不登校からの医学部

不登校からの医学部

中学三年間不登校だった私が、今に至るまでを綴っていくブログ(予定)

初めまして、じこぼうと申します。

いきなりですが、私は中学三年間不登校でした。

今回ブログを始めたのは、不登校時の体験や心情などを発信していくことで、今現在同じような想いをしている方、あるいはその保護者の方々のお力になれれば、と思い至ったからです。

以下、簡単ですが私の経歴を載せておきます。(個人情報保護のため、一定の地名などは伏せます)



小学校卒業

→引っ越し

→中学ほぼ三年間不登校

→中学卒業後、二年間引きこもり・アルバイト

→高校進学

→大学進学も一年で中退

→6年間フリーター

→再受験し、国立大学の医学部に進学



最後の経歴だけ少し詳しいのは、「これで少しは親孝行になるかな」と私がうれしかった!

のもありますが、不登校でも、年齢を重ねても「目標」を見つけて努力するのに遅いということはないんだよ!と言いたかったからです。



それでは、初回の挨拶はこれくらいにして。

このブログを見て少しでも心が軽くなったというような方がいれば幸せです。
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前回のあらすじ。
ちょっと勉強できるようになったよ!


そんなこんなで進学を考えるようになったのですが、実は当時から医師への憧れはありました。
しかし、そもそも進学校ではなかったこともあり(当時の偏差値を調べてみたら38でした!)
・ハイレベルな指導が不可能
・そもそも私が理系苦手…
という2点から、その道は諦めました。

昔父が「大学は目標がなければ行かなくていい。」というようなことを言っていた記憶があったので、私としてはこの時点で大学受験もしないつもりでした。
しかし、ある日両親と進学について話した際に、「行かなくてもいいけど、受験も大学もそれはそれで経験。一回やってみるのもいいのでは。」という話になり、方針転換します。

そうと決まれば次は志望校選びです。
とは言っても、私自身大学に関する知識はほとんどなかった(進路指導のようなものもあまりされた覚えがない)ので、「…経験てことだし、とりあえず1番有名なとこ受けるか!」というノリで志望校を決定しました。


東京大学。


1番有名と言ったらやっぱりここですよね!
…当時はほんとに何も考えてなかったのでしょう笑
ちなみに「文系は暗記すればいけるのでは?」という安直な考えから文科一類を目指すことにしました。
だいたい2年の終わりくらいの時期だったかなと思います。


今回はここまで!
次回は「受験編」?

学生の本分?

というわけで勉強のお話なのですが、とりあえず入試時のアンケート?の希望通り、進学コースに入れました。
アンケートはなんとなくくらいの気持ちでしたね。

進学コースとはいっても、以前の投稿でも書いたように、その高校は不登校児の受け入れも行なっていたため、中学の勉強から、1どころか0からのスタートでした。
英語なんかみんなで「あっぽー」とか言ってましたね笑

朝は単語や漢字のテストで基礎力をつける、夜は寮で自習時間が設定されるなど、今考えるとそれなりに良い学習環境で過ごしていたと思います。
…当時はそれなりにサボっていましたが笑

先生の力も大きかったです。
一年時の担任は主任寮監も兼任されていたのですが、生徒想いの熱血先生で、根気よく基礎力の向上を図っていただきました。

そういえば、一年時から英検・漢検を受けさせられていました。(三級から?)
あとで聞いたところ、自信を失っている不登校児に何か達成感を味わってほしい、という趣旨のようでした。


そんな感じでお先真っ暗状態スタートでしたが、徐々に模試なども受けるようになり、大学進学も視野に入ってくるようになりました。
長くなりそうなので、今回はここまで。
次回は「進路編」、と言ったところでしょうか。

では。

前回までのあらすじ:そうだ、高校行こう。

 

 

入試ではちゃんと名前は書けたので、無事高校に入学できました!

というわけで高校生活が始まったのですが、全寮制ということもあり、その環境はかなり特殊で、入学早々ホームシックとなっている生徒もちらほらいました。

私はというと、まったくそのようなことはなく、むしろ先輩や同級生との生活は毎日が修学旅行のようなもので、基本的には楽しかったです。

まあ私が同級生よりも2歳年上であるということも影響していたかもしれません。

ちなみに、卒業まで私の年齢のことは公にしていませんでした。(うすうす気づいていた人はいるかも?)

これは隠したかったというよりも、言うタイミングを逃した感が大きいです。

 

友人・先輩・後輩にも恵まれました。

不登校児が多かったので精神的な弱さを見せる子も多かったのですが、根はいい子ばかりでした。

 

もちろん、楽しいことばかりだったわけではなく、悩んだこともありました。

最もつらかったのは1年生の後半でしたが、かなり重い話になってしまうので、ここでは詳細は述べません。(別記事で書く…かどうかもわかりません)

 

こうして日々を過ごしていた私なのですが、学内イベントの実行委員長や寮長など、次第にリーダー的ポジションに任命されることが多くなっていきます。

これも年齢的なものもあったのでしょうかね?

とにもかくにも、この時期に様々な経験をさせていただいたことは、何かにとりかかるときの効率や他者との交流、グループで活動する際の動きなどを身につけることにつながり、非常に大きな財産になったと感じています。

 

 

生活編はこれくらいですかね。

また思い出したら付け足そうと思いますが、何せ10年以上前の話なので(笑)

次は学業編などになりますかね!

では。

 

 

お久しぶりです。

夏休みですね!(早い)

 

というわけで近況なのですが、実は今年度に入ってから不登校のお子さまの家庭教師をしています。

当初はやはり自分に努められるかという点が不安でしたが、今では私自身その子と話すのがとても楽しく、訪問日を心待ちにしています。

今まで「この経験を活かしたい」とは思いつつも自分の中で糧にしていくことしかできていなかったのですが、私が関わることでそのご家庭に何か良い影響を与えることができていれば、これほど嬉しいことはないと思っています。

本当に機会をいただいたことに感謝ですね。

 

では、暑さも増してきましたが皆さまご自愛ください。

私もしっかりと水分を取りながら、コロナ禍の夏を楽しもうと思います!

 

 

さて、前回までの記事でプチ社会復帰をしていた私ですが、ある日こんなことを思います。

 

「…さすがに中卒だと生きてくの大変じゃね?」

 

当時働かせていただいていたのはあくまでも知り合いのつてであって、中卒の若造を雇ってくれるところなんて数えるほどなのでは、と気付いたのです。

そしてあることを決断します。

 

 

「よし、高校行こう。」

 

 

決心したはいいもののどうすればいいかわからなかったため、とりあえず母に言ってみることにしました。

 

母に伝えた時の光景ははっきりと覚えています。

夕方、母がキッチンで夕食を作っているときでした。

その背中に向かって「高校に行きたい。」と声をかけた瞬間、母がこちらを振り向き、泣き崩れました。

その姿に、「あー、こんなに苦しめていたんだな。」と再確認させられたことを覚えています。

母が落ち着くのを待って、それからの話を始めました。

 

幸いなことに、中学の時の担任から不登校も受け入れてくれているような高校の資料をいただいていました。

県外の全寮制の高校でしたが、むしろその環境ならば再び不登校になるようなことも起きにくいのではないかということと、名前さえ書けば入学できるといった点からそちらの見学に行くことに決めました。

 

その後見学、入試を経て私はその高校に入学することとなります。

 

 

今日のお話はここまでです。

今振り返ると、ほんとにふと心に浮かんだという感じだったと思いますね(笑)

もちろん、前回までに書いた様々な人の力添えがきっかけとなったことは間違いないです。

 

次回以降は高校入学後のお話を書いていきたいと思います。

では。

前回の続き。

 

 

2つ目は、ある本との出会いです。
タイトルは「ただ、マイヨジョーヌのためでなく」、父が同僚から借りたものを私に勧めてくれました。

著者はランス・アームストロングさんで、彼の自伝です。
本の内容を簡潔に紹介すると、彼は若くして世界選手権を制するなど、将来を有望視されていた自転車選手でしたが、ガンになってしまいます。
しかし、彼はそれを克服し、のちに世界最大の大会といわれるツールドフランスで7連覇を達成します。

この本の中で私が最も印象に残っているのは、次のような言葉です。

「がんは、私の人生で起こった最良の出来事だ」

世界選手権を制した当時、彼は非常に傲慢だったと回想しています。
しかし、がんという出来事を経験し、他人を思いやる気持ちを持てた、がんが人として成熟させてくれた、というようなことを述べていました。



この言葉を見た時は衝撃でした。
一般的に見ればガンになるというのは、最悪に近い出来事に分類されるはずです。
それが最良だったというのはどういうことだろうと。
読了したとき、ある考えが自分の中に浮かんできました。

自分から・他人から見てどんなに悪いことでも、自分の中で、その後の行動でその意味を変えることができるのではないか。
この人のように、自分もいつか「不登校を経験してよかった」と言える日を自分で作れるのではないか。

 

まぁ後々考えると、割と世にあふれている考え方ですよね(笑)

しかし、このような思考ができるようになったことで、私は前回の記事で書いたバイトも受けることができましたし、この考え方は今でも私の指針となっています。

 

 

 

社会復帰のきっかけのお話は以上です。

ちなみにランスさんですが、のちにドーピングがばれて7連覇の称号をはく奪されるというオチもついています(笑)

それでも私の人生に大きな影響を及ぼした、という点で彼に対するリスペクトは失っていません。

 

ではまた。

 



 

お久しぶりです、予定を詰め込みすぎてぼろぼろなじこぼうです。

今回は過去話の続き、プチ社会復帰のお話です。

中学卒業後、高校に進学するわけでもなく日常を消化していた私でしたが、その後の人生に大きな影響を及ぼすことになる2つの出来事を経験します。

1つはアルバイトを始めたことです。
小学校時代から親しかった友人の家が自営業だったのですが、ありがたいことにそのお父様が私の状況を見かねて「うちで働かないか」と声をかけてくださいました。
お店は観光地の土産店で、仕事は接客業でした。
この経験は、今でも自分の中でかなり大きな意味を持っています。
過去の記事で書いたように、当時の私はかなりの人見知りだったのですが、仕事で観光案内をしたりさまざまなお客様と接する中で、それが解消されていったのです。
今では友人から「コミュ力お化け」と言われるまでになってしまいました笑

「誘われたからって引きこもりがいきなり⁉︎」と思う方も多いと思うのですが、それには2つ目の出来事が関係しています。
長くなりそうなのでそれはまた次回に、それでは。

今日は再受験生(特に医学部)向けのお話です。

 

受験というイベントには、志望校をどうやって選ぶのかという問題がついて回ります。

みな、偏差値/立地/知名度/就職率/金銭的事情、なんかを考慮しつつ受験校を絞り込み、試験に臨みます。

医学部受験においては、国家試験合格率/再受験や多浪の寛容度なんかもメジャーな問題となるでしょう。

しかし、今回注目したいのは別の指標になります。

 

それは、「進級率」です。

 

他学部と同様に医学科でも留年が発生します。

「当たり前やん」と思う方もいらっしゃると思いますが、医学科の進級というのは特殊な事情も関わっているというのが通説です。

この特殊な事情というのは先ほど出てきた、国家試験合格率というものですね。

この数値は医学部のブランド力に直結するということもあり、かなり厳しい進級判定を用いてふるい落としをする大学(特に私立)も存在します。

実際に留年してしまった場合、私立ともなると数百万円単位で臨時の出費をしなければならない事態になります。

 

金銭的な面はさておき、もっと大きな問題がありますね。

もちろん、「時間」です。

医学科というのは、ただでさえ卒業までに6年という長い期間を要します。 

アラサー再受験生からすると、卒業するころには30半ばですし、一人前になるのはいつになることやら、といった感覚です。

私のような再受験生からすると、留年で失う一年というのは、現役あるいはそれに近い年代の子らとは比較にならないほど大きな意味を持っているように思います。

 

というわけで、留年は天敵!という再受験生の強い味方が「進級率」という指標になります。

 

偉そうに言っていますが、実は私も入学後にこの重要性に気づきました。

ちょうど昨年のこの時期でしたか、他大学の医学科に進学した友人から「もう留年が数人…」という話を聞きいて驚きました。

私の大学ではそのような気配が全くなかったからです。

調べてみるとなるほど、私の大学の進級率は全国でもそれなりに上位に入っていました。

確かに、試験に関してはある程度の勉強をしていれば落ちることはない程度のレベルですし、教員も救済措置などかなり寛容な印象があります。

試験のたびに「この大学ゆるゆるだよな。」と友人と話しています(笑)

 

「それで国家試験大丈夫なの?」という声も聞こえてきそうですが、大丈夫です。

国家試験ともなればどうせみんな必死になって勉強するので、そこに大学内の試験のレベルはあまり関わってこないだろう、というのが私の印象です。

むしろ下手に難しいものを課されるよりも、簡単でもいいので基本的なことを固めさせてくれるような試験のほうが後々いいのではないかとさえ思います。     

 

と、これくらいですかね。

進級率のデータは「進級率 医学部」などで検索をかけるとすぐに出てくるので、医学部の受験を考えている方はちらっと参考にしてみてください。

 

では。





無事に試験も終わり、春休みに突入!
ということで、昨日は近況報告も兼ねて恩師に食事に連れて行ってもらいました。
いろいろ話せてよかったのと、お肉美味しかった…🤤



その様子を恩師が「本当に楽しそう」とブログに書いてくださったのですが、そうなんです。
私、本当に今が楽しいんです。

今までの人生が悪いことばっかりだったとか、つまらなかったとかそういうことではありません。
人に恵まれて生きてきたなと実感しています。

でも、目標に向けて勉強して、バイトをして、趣味にも時間を使えて、いろいろな人と出会えて、そして何より多くの友人に囲まれている、これほど楽しく感じる時間は初めてです。
先日も誕生日だったのですが、こんな状況下でもいろいろと工夫を凝らしてくれ、ささやかながらも一日中色んな人に祝っていただきました。
本当に幸せなひとときでした。


まぁ何が言いたいかというと、不登校/引きこもりだった当時の私からは、想像もできないような体験をしているということです。
この問題は簡単に解決できることではないし、時間がかかるものであるかもしれません。
「一歩踏み出す」ということ自体がとても勇気のいることで、その先に悪いことが待っていることもあるでしょう。

でも、楽しいことも待っているかもしれない。

いいにせよ悪いにせよ、踏み出した先にはきっと見たことのない光景が待っているでしょう。
目指す道や幸せの形は人それぞれであると思いますが、その選択肢を狭めた状態でいるのはひどくもったいないことであったのかな、と今となっては思えます。

昔の私と同じ状況で苦しんでいる方々にはいつか、時間はかかるかもしれませんが、「今が楽しい!」と心の底から言えるものを見つけて欲しいと思います。
 

急にアクセス数が20倍程度に跳ね上がり困惑中のじこぼうです。

どうやら先日連絡を取った予備校時代の恩師がブログで私のことを紹介してくれたのが原因のようで…ありがとうございます。

これはあまり更新をさぼれないですね(笑)

 

その効果もあって、受験に関すること/不登校に関することでいろいろメッセージをいただきました。

今回はその中でも多かった、不登校児を抱えた親はどうしたらいいのか、という点を不登校児の視点で話していきたいと思います。

なお、完全に私個人の主観での意見であることはご容赦ください。

 

 

 

私が不登校になった当初は両親としてもどうしていいかわからず、なんとか学校に行かせることはできないかと考えていたと思います。

前回お話した、「再度の引っ越し」という行動もそれが表れたものでしょう。

では、そこまで思い切った行動をしたにもかかわらず、相も変わらず不登校を続ける息子に彼らはどうしたと思いますか?

 

両親は、私を責めませんでした。

 

「引っ越したら行くって言ってたじゃないか!」と怒られても仕方がないはずですが、それをしなかった。

これは本当にありがたかったです。

というのも、当時の私は自分で二つのプレッシャーを感じるようになっていたからです。

 

その二つというのは

①両親に家まで購入させたという事実:そこまでの金銭的負担を強いたということと共に、「何とかしてこの家を将来維持できるようにならなければならない」というプレッシャー。

②家族をバラバラにしたという事実:私には3歳上の姉がいるのですが、姉は再引っ越しのときに当時通っていた高校の寮に入り、1人でその地に残ることを選択しました。やはり寂しい思いもしたと思います。

というものです。

 

「じゃあ行動すればいいじゃん。」という意見があるのも重々承知です。

今の自分からしてもなんとかできなかったのかな?と思うこともありますが、当時の私はこれらの重圧で余計に身動きが取れなくなっていました。

そこに両親からの叱責が加われば、私のこころは持たなかったのではないかと思います。

 

 

では、両親は私のことを諦めたから責めることすらしなかったのでしょうか?

 

これも違います。

叱責の代わりに、両親はとにかく息子とコミュニケーションをとることを選んだようです。

今までゲームなんてしたことのなかった父が一緒にゲームをしてくれました。

「これ面白かったよ」と本を渡してくれました。

私が少しでも興味を持ったことを、一緒になってやる/全力で応援してくれました。


もちろん、「将来どうするの。」と言いたかったに違いないでしょう。

周りの目もありますし、直接/間接的に何か言われたこともあったようです。

しかし、彼らは根気強かった。

本当にすごいことだと思います。

そして私はこのことから、社会復帰への第一歩を踏み出すことになります。

 

 

 

と、今日のお話はここまでです。

 

・子どもの現状をありのままに受け入れ

・同じ目線で対話を重ねる

 

難しいこととは思いますし、すべての例に当てはまるわけではないのですが、何かの参考になったら幸いです。

 

 

あ、ただいま絶賛試験期間中なので更新が途絶えてもご容赦ください(笑)