、事件が起こった。
私は、レストランでの食事会の後、最寄りのコンビニにて急に告白された。
……そして、誤って告白を断ってしまったのだ。
こうして、私たちの絆は幕を閉じた。
それからというもの、私は恋愛に対して消極的になった。
カッコいい、イケメンな男の子と出会っても、超絶可愛い女の子に出会って甘えられても、何も感じなくなって、胸がときめくのも一瞬の幻となっていった。
ある意味では楽なのかもしれないが、本人としては無自覚ながら由々しき事態である。
その失ってはいけない感情を繋ぎとめるためなのか、それとも思い出そうと無意識にしているのか、医師に関係なく誰でも目で追うようになった。
辛くて仕方がない。
ところが、私に転機が訪れた。
或る日の晩に、仕事帰りでコンビニにチョコレートを買いに行った。
すると、女の子に板チョコを渡された。
私は戸惑いつつも、チョコを受け取り、会計を済ませて家で開けてみた。
すると、そこには手紙があった。
手品でも何でもない、小学生が単純にチョコレートを未会計で渡してきただけ。
この事に戸惑いつつも、文面を読んでみた。
『食べて、元気になって、素敵な人に出会ってください。』
続けて、
『もし、いたら、色んな人に、このチョコレートと同じチョコレートを渡していくと良いことがあるかも♡』
とあった。
この短い文章は、紙ではなく、直接チョコレートに白い文字で描かれていた。
私は、気恥ずかしさと、苛立ちからチョコレートを自棄食いしてしまった。
翌日になって、不思議なことが起こった。
なんと、激しい腹痛に見舞われて、陶器の女神さまのところに屈んで長居する羽目になった。
少しだけ落ち着いて、ゴミ箱を漁って昨晩のチョコの賞味期限を確認したが、問題は無かった。
誰か分からない人に食べ物を渡されても、絶対に口にしてはいけないなと、改めて実感した。
「……ったく、何てものを遣してくれたんだ!」
そう、目の前にいない少女に愚痴を零してみたが、急に脳裏に読み落としてしまった文言を思い出した。
『美味しく味わって』
そうか、腹が立って自棄食いしたのがいけなかったんだ。
軽く反省してから、強い疑問を抱いた。
何故、文言を破ったら、食べた後にお腹を壊すのか。
ひょっとして、新手の都市伝説みたいなもので、最近は手紙を最後まで深く読まない人が多いから、そういったものへの警鐘と教訓を示しているのだろうか。
ならば、しっかりと読む習慣を付けてしまおうと考えた。
「じゃあ……素敵なひとと出会うことからでも始めようか。」
このときの行動は、送り主からすれば甚だしい勘違いだったのだが、これは後に暫く年数が経って知ることとなる。
腹痛で朝一から欠勤の連絡をしてあったので、同僚や先輩に出会わないように細心の注意を払いながら、思い切って外出した。
街中に久しぶりに出ると、人ごみと目に付く喫茶店が心地良い。
自分は社会の中に確かにいて、その全ては出会いからのみ出来ているのだと感じる。
暫く歩いて、途中で本屋に入って立ち読みしていると、とうとう出会ってしまった。
一番合いたくない同僚の、鴻上薫だ。
「お…ヒジリさんじゃん!」
「あ……どうも。」
「今日、サボりですか?」
興味津々な目で、私ににじり寄った。
ニヤついた表情に浮かぶ、漫画のような三日月目が、私を不快にさせる。
「本当に腹痛で、結局食中毒だったから治まって、今病院帰りなの。」
「そうっすか……ねえ、僕も今から直帰なんで、ヒジリさんの家に行っても良いっすか?」
妙にチャラい声色で、家に押しかけようとしてきた。
病人に、何てことを考えるのだろうと、鴻上のことを無神経な人間だという印象を抱いた。
「止めてください!」
「良いじゃないっすか……これでも心配していたんだって。」
急に、言葉の終わりにかけて、曲のサビに入る直前のように声音が小さく照れ臭さを滲ませていた。
私は、不覚にも、ドキッとしてしまった。
「それでも、来ちゃダメです。」
「……なら、無理やり押し掛けるっすよ!」
「はあ!?」
「アンタに拒否権は無い!」
断ると、突然顔を紅潮させて横暴な発言をしてきた。
幼稚だなと思った反面、可愛いとも感じた。
やや丸顔で、幼くも見えるアイドル顔で、髪をダークブラウンに染めてセミショートにして可愛さを全開にしている外見で、至近距離まで詰め寄ってきた相手に、嫌な筈なのに惹き込まれてしまったのだ。
「……わかった…だけど、入ったとしても何もしないで。」
「約束します。」
「…よろしい!」
先程まで、全力で拒否していたのに、入室を簡単に許してしまった。
「普段の女子力の割に、部屋は少し狭いっすね!」
「五月蠅い!……もう、座ってて。」
「はいはい……。」
本当に鴻上は部屋の中までついてきた。
そして、早速約束を破ってキッチンに向かって行った。
「バカ!……何もしないって約束でしょうが!」
「……おかゆを簡単に作って、消化に良い野菜いためでも作って置きますよ。」
鴻上は、外と打って変わって口調が丁寧になっていった。
そして、手に持っていた大きめのバッグから、幾つか食材を取り出して、徐に調理器具を確かめたかと思うと、宣言通りに調理を始めた。
換気扇を忘れて調理を始めた所為で、部屋中に美味しそうな臭いが充満してしまった。
一気に腹痛と空腹感が入れ替わって、お腹の虫が盛大に鳴いた。
「ハハハ……食欲はちゃんと健在ですね!」
「笑うな!」
「すみません…可愛くて、つい笑ってしまいました。」
火を弱めながら、私に目を合わせようと涙を浮かべて顔を凝視してきた。
私は、態と子どものように頬を膨らませて不機嫌を演じてみた。
鴻上は、少し焦ったような表情で、取り繕おうと話題を脳内で画策し始めた。
これが可笑しくて、可愛くて、堪らなくなってしまった。
鴻上は、簡単に調理を済ませて、私の真正面に座り込んだ。
「ヒジリさんに、今日会えて良かったです。」
そう言うと、満面の笑顔で見つめてきた。
私には眩しすぎて、無意識に目を逸らした。
仕事のことを幾つか話してくれて、そのついでに愚痴をたっぷり零していく。
抑々は、仕事の伝達のために課長に遣されたらしいが、鴻上なりに心配して幾つか仕込んでいたらしい。
「で、さあ……課長も課長でさ……。」
「それで……もう、終電の時間じゃない?」
病人を寝かさずにおいて、深夜まで家に居座っていく図々しさには、脱帽してしまう。
もういっそ清々しいので、許してしまっている。
「今日は泊まります。」
「はあ!?」
「……今日二回目の『はあ』。」
眠そうな顔を作って、クスクスと笑ってきた。
「びっくりするのは当然でしょう?」
「じゃあ、びっくりついでに…実を言えば、僕の部屋は今日契約切れで、明々後日からヒジリさんの隣の部屋に引っ越しになります。」
「え、つまり……?」
眠そうな顔から出てきた爆弾発言に、私の眠気は銀河系外まで吹き飛んでしまった。
全力で拒否の意思を表情で訴えてはみたものの、飛び切り可愛い笑顔で、言葉泣き同意を求められている。
「今日から3日間だけ、泊まらせていただけないでしょうか?」
私は溜息をつくしかなかった。
朝起きると、テーブルの上に一枚の板チョコが置いてあった。
驚いたことに、少女からもらったのと同じメーカーのチョコだった。
『 ヒジリさんへ
泊めて頂いて、ありがとうございます。
お礼と言っては何ですが、今流行りの御呪いに乗せて、この板チョコを送ります。
美味しいですよね?
先に仕事に行ってますが、体調のことを優先して、ご自身の健康と相談して勤怠を決めてください。
3日間限定ではありますが、ヒジリさんとの楽しい生活に期待が募ります。
どうかよろしくお願いいたします。
鴻上 薫』
チョコレートの表面に、白い文字で手紙が書いてあった。
あんなに毎日嫌がっていたのに、私は熱が上がってしまって、心地良いながらも意識が朦朧としていた。
私は、仕事の具合を考えて、午後から出勤することに決めた。
昼休みの真っただ中に出勤すると、鴻上が寄ってきて燥いだ。
「ヒジリさん、体調が治ったんっすね!」
「心配かけて御免なさい。」
「治ってくれただけで、嬉しいっすよ!」
昨日のフツーな口調は何処へやら。
どうやら、役を演じているだけのようだ。
逆に、自宅での姿が素なのかと思うと、大分嬉しさが込み上げてきた。
「本当にありがとう!」
「今日は、お昼はまだっすか?」
嬉しそうに、可愛らしい表情を作って訊いてきた。
昼食は、カフェで軽食を少しだけ齧ってきたのだが、ややお腹が減る。
「少しだけ。」
「じゃあ、お弁当作ってるんで、一緒にどうぞっす。」
すると、ピンクの花柄の可愛らしい包みを渡された。
中には、体に良さそうで美味しそうなものが詰め込まれていた。
盛り付けも美味しそうにな色合いに、きちんと配列されていて見ていて楽しかった。
「カワイイ。」
「へへへ……。」
鴻上は、嬉しそうに頭を掻きながら私を屋上へ促した。
軽く手を引かれて連れていかれる様は、まるで漫画の中の恋人のようだった。
あれから、3日目に屋上で告白され、隣同士で過ごした後、2年目に婚約して、今は婚姻関係にある。
時折喧嘩をしながらでも、外とは別で打って変わって、丁寧で物腰の柔らかい嫁に成長した、カオルには今でも恋をしている。
目の前にいる彼女は、私の視線に気が付いて、少し訝し気な様子を見せる。
「急に、どうしたの?」
「いや……昔のことを思い出して……。」
「ふーん……。」
今でも、幼く見える可愛らしい顔を、クシャクシャにして笑いかけてくる彼女は、まだ20代のアイドルぐらいには通用しそうな見た目だ。
未だに顔が赤らむのが、自分でも分かる。
「これ……あげるよ。」
「ん?……あ、これって?」
見慣れた包み紙にくるまれた長方形の苦みのある甘い香りを手渡した。
「感謝を込めて……。」
「何?……お、懐かしい御呪いの手紙だ。」
「この間、部屋を掃除していたら思い出した。」
「そういえば、あの時の手紙は?」
「食べると効果があるんでしょ?……結局食べてないんだよ。」
「え?」
「大切に取ってある。」
初心な少年少女に、よくある話だ。
バレンタインで貰ったのは良いが、あからさまな本命チョコには手を出せず、特に想い人からのものだと食べるのが勿体なくて、賞味期限が来ても黴が生えるまで観賞用に保管してしまう、という現象だ。
「でも、何で、あの時に『チョコ葉書』をしたの?」
「うーん、僕はチョコ葉書を、小学生の時に貰って返事をしたことがあるんだ。」
「あれ?…ゴミ箱を見たんじゃないんだ?」
「えー、汚いじゃない。」
「そうか。」
「貰ってたの?」
「もらってた……コンビニで小学生から渡された気がする。」
「へー…知り合い?」
「見覚えはあるんだけどね?……少し髪の長い、ボロボロになったピンクのランドセルを背負った左手薬指を火傷してカットバンで誤魔化してた、可愛らしい子……昔、好きだった子に似ていたな。」
「え?……そういえば、アナタって、旧姓があるんだっけ?」
「そうだよ……母子家庭で離婚後直ぐに転校してきたんだ。」
「もしかして、『正円』って変わった名字じゃなかった?」
「そうだよ?何で知ってるんだ?」
「……そうか、それを食べたら、お腹は当然壊すよ!」
「は?…え?」
急に、一人だけ納得いったような顔をして、けらけらと笑う彼女を見て、少し困惑したが幼少期の記憶が蘇った気がした。
そうか。
そう言うことだったんだ。
「それは、昔の僕だ……あの時好きだった『正円 聖』っていう男の子から、チョコ葉書をもらって、でも、私が転校することが決まったから『ごめんなさい』の返事を送ったんだよ…成長して違う人になって、また会えたら良いなって言う願いを込めて。」
「そうだったのか……あれ以来、女の子っぽくなって、他の子に好きになられないようにしていたんだった……もう、忘れていたよ。」
「じゃあ、君からのチョコはバレンタインを含めて、ずっと賞味期限を切らすまで食べていないことになるね。」
「今度は、食中毒で本当に死ぬよ?」
彼女に冗談交じりにデコピンと共に注意されて、年甲斐もなくじゃれ合った。
手紙って、素敵ですよね?
チョコを送るのも、また素敵ですよね?
文字を書いたり、デコレーションしたりして、相手に気持ちを伝えることもできます。
両方を組み合わせれば?
それは、ほろ苦いチョコレートを、甘酸っぱいものにするか、とても苦いものにするか、将又塩辛いものにするか……。
まあ、2月24日に限定されそうですが、別に違う日でも良いじゃないかって思います。
なら、完全に一体化すれば、ひょっとしたら驚きとともに、もっと気持ちが伝わるかもしれません。
ただし、『やぎさんゆうびん』みたいになるから、返事の保証は出来ません。
でも、返事が送られてきたなら……。
それは、相手がちゃんと読んでくれて、気持ちが伝わった、誠意の証なのかもしれません。