正直、大地震はいままで経験がなかった。
あっても、暴風雨でクルミ拾いや栗拾いで、幼い時の自分はむしろ遊んでいた。
しかし、天変、大変だ。
喜びも悲しみも、人の営みすべてに襲いかかる。
老朽化した母の家は、特に揺れが激しかった。
父と母の3軒目の家は老朽化で、相対的に尚更悲惨だ。
タンスが倒れ、他人の産廃ゴミ山が崩壊し、埃だらけのコンセントが露出し、
火災が起きないのが不思議に助かった。
豪雪時の雪の重みに変形している間口や動かずのどドアが外れる事さえ幸運に作用した。
ゴミ屋敷の幸運か。悲運か。もうわからない。
これで全部終わりなのかと。まだ生きていたい。
新潟県中越沖地震は、2007年(平成19年)7月16日10時13分23秒に発生。
新潟県中越地方沖を震源とする地震。
地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.8。
(2004年の新潟県中越地震以来のマグニチュード6以上および震度5弱以上。)
長野県北部地震は、2011年3月12日3時59分15秒頃、長野県北部の新潟県との県境付近で
発生した逆断層型直下型地震。
マグニチュード(M)6.7の最大震に続いて、M5以上の2回の余震が相次いで発生した。
当時事態が深刻になれば成る程、行くべきところは諦めずに、時には一緒に、時にはおんぶもして親子でめげずに。
1日かけて警察署へ、1日かかる年金事務所へ、最寄りの3金融機関で取引履歴請求も1ヶ月かかり上級農協にも、2偽造通帳、2印鑑、2カードの停止、再発行と年金調整、労働監督署、保健所、隣接自治体の長野市役所高齢虐待職員、長野法テラス紹介高齢弁護士、信濃毎日新聞社にFAX、昔からの近くの床屋さん、駅前の行きつけ喫茶店、福祉協議会若い女性職員、区役所福祉女性職員、包括支援センター2名等。
ある時は、家の前での加害者側と延々と、
『警察に通報したから来るまで、入るな、入るな、入るな、入るな、警察呼んだから・・・・・』を大声で繰り返し1時間ほど。
唯一の昔からの県立病院主治医への処方箋見直しを、婦長んは過去の救急搬送の経緯等。
複雑骨折と血気胸の診断書を1日かけて、路上暴行時の診断書も私の傷害診断書なども。
いじめ4層構造での、観衆者名、傍観者名、推進者名、黙認者名の図式化、MAP化と
加害者名を含めた黙認公的機関、金融機関、地元企業関係、合計約40名以上を確認。
究極の証拠隠滅で拉致されましたが、ここまで可視化騒動化したのであれば、
もはや見え見えの殺人はないと、無責任に仮設定しています。
せざるを得ないのです。
私の身体がすでに傷害とパニック障害をもって、精神的激痛を抱えて、
事件前の身体能力が広尾病院に20日程入院する程の事態です。
それでも自己責任のように、自分で何とかしたらと行政が責任放棄されては酷でしょう。
刑事事件絡みは国の行政の管理でしょうが。早期発見も。
何とかパニック障害、PTSD、適応傷害で停滞しています。
過去の類似の事例を探し、整理分析して、プランを練っています。
県外の姻族のいやらしさ、先手を打ってる親族も。
目黒区、世田谷区、墨田区、、横浜、川崎他の親族に数名が加担している事実。
父の香典帳から、母の電話帳から、母の日記から読み取れる他の事件もあります。
私の祖母が石縄に縛られ、貯水池で亡くなっています。
兄のいたずららしい。
高校生からの不良事実。国鉄ホームでの乱闘と線路への暴力で転落騒動等。
あさま山荘ライブを見いる父への暴行行為。
日本赤軍魅了の実態。
兄が14の時は私は4歳。20の時は10歳です。結婚1年28の時が私18で東京へ。
僻地の僻地農家の中卒の不良とお見合い結婚。
ネズミ講商売、会員制洗剤販売、天下一家の会。等あり。
住民トラブルで事業失敗。自殺者あり事件。
暴力団トラブル、ありです。
50年間、家庭内暴力に始まり、DV・ストーカー・児童虐待・育児放棄・高齢者虐待を繰返していました。
姉の途中から兄妹虐待を受け、育児放棄、過干渉、過保護で息子を車椅子障害者、姪は精神障害で法の科学に。脱出後は軟禁生活化。
私も18まで居たのですから地元の幼馴染に相談も、しかし。
父の親友の住職も85歳、母の見方の85歳前後です。
兄家族周辺の近隣の方、姉家族の近隣の方、母の弟家族の近隣の方、それぞれの孫たちの近隣の方達が黙認せざる人は数百人でしょう。(推定人口は6500のうちの500人未満、団塊の世代150人の集落)半径1キロでも隠蔽可能の過疎化です。
小さな集落の集合体の合併、合併、平成の大合併の集落に、角田一味が育って、根を張り、集落を支配し、支配された農民、商人、町役場職員等が高齢化で丸ごと隠蔽化。
いきなり、私が1人軽装で無防備で無知識で、反グレ集団の伏魔殿で一人正義孤立したのです。
長い間の50人近い素行不良町人と、それも町役場公認の村八分状態で、大正時代の美徳に興じている一味と暗中模索しながら、介護、擁護しながら身を削って対峙してました。
東京の仕事では、スーパーマンをせざるを得ませんでしたが、北の国では自然すら敵になります。
御嶽山にや古式村の瓦礫の中で、体を傷つけて、精神力も精魂つきた状態と類似します。
東京で今体を治し、精神力を回復しながら、リハビリ中に打開策を模索しながら、準備しながら、自暴自棄になりながら、希望を捨てずに何とか生きています。
他方10年後も見据えています。
順番でいけば、母が先に他界し、兄姉夫婦たちは先に逝ってくれます。
甥家族、姪家族、加害者親族と戦う(事実を明確にして背負って生きて行く事)ルートも。
相談された様々な福祉職員は即座に水際作戦を自分のためにするでしょう。
情けないが公務員でありながら。
何もしないことで、上からの処罰の無いことを、慣例のように、上司の命令指示で。
1日かけて警察署へ、1日かかる年金事務所へ、最寄りの3金融機関で取引履歴請求も1ヶ月かかり上級農協にも、2偽造通帳、2印鑑、2カードの停止、再発行と年金調整、労働監督署、保健所、隣接自治体の長野市役所高齢虐待職員、長野法テラス紹介高齢弁護士、信濃毎日新聞社にFAX、昔からの近くの床屋さん、駅前の行きつけ喫茶店、福祉協議会若い女性職員、区役所福祉女性職員、包括支援センター2名等。
ある時は、家の前での加害者側と延々と、
『警察に通報したから来るまで、入るな、入るな、入るな、入るな、警察呼んだから・・・・・』を大声で繰り返し1時間ほど。
唯一の昔からの県立病院主治医への処方箋見直しを、婦長んは過去の救急搬送の経緯等。
複雑骨折と血気胸の診断書を1日かけて、路上暴行時の診断書も私の傷害診断書なども。
いじめ4層構造での、観衆者名、傍観者名、推進者名、黙認者名の図式化、MAP化と
加害者名を含めた黙認公的機関、金融機関、地元企業関係、合計約40名以上を確認。
究極の証拠隠滅で拉致されましたが、ここまで可視化騒動化したのであれば、
もはや見え見えの殺人はないと、無責任に仮設定しています。
せざるを得ないのです。
私の身体がすでに傷害とパニック障害をもって、精神的激痛を抱えて、
事件前の身体能力が広尾病院に20日程入院する程の事態です。
それでも自己責任のように、自分で何とかしたらと行政が責任放棄されては酷でしょう。
刑事事件絡みは国の行政の管理でしょうが。早期発見も。
何とかパニック障害、PTSD、適応傷害で停滞しています。
過去の類似の事例を探し、整理分析して、プランを練っています。
県外の姻族のいやらしさ、先手を打ってる親族も。
目黒区、世田谷区、墨田区、、横浜、川崎他の親族に数名が加担している事実。
父の香典帳から、母の電話帳から、母の日記から読み取れる他の事件もあります。
私の祖母が石縄に縛られ、貯水池で亡くなっています。
兄のいたずららしい。
高校生からの不良事実。国鉄ホームでの乱闘と線路への暴力で転落騒動等。
あさま山荘ライブを見いる父への暴行行為。
日本赤軍魅了の実態。
兄が14の時は私は4歳。20の時は10歳です。結婚1年28の時が私18で東京へ。
僻地の僻地農家の中卒の不良とお見合い結婚。
ネズミ講商売、会員制洗剤販売、天下一家の会。等あり。
住民トラブルで事業失敗。自殺者あり事件。
暴力団トラブル、ありです。
50年間、家庭内暴力に始まり、DV・ストーカー・児童虐待・育児放棄・高齢者虐待を繰返していました。
姉の途中から兄妹虐待を受け、育児放棄、過干渉、過保護で息子を車椅子障害者、姪は精神障害で法の科学に。脱出後は軟禁生活化。
私も18まで居たのですから地元の幼馴染に相談も、しかし。
父の親友の住職も85歳、母の見方の85歳前後です。
兄家族周辺の近隣の方、姉家族の近隣の方、母の弟家族の近隣の方、それぞれの孫たちの近隣の方達が黙認せざる人は数百人でしょう。(推定人口は6500のうちの500人未満、団塊の世代150人の集落)半径1キロでも隠蔽可能の過疎化です。
小さな集落の集合体の合併、合併、平成の大合併の集落に、角田一味が育って、根を張り、集落を支配し、支配された農民、商人、町役場職員等が高齢化で丸ごと隠蔽化。
いきなり、私が1人軽装で無防備で無知識で、反グレ集団の伏魔殿で一人正義孤立したのです。
長い間の50人近い素行不良町人と、それも町役場公認の村八分状態で、大正時代の美徳に興じている一味と暗中模索しながら、介護、擁護しながら身を削って対峙してました。
東京の仕事では、スーパーマンをせざるを得ませんでしたが、北の国では自然すら敵になります。
御嶽山にや古式村の瓦礫の中で、体を傷つけて、精神力も精魂つきた状態と類似します。
東京で今体を治し、精神力を回復しながら、リハビリ中に打開策を模索しながら、準備しながら、自暴自棄になりながら、希望を捨てずに何とか生きています。
他方10年後も見据えています。
順番でいけば、母が先に他界し、兄姉夫婦たちは先に逝ってくれます。
甥家族、姪家族、加害者親族と戦う(事実を明確にして背負って生きて行く事)ルートも。
相談された様々な福祉職員は即座に水際作戦を自分のためにするでしょう。
情けないが公務員でありながら。
何もしないことで、上からの処罰の無いことを、慣例のように、上司の命令指示で。
福祉シンポジウムに参加した。
毎回新鮮に見えました。
狭いながらも熱気を感じました。
たまゆら事件は、私たちの責任でもある。
なる名言を思い出しました。
14:00
色々あって、遅れて自転車で到着。
1F敷地入口階段、座ってのスマホ大好き誘導職員、第一村人遭遇。
やる気のない覇気のない受け答えと自己中無気力青年。
以前寒い中、なぎさ僚とホテルの間の角地交差点でずーと一人で立って、
プラカードを胸にかざして震えて居てくれた若い女性とは対比的で残念だ。
彼女は現場の弁護士たちとの立位置を理解している。
中では、自分の団体の理事が根本悪撲滅の真剣なレクチャーしてるのに。
その先生も、毎年同じ意味合いの話で疲労困憊感状態が伝わってくる。エール!
息苦しさが色んな意味で混在して、それでも楽しみに、すがりたくて、関わりたくて、
心にエールが欲しくて、まだ生きてるよと伝えたくて来たであろう
健気な人たちの無言なまなざしがいとおしい。
息抜きがてら少し歩いた煙草やさん店頭で外の空気を。
しばらくして、地図を持った(1日かけて町田から一人で来たという)
車イスの若者から、汚い格好している私に道を聞いてきた。
一緒に会場に行こう戻ろう、一緒に付いてくよ。
しかし、肝心な居るだけでいいはずの最初の村人がいない!
車イスを3Fまでどう行くの?
何処かにEVがあるはずだが?
何のための役割分担なのか、逃げてはいけないよ!
見えない所が大事だよ、僕!
馬脚を見てしまった。
彼がどんなにまともを事をことばを、
真似て着飾って強がって表で演じようが、素地と魂がないと取り返しがつかないよ!
裏腹だけが語れば語るほど露呈し恥ずかしくなるよ。
ま、自分を棚に上げて正論を発言するのはかまわない。
むしろ、いいことは正義は代弁者として活動してほしい。
自分も自覚しているはずだから還って可愛そうだ。
未熟な福祉職員と所詮は一緒と言うことか。
今日の明日の将来の福祉行政が心配だ。
なにやってるんだ!といってくれる優しい上司の精神ベースはここにはない。
木曽(基礎)は山の中、貧困のなかに埋もれている。
この光景が被災地でなくて良かった。
いや何処でもあってはいけない!。
20:00
地元の最寄り駅で福島被災団体が特産品販売と募金箱があった。
考えて、小銭全てを人生初めて的に渡した。
今日のおかずはコロッケ1個でいい、それでいい、それがいい。
コロッケも主役になれるし、涙ぐんで大切に食べられるし、いま生きてる自分を確認できる。生きてていんだ。あるときの、NON*NPO支援団体のけして美味しいとは言えないレトルトカレーだけど、最高に嬉しい泪のカレーを思い出して。被災者を思い出して、老いた母を慕って。
振替休日とは知らなっかた。
13:00
予報では終日雨模様。
しかし、降りそうで降ってない。
最近の日課の梅ヶ丘駅経由図書館へ。
今日は月曜日だからと。
豪徳寺駅に昨日の団体が?
目の前の長い時間をかけて常連になったマクドナルドカウンターに。
すごそこに、100円コーヒーを10杯届けてもらえるかなー?と。
いいですよ。と承諾してくれて1100円を。
自分は店内2F窓の観察できる席で、タブレットWIFI操作。
中々期待する光景がない。
注文時、名前を聞かれて、伊達直人と答えたのだが。
クルーが来て、伊達さんでは受け取れないらしい。
昨日の募金した人と伝えて下さい。と返答。
受け取ってくれないと11杯はいくら何でも飲めない。
伊達直人full nameの冗談が通じない。
先方も純粋でいじらしい。
ようやく名を知らない者が窓辺と支援者と遠く会釈した。
クルーがまた来て、店を出たら来て下さい。のメッセージを伝達してくれた。
15分のドラマで混乱させてしまった。
これも、私のお節介のヤブネビだ。
店を出て無言で自転車で通り過ぎた。
少し先で振り返ったら、
大きな大量旗を振っててくれた。
ありがとう。と受け止めた。
雨が激しくなってきた。
いろいろあるけど頑張ろうねと自分にもささやいた。
また、東京に来てください。
できる事は小さいけれど、現地の仲間に。思い出を伝えて下さい。
忘れてませんよと。
当分コロッケ生活が続きそうだ。
100円缶詰のローソン100は私の冷蔵庫と勝手に決めている。
何時からきて、どこで泊まっているんだろう。
風呂は入れているのかな。
まさか車中で?。
7.8人のおじさんおばさんお兄さん。
黒字でありますように。
政府何やってるんだ!
前に前に、お金を出さないと!
毎回新鮮に見えました。
狭いながらも熱気を感じました。
たまゆら事件は、私たちの責任でもある。
なる名言を思い出しました。
14:00
色々あって、遅れて自転車で到着。
1F敷地入口階段、座ってのスマホ大好き誘導職員、第一村人遭遇。
やる気のない覇気のない受け答えと自己中無気力青年。
以前寒い中、なぎさ僚とホテルの間の角地交差点でずーと一人で立って、
プラカードを胸にかざして震えて居てくれた若い女性とは対比的で残念だ。
彼女は現場の弁護士たちとの立位置を理解している。
中では、自分の団体の理事が根本悪撲滅の真剣なレクチャーしてるのに。
その先生も、毎年同じ意味合いの話で疲労困憊感状態が伝わってくる。エール!
息苦しさが色んな意味で混在して、それでも楽しみに、すがりたくて、関わりたくて、
心にエールが欲しくて、まだ生きてるよと伝えたくて来たであろう
健気な人たちの無言なまなざしがいとおしい。
息抜きがてら少し歩いた煙草やさん店頭で外の空気を。
しばらくして、地図を持った(1日かけて町田から一人で来たという)
車イスの若者から、汚い格好している私に道を聞いてきた。
一緒に会場に行こう戻ろう、一緒に付いてくよ。
しかし、肝心な居るだけでいいはずの最初の村人がいない!
車イスを3Fまでどう行くの?
何処かにEVがあるはずだが?
何のための役割分担なのか、逃げてはいけないよ!
見えない所が大事だよ、僕!
馬脚を見てしまった。
彼がどんなにまともを事をことばを、
真似て着飾って強がって表で演じようが、素地と魂がないと取り返しがつかないよ!
裏腹だけが語れば語るほど露呈し恥ずかしくなるよ。
ま、自分を棚に上げて正論を発言するのはかまわない。
むしろ、いいことは正義は代弁者として活動してほしい。
自分も自覚しているはずだから還って可愛そうだ。
未熟な福祉職員と所詮は一緒と言うことか。
今日の明日の将来の福祉行政が心配だ。
なにやってるんだ!といってくれる優しい上司の精神ベースはここにはない。
木曽(基礎)は山の中、貧困のなかに埋もれている。
この光景が被災地でなくて良かった。
いや何処でもあってはいけない!。
20:00
地元の最寄り駅で福島被災団体が特産品販売と募金箱があった。
考えて、小銭全てを人生初めて的に渡した。
今日のおかずはコロッケ1個でいい、それでいい、それがいい。
コロッケも主役になれるし、涙ぐんで大切に食べられるし、いま生きてる自分を確認できる。生きてていんだ。あるときの、NON*NPO支援団体のけして美味しいとは言えないレトルトカレーだけど、最高に嬉しい泪のカレーを思い出して。被災者を思い出して、老いた母を慕って。
振替休日とは知らなっかた。
13:00
予報では終日雨模様。
しかし、降りそうで降ってない。
最近の日課の梅ヶ丘駅経由図書館へ。
今日は月曜日だからと。
豪徳寺駅に昨日の団体が?
目の前の長い時間をかけて常連になったマクドナルドカウンターに。
すごそこに、100円コーヒーを10杯届けてもらえるかなー?と。
いいですよ。と承諾してくれて1100円を。
自分は店内2F窓の観察できる席で、タブレットWIFI操作。
中々期待する光景がない。
注文時、名前を聞かれて、伊達直人と答えたのだが。
クルーが来て、伊達さんでは受け取れないらしい。
昨日の募金した人と伝えて下さい。と返答。
受け取ってくれないと11杯はいくら何でも飲めない。
伊達直人full nameの冗談が通じない。
先方も純粋でいじらしい。
ようやく名を知らない者が窓辺と支援者と遠く会釈した。
クルーがまた来て、店を出たら来て下さい。のメッセージを伝達してくれた。
15分のドラマで混乱させてしまった。
これも、私のお節介のヤブネビだ。
店を出て無言で自転車で通り過ぎた。
少し先で振り返ったら、
大きな大量旗を振っててくれた。
ありがとう。と受け止めた。
雨が激しくなってきた。
いろいろあるけど頑張ろうねと自分にもささやいた。
また、東京に来てください。
できる事は小さいけれど、現地の仲間に。思い出を伝えて下さい。
忘れてませんよと。
当分コロッケ生活が続きそうだ。
100円缶詰のローソン100は私の冷蔵庫と勝手に決めている。
何時からきて、どこで泊まっているんだろう。
風呂は入れているのかな。
まさか車中で?。
7.8人のおじさんおばさんお兄さん。
黒字でありますように。
政府何やってるんだ!
前に前に、お金を出さないと!
岩重孝さんだったか、小学館だったか、
ぼっけもん
と言うコミックがあります。
1978年から1985年の頃、じぶんを投影して愛読していました。
島耕作も最初から。
北の国からも、1990我らが青春の 傷ついても死ぬな!の迷言も。
「されど われらが日々」に辿り突くこと、手にしたのが数十年後。
全部がこころのバイブル。
主人公は、東京に夢を持ち、東京で揉まれます。
そして、故郷で生きていきます。
そんな、ぼっけもんを好きになった女性は、さらに賢いのです。
確か、加代子か加奈子と言う名前でした。
ちなみに、長野で出会って恋したひとは、加代子か加奈子ようなひと。
知的で綺麗。ICUが目標らしい。さすがは進学高。いい高校だ。
東京で再会できて、淡いほろ苦いでも心地いい失恋は宝物。
ところで、
ある時、彼女は彼にこう言うのです。
『あなたを生んだお母さんと暮らしたいの』と。
女性の母性は生まれた時からあるのですね。
受け継いで、繋いで、亡くなるまで。
北信州の自然はきびしいけれど、だからそれ以上に、ひとは力づよく暖かい。
ぼっけもん
と言うコミックがあります。
1978年から1985年の頃、じぶんを投影して愛読していました。
島耕作も最初から。
北の国からも、1990我らが青春の 傷ついても死ぬな!の迷言も。
「されど われらが日々」に辿り突くこと、手にしたのが数十年後。
全部がこころのバイブル。
主人公は、東京に夢を持ち、東京で揉まれます。
そして、故郷で生きていきます。
そんな、ぼっけもんを好きになった女性は、さらに賢いのです。
確か、加代子か加奈子と言う名前でした。
ちなみに、長野で出会って恋したひとは、加代子か加奈子ようなひと。
知的で綺麗。ICUが目標らしい。さすがは進学高。いい高校だ。
東京で再会できて、淡いほろ苦いでも心地いい失恋は宝物。
ところで、
ある時、彼女は彼にこう言うのです。
『あなたを生んだお母さんと暮らしたいの』と。
女性の母性は生まれた時からあるのですね。
受け継いで、繋いで、亡くなるまで。
北信州の自然はきびしいけれど、だからそれ以上に、ひとは力づよく暖かい。
DV、ストーカー、児童、いじめ、障害者虐待、高齢者虐待、など虐待事件や犯罪すべてにおいて
加害者側は人災でも、被害者側は天災かも知れません。
無力になって逃げることができないのですから。
お金があっても、経済知識があっても。
自然の中であっては通用しません。
御嶽山噴火被災しかり、東日本、そして中越地震など。
加害者側は人災でも、被害者側は天災かも知れません。
無力になって逃げることができないのですから。
お金があっても、経済知識があっても。
自然の中であっては通用しません。
御嶽山噴火被災しかり、東日本、そして中越地震など。
母の生まれは大正14年、安茂里らしいです。
一度母と1日かけて電車とタクシーと歩いて、訪ねました。
美しいりんごの畑が緩やかな段に。R18沿い。小施?バス停の写真を携帯で。
2度目は私だけで、どうしても読みたい専門書や関連ドラマDVDを。
聖者の行進(障害者虐待がテーマ、野島伸司は後輩)、
それでも僕はやってない(冤罪事件の悲劇)
手紙(東野圭吾、犯罪者の兄を持つ心情)など。
それから、感動した。基本コンセプトになった、
いのちの手紙(障害者虐待、施設虐待、公的機関が虐待加担、聖者の行進モチーフ)
尋常小学校からの今の故郷が無理なら、安茂里かな。
遺書には、「私と東京で生きて行く」と書いてあります。
あんな嫌いな東京でも、私と生きて生きたいと。
泪が止まりません。
長野市の虐待担当職員は、
どちらかが長野市市民であれば、我々はあなたつながりで関与しますと言ってくれました。
言うだけではなく、NPOの電話番号をそっとメモしてくれました。
一週間後、会いました。状況を少しだけ。
駅から善光寺に向かう途中を左折したところに、以前東京つながりのコスモスの会があります。
当時は、過払い訴訟の運動の初期の頃で、東京と重複して会員になって活動していました。
しかし、虐待案件と過払い案件がどう直接関連するのか悩みました。
後で、宇都宮弁護士、尾藤先生つながりで、もっとアプローチすればよかったかも知れません。
多分、今思えば、生活保護申請の同行、シェルター、新居でしょうか。
しかし、当時は下ろせないお金は十分あったのです。
山奥でカードが使える世界がこの世にあればですが。
高齢者虐待防止法、憲法も福祉法も理念をちゃんと備えている方です。
やはり泪がでました。
やっと繋がったのです。
その数日後、さらなる虐待が。
固定電話を止めてきました。
亡くなった父名義の数十年のいのちの電話を。
いずれ、電気も止めるのですが。
長野は、中学からの青春の街です。
夏期講習ゼミでの17の恋物語、進学会かな?Zはまだないか。
その後、文通、互いに浪人、東京で再会するのです。
とにかく、長野市は第二のふるさとです。
当時の長崎屋はありませんが、ご開帳は絶対無くなりません。一味とうがらしも。
長野は裏切らない街です。優しい街です。国際都市です。オリンピック後も。これからも。
一度母と1日かけて電車とタクシーと歩いて、訪ねました。
美しいりんごの畑が緩やかな段に。R18沿い。小施?バス停の写真を携帯で。
2度目は私だけで、どうしても読みたい専門書や関連ドラマDVDを。
聖者の行進(障害者虐待がテーマ、野島伸司は後輩)、
それでも僕はやってない(冤罪事件の悲劇)
手紙(東野圭吾、犯罪者の兄を持つ心情)など。
それから、感動した。基本コンセプトになった、
いのちの手紙(障害者虐待、施設虐待、公的機関が虐待加担、聖者の行進モチーフ)
尋常小学校からの今の故郷が無理なら、安茂里かな。
遺書には、「私と東京で生きて行く」と書いてあります。
あんな嫌いな東京でも、私と生きて生きたいと。
泪が止まりません。
長野市の虐待担当職員は、
どちらかが長野市市民であれば、我々はあなたつながりで関与しますと言ってくれました。
言うだけではなく、NPOの電話番号をそっとメモしてくれました。
一週間後、会いました。状況を少しだけ。
駅から善光寺に向かう途中を左折したところに、以前東京つながりのコスモスの会があります。
当時は、過払い訴訟の運動の初期の頃で、東京と重複して会員になって活動していました。
しかし、虐待案件と過払い案件がどう直接関連するのか悩みました。
後で、宇都宮弁護士、尾藤先生つながりで、もっとアプローチすればよかったかも知れません。
多分、今思えば、生活保護申請の同行、シェルター、新居でしょうか。
しかし、当時は下ろせないお金は十分あったのです。
山奥でカードが使える世界がこの世にあればですが。
高齢者虐待防止法、憲法も福祉法も理念をちゃんと備えている方です。
やはり泪がでました。
やっと繋がったのです。
その数日後、さらなる虐待が。
固定電話を止めてきました。
亡くなった父名義の数十年のいのちの電話を。
いずれ、電気も止めるのですが。
長野は、中学からの青春の街です。
夏期講習ゼミでの17の恋物語、進学会かな?Zはまだないか。
その後、文通、互いに浪人、東京で再会するのです。
とにかく、長野市は第二のふるさとです。
当時の長崎屋はありませんが、ご開帳は絶対無くなりません。一味とうがらしも。
長野は裏切らない街です。優しい街です。国際都市です。オリンピック後も。これからも。
姥捨山はわが町か。それでいいのか。まずいだろう。
孤立、孤独との戦いと、困難、理不尽との戦いで疲弊して長い。
1998年までは、
相変わらず仕事が365日24時間体制で忙殺。
自宅学大と築地事務所と渋谷事務所とクライアント事務所と下北沢、青山、赤坂、渋谷。
タクシー代とバイク便代で、20万/月は当たり前。
朝は6時出社で深夜まで。
タクシーがコールセンター化。
電通社員もうつ自殺する訳だ。
仕事中心すぎると、私生活が亡くなる。その影響の虚しさの原因が解らず、只々踠いてた。
(今思えば、18歳からで現在も進行形だけど。)
1998年からは、
専門性を生かせる関連事業として、第二の人生設計のコンセプト事業に取り組んだ。
青山に事務局を作り、神宮前でギャラリーを開いた。
学芸大と下北沢の二重生活覚悟で、下北沢に住居を構え、近くで斬新なCAFFを作った。
中型イベントを2つ企画し、計画して実行した。
赤坂では、コンセプトBARを、その近くでネットCAFFを準備。
どれも基本は、期間限定、実費感覚ボランティア調の低料金システム。
そして、すべてのベースコンセプトは、
明日天気になあれ、あたし天気になあれ。
それなりの成果はあった。
他方、課題と問題が残った。
パンドラの箱を開けてしまったのだ。
箱に残ったものは、希望の予兆。
そして、その予兆が、後からしか判らない現実が。
愛するひとたちの見えない闇が、貧困が津波のように、
静かに、そして音を立てて襲って呑まれてしまった。
ミイラ取りがミイラに。
4000万近くの貯金を得る反面、同時刻、田舎の独り身の叔母が
4000万近くの財産を悪意の親族たちから、略奪されていたのだ。
そして、老親も。独り身になった母までも。
甥、姪は生きてはいるが障害者に。
DV夫婦の加護のなかで。
深刻で悲惨に生命、財産、尊厳を破壊されたのだ。
東京の私だけには、秘密裏に。
何で、密室状態で犯罪を繰り返すのだろうか。
加害者は当然か。悪意の計画だから。
ただ、天の知らせが無い。
いや、1997年平成大合併がその予兆だったのだ。
夕張財政破綻が予兆だったのだ。
2000年前の企業合併が、都会の業態再編成が予兆だったのだ。
格差社会が社会問題化された時が、自分の問題として鈍感だったのだ。
自分が予兆に気づかなかったのだ。
お金があっても、何か足りない。
その何かの日々が、有うつで、じれったかった。
何かやらねばと思考しない者はいないだろう。
4年前から18歳で上京した豪徳寺にいる。
なぜか予兆がそうさせた。
総括的に、人の、住民の、行政の貧困ばかりが一杯ある。
あの若い頃の暮らしは貧乏で、部屋と代ゼミと掛け持ちバイトの日々の中にあった、
若さ、バカさの未熟者では気がつかなっかた社会はあった。
田舎出の小心者は、恋とお金と大学で頭が一杯なのだ。
誰も奥手で理想家なのだ。
世間知らずなのだ。
世間知らずが青春だった。
20代、30代、40代といろんな挫折を何とか乗り越えては来た。
それも常に、身一つ、借金から。
全ての長い借金の返済も終わり、貯蓄ができた。年に掛ける分。
50を前にして、早めの人生設計ができるはずだった。
親と一緒の介護できる環境作りを。
この4年、18ではなく50代で過ごすと、豪徳寺に希望の種がなくて、
相変わらず苦しんでる自分がいる。
しかし、35年来の親友を最近発見した。
唯一心のよりどころになった。
豪徳寺1丁目出身の警察署長が居たのだ。
当時、21の彼は私に、松山で警官になる。と。
なぜかは語らず。
それが最近やっと解ったのだ。
35年前のあの大きな根幹を揺るがした事件の火の元にいるが故の理由が。
それは、大人の君の信念と持ち前の正義心までもが揺るがした。
不思議とそれが解ると、今のあなたの立場が理解できる。
そうすると、何故か、もう一つの自分が見つかった。
生き方はこれでいいのだ。今までも、これからも。と。
君も私もあの時から信念は変わらない。ことを。
君の存在が、君と出会ったことが、短い間ではあるけれど、あの時だからこそ今の私の、
心のよりどころ になった。
今東京は、世田谷区は、豪徳寺周辺は、看過できない自治となっています。
疲弊しています。悪い貧困の虜に飲まれています。
鉱山のカナリアまでもが死に体になっています。
おごれる自治体の破綻の予兆があります。
あの大事件の検証を、自治体がしてなっかのです。
問題を先送りにしてきたのです。
そのツケを区民に押し付けているのです。
地元の区議会議員を見れば判ります。
若い時ほど、行政に関わりを持っておくべきだった。
信頼していいのかと。
絶対裏切らないのかと。
私利私欲、偽善者でないのかと。
その時の世田谷区の職員、政治家を基準にすれば、
その基準の低い事と、地方の田舎が更に低俗になっていると。
アンテナを持てたのに。
経堂の消防署員は日夜身体を鍛えていてくれてます。
北沢警察署員も頑張ってくれてます。自浄能力があります。
世田谷区福祉には今もそれがありません。
政治家、公務員の質が相対的に悪化しています。
地方の集落がもっと危ないです。
手遅れかもしれません。
天災が、人災が物語っています。
木曽は山の中 がれきの火山灰の津波の貧困の中にあります。
1998年までは、
相変わらず仕事が365日24時間体制で忙殺。
自宅学大と築地事務所と渋谷事務所とクライアント事務所と下北沢、青山、赤坂、渋谷。
タクシー代とバイク便代で、20万/月は当たり前。
朝は6時出社で深夜まで。
タクシーがコールセンター化。
電通社員もうつ自殺する訳だ。
仕事中心すぎると、私生活が亡くなる。その影響の虚しさの原因が解らず、只々踠いてた。
(今思えば、18歳からで現在も進行形だけど。)
1998年からは、
専門性を生かせる関連事業として、第二の人生設計のコンセプト事業に取り組んだ。
青山に事務局を作り、神宮前でギャラリーを開いた。
学芸大と下北沢の二重生活覚悟で、下北沢に住居を構え、近くで斬新なCAFFを作った。
中型イベントを2つ企画し、計画して実行した。
赤坂では、コンセプトBARを、その近くでネットCAFFを準備。
どれも基本は、期間限定、実費感覚ボランティア調の低料金システム。
そして、すべてのベースコンセプトは、
明日天気になあれ、あたし天気になあれ。
それなりの成果はあった。
他方、課題と問題が残った。
パンドラの箱を開けてしまったのだ。
箱に残ったものは、希望の予兆。
そして、その予兆が、後からしか判らない現実が。
愛するひとたちの見えない闇が、貧困が津波のように、
静かに、そして音を立てて襲って呑まれてしまった。
ミイラ取りがミイラに。
4000万近くの貯金を得る反面、同時刻、田舎の独り身の叔母が
4000万近くの財産を悪意の親族たちから、略奪されていたのだ。
そして、老親も。独り身になった母までも。
甥、姪は生きてはいるが障害者に。
DV夫婦の加護のなかで。
深刻で悲惨に生命、財産、尊厳を破壊されたのだ。
東京の私だけには、秘密裏に。
何で、密室状態で犯罪を繰り返すのだろうか。
加害者は当然か。悪意の計画だから。
ただ、天の知らせが無い。
いや、1997年平成大合併がその予兆だったのだ。
夕張財政破綻が予兆だったのだ。
2000年前の企業合併が、都会の業態再編成が予兆だったのだ。
格差社会が社会問題化された時が、自分の問題として鈍感だったのだ。
自分が予兆に気づかなかったのだ。
お金があっても、何か足りない。
その何かの日々が、有うつで、じれったかった。
何かやらねばと思考しない者はいないだろう。
4年前から18歳で上京した豪徳寺にいる。
なぜか予兆がそうさせた。
総括的に、人の、住民の、行政の貧困ばかりが一杯ある。
あの若い頃の暮らしは貧乏で、部屋と代ゼミと掛け持ちバイトの日々の中にあった、
若さ、バカさの未熟者では気がつかなっかた社会はあった。
田舎出の小心者は、恋とお金と大学で頭が一杯なのだ。
誰も奥手で理想家なのだ。
世間知らずなのだ。
世間知らずが青春だった。
20代、30代、40代といろんな挫折を何とか乗り越えては来た。
それも常に、身一つ、借金から。
全ての長い借金の返済も終わり、貯蓄ができた。年に掛ける分。
50を前にして、早めの人生設計ができるはずだった。
親と一緒の介護できる環境作りを。
この4年、18ではなく50代で過ごすと、豪徳寺に希望の種がなくて、
相変わらず苦しんでる自分がいる。
しかし、35年来の親友を最近発見した。
唯一心のよりどころになった。
豪徳寺1丁目出身の警察署長が居たのだ。
当時、21の彼は私に、松山で警官になる。と。
なぜかは語らず。
それが最近やっと解ったのだ。
35年前のあの大きな根幹を揺るがした事件の火の元にいるが故の理由が。
それは、大人の君の信念と持ち前の正義心までもが揺るがした。
不思議とそれが解ると、今のあなたの立場が理解できる。
そうすると、何故か、もう一つの自分が見つかった。
生き方はこれでいいのだ。今までも、これからも。と。
君も私もあの時から信念は変わらない。ことを。
君の存在が、君と出会ったことが、短い間ではあるけれど、あの時だからこそ今の私の、
心のよりどころ になった。
今東京は、世田谷区は、豪徳寺周辺は、看過できない自治となっています。
疲弊しています。悪い貧困の虜に飲まれています。
鉱山のカナリアまでもが死に体になっています。
おごれる自治体の破綻の予兆があります。
あの大事件の検証を、自治体がしてなっかのです。
問題を先送りにしてきたのです。
そのツケを区民に押し付けているのです。
地元の区議会議員を見れば判ります。
若い時ほど、行政に関わりを持っておくべきだった。
信頼していいのかと。
絶対裏切らないのかと。
私利私欲、偽善者でないのかと。
その時の世田谷区の職員、政治家を基準にすれば、
その基準の低い事と、地方の田舎が更に低俗になっていると。
アンテナを持てたのに。
経堂の消防署員は日夜身体を鍛えていてくれてます。
北沢警察署員も頑張ってくれてます。自浄能力があります。
世田谷区福祉には今もそれがありません。
政治家、公務員の質が相対的に悪化しています。
地方の集落がもっと危ないです。
手遅れかもしれません。
天災が、人災が物語っています。
木曽は山の中 がれきの火山灰の津波の貧困の中にあります。
野島伸司氏のメッセージを見つけた。
強くなることはないです
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです
人間は元々弱い生き物なんです
それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする
強くなるということは鈍くなるということなんです
痛みに鈍感になるということなんです
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する
痛みに鈍感になり優しさを失う
いいんですよ、弱いまんまで
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい
人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…
弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい
ここで言われている強さ弱さはおそらく
弱い=敏感=傷つきやすい=他人の痛みもわかる
強い=鈍感=傷つきにくい=他人の痛みもわからない
ということだと思います。
つまり能力的なものではなく、感受性の問題でしょうね。
鈍感な人間は人の痛みが分からないから、簡単に人を傷つけてしまう。
だから弱いままでいいのだけど、弱いままでいるのは辛いことだから、強くなろうとしてしまう。痛みをごまかしていく。
しかし傷ついた者の気持ちは、傷ついたことのある人間にしか分からない。
弱い人間ほど他人の痛みを理解し、優しくなれる。
人間は基本的に弱いんだということなんです。
人間は強くなりたいと願うものですけど、人間は基本的に強くなる必要がないというのが僕の考えです。 精神を強くするのではなくて、感じなくする…人の痛みとか悲しみというのは、絶対的に自分自身がベースになるわけですから、鈍感になってしまうと、相手に対する痛みとか悲しみというものも感じなくなってしまう。 自分の弱さが嫌で、何か強いものにすがることで強くなろうとする、あるいは強くなったと錯覚する瞬間に、人間は相手の痛みを喪失する。 その部分で、何かとんでもない事件が起こったりすると思うんです。
僕は、強さという鈍感な盾を造るよりは、弱い心を情緒で薄く何枚も包むような生き方の方がいいんじゃないのか、と思います。
「それは、人間は基本的に強くなる必要はない、ということ。 弱い心を、薄く何枚も情緒でくるむような生き方のほうがいいんじゃないの、と。 自分の弱さがいやで人は強くなろうとするけれど、それは、どこか鈍感になるということ。 他人の痛みにも鈍くなる。だから弱くていいんだ、と」
強くなることはないです
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです
人間は元々弱い生き物なんです
それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする
強くなるということは鈍くなるということなんです
痛みに鈍感になるということなんです
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する
痛みに鈍感になり優しさを失う
いいんですよ、弱いまんまで
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい
人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…
弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい
ここで言われている強さ弱さはおそらく
弱い=敏感=傷つきやすい=他人の痛みもわかる
強い=鈍感=傷つきにくい=他人の痛みもわからない
ということだと思います。
つまり能力的なものではなく、感受性の問題でしょうね。
鈍感な人間は人の痛みが分からないから、簡単に人を傷つけてしまう。
だから弱いままでいいのだけど、弱いままでいるのは辛いことだから、強くなろうとしてしまう。痛みをごまかしていく。
しかし傷ついた者の気持ちは、傷ついたことのある人間にしか分からない。
弱い人間ほど他人の痛みを理解し、優しくなれる。
人間は基本的に弱いんだということなんです。
人間は強くなりたいと願うものですけど、人間は基本的に強くなる必要がないというのが僕の考えです。 精神を強くするのではなくて、感じなくする…人の痛みとか悲しみというのは、絶対的に自分自身がベースになるわけですから、鈍感になってしまうと、相手に対する痛みとか悲しみというものも感じなくなってしまう。 自分の弱さが嫌で、何か強いものにすがることで強くなろうとする、あるいは強くなったと錯覚する瞬間に、人間は相手の痛みを喪失する。 その部分で、何かとんでもない事件が起こったりすると思うんです。
僕は、強さという鈍感な盾を造るよりは、弱い心を情緒で薄く何枚も包むような生き方の方がいいんじゃないのか、と思います。
「それは、人間は基本的に強くなる必要はない、ということ。 弱い心を、薄く何枚も情緒でくるむような生き方のほうがいいんじゃないの、と。 自分の弱さがいやで人は強くなろうとするけれど、それは、どこか鈍感になるということ。 他人の痛みにも鈍くなる。だから弱くていいんだ、と」
福祉職員と保健師の不受理体制が問題だ。
未熟な私の認識では、
みじかな行政とは、
市町村の役所と派出所と消防署と保健所と福祉事務所です。
この中で、警察(75点)と消防(95点)が一番頑張ってくれている。
24時間体制だからだ。
一件も不受理を出してはいけないと。
内規も厳しく日々見えない努力がある。
遅れるだけで、
察知が無いだけで、
予兆が無いだけで、
専門性が無いから
公務員モラルが乏しいだけで、
気づき、思いやりが無いだけで、
人は死んでしまうからだ。
ひとが亡くなると、ずーと悲しい。
庁内関係局部課長 皇宮警察本部長 殿 各都道府県警察の長 (参考送付先)
警察大学校長 科学警察研究所長 各地方機関の長
警察庁丙刑企発第103号、丙生企発第140号 丙企分発第47号、丙交企発第138号 丙備企発第121号、丙外事発第119号
平成24年12月6日 警察庁刑事局長 警察庁生活安全局長 警察庁交通局長 警察庁警備局長
告訴・告発の受理体制及び指導・管理の強化について 警察改革において、告訴・告発への取組の強化が指示され、取扱件数、処理に要する期間、擬律判断の複雑性等から、主として知能犯事件に重点を置いて対策 がとられてきたが、告訴・告発の適正な受理及び処理は、全ての事件について求 められているものである。
ところで、こうした取組の中、告訴・告発の相談をしても、疎明資料が十分に そろっていない、他の警察署が主となって捜査した方が効率的であるなどの理由 により、受理を保留したり、他所属を紹介して受理を拒む例があるなどの苦情が 依然として寄せられている。
こうした状況を踏まえ、「「「警察改革の精神」の徹底のために実現すべき施 策」に基づく各施策の着実な実施について」(平成24年8月9日付け警察庁甲官 発第222号ほか)においては、「告訴・告発については、告訴・告発センター等 一括した専務部門の窓口で、必要に応じ聴取・検討を直ちに行った上で迅速に受 理するものとし、本部事件担当課において、個別の案件ごとに指導・管理を徹底 する」こととされた。
被害に苦しみ犯人の処罰を求める国民にとって、警察は最後のよりどころであ り、国民からの告訴・告発に迅速・的確に対応することは、警察に課せられた大 きな責務である。
各都道府県警察においては、告訴・告発の的確な受理・処理の重要性を再度認 識した上で、下記により、告訴・告発について、被害者・国民の立場に立った迅 速・的確な対応を徹底されたい。
なお、本通達の対象となる告訴・告発は、全部門で取り扱う告訴・告発事件と する。ただし、既に、被害の届出が受理されるなど捜査中の事件に係る告訴・告 発は除く。
1 受理体制の整備
(1) 警察署における受理体制
記
原議保存期間10年 (平成34年12月31日まで)

現在、告訴・告発の相談がなされ、事件担当課が明確な場合は当該事件担 当課が責任をもって相談対応に当たっているが、告訴・告発がなされる事案 の中には、初期段階では処理すべき部門が不明確で、告訴・告発をしようと する者がどの部門に相談すべきか判然としないものもあり得るところ、その 者の立場からは、身近な窓口で当該事案に係る専門的知識を有する警察官に より迅速に受理されることが最も望ましい。
そこで、対応責任者及び対応担当者をあらかじめ指定した「警察署告訴・ 告発センター」等を設置することにより、告訴・告発の相談の聴取、担当課 の決定、受理・不受理の判断が迅速になされる体制を構築すること。
(2) 警察本部における受理等の体制 警察本部においても告訴・告発の相談を受けることがあることから、責任者及び対応担当者の要員を配置又は指定した「本部告訴・告発センター」、 「告訴・告発対応室」等(以下「「本部告訴・告発センター」等」とい う。)を設置し、告訴・告発しようとする者の便宜を図ること。
その際、告訴・告発の相談が「本部告訴・告発センター」等になされた場 合には、告訴・告発の取扱件数が多い都道府県警察にあっては特に、その他 の県警察においても可能な限り、「本部告訴・告発センター」等において受 理することに配意すること。
なお、迅速に受理するためには、直ちに告訴・告発の内容を聴取し、検討 し、また、警察署を指導する必要があることから、配置又は指定される要員 については、事件捜査の経験が豊富な警察官を充てること。
(3) 本部事件担当課との連携 告訴・告発の相談を受けてから、受理・不受理の判断までの間については、本部事件担当課との連携を密にし、早期に対応を図ることができるよう留意 すること。
2 本部事件担当課による指導・管理の徹底 現在、知能犯事件については、「知能犯罪に関する告訴・告発の受理・処理の適正化について」(平成24年1月20日付け警察庁丁捜二発第6号)等により、 告訴・告発の相談段階から本部捜査第二課がその内容を把握した上で、個別の 案件ごとにきめ細かな指導・管理がなされているところであるが、各都道府県 警察にあっては、知能犯以外についても、告訴・告発の相談段階から本部事件 担当課がその内容を把握した上で、個別の案件ごとに受理の可否・処理の方針、 進捗状況等をきめ細かに指導すること。
3 その他 細目的事項について必要がある場合には、警察庁各事件担当課から別途指示
することとする。
未熟な私の認識では、
みじかな行政とは、
市町村の役所と派出所と消防署と保健所と福祉事務所です。
この中で、警察(75点)と消防(95点)が一番頑張ってくれている。
24時間体制だからだ。
一件も不受理を出してはいけないと。
内規も厳しく日々見えない努力がある。
遅れるだけで、
察知が無いだけで、
予兆が無いだけで、
専門性が無いから
公務員モラルが乏しいだけで、
気づき、思いやりが無いだけで、
人は死んでしまうからだ。
ひとが亡くなると、ずーと悲しい。
庁内関係局部課長 皇宮警察本部長 殿 各都道府県警察の長 (参考送付先)
警察大学校長 科学警察研究所長 各地方機関の長
警察庁丙刑企発第103号、丙生企発第140号 丙企分発第47号、丙交企発第138号 丙備企発第121号、丙外事発第119号
平成24年12月6日 警察庁刑事局長 警察庁生活安全局長 警察庁交通局長 警察庁警備局長
告訴・告発の受理体制及び指導・管理の強化について 警察改革において、告訴・告発への取組の強化が指示され、取扱件数、処理に要する期間、擬律判断の複雑性等から、主として知能犯事件に重点を置いて対策 がとられてきたが、告訴・告発の適正な受理及び処理は、全ての事件について求 められているものである。
ところで、こうした取組の中、告訴・告発の相談をしても、疎明資料が十分に そろっていない、他の警察署が主となって捜査した方が効率的であるなどの理由 により、受理を保留したり、他所属を紹介して受理を拒む例があるなどの苦情が 依然として寄せられている。
こうした状況を踏まえ、「「「警察改革の精神」の徹底のために実現すべき施 策」に基づく各施策の着実な実施について」(平成24年8月9日付け警察庁甲官 発第222号ほか)においては、「告訴・告発については、告訴・告発センター等 一括した専務部門の窓口で、必要に応じ聴取・検討を直ちに行った上で迅速に受 理するものとし、本部事件担当課において、個別の案件ごとに指導・管理を徹底 する」こととされた。
被害に苦しみ犯人の処罰を求める国民にとって、警察は最後のよりどころであ り、国民からの告訴・告発に迅速・的確に対応することは、警察に課せられた大 きな責務である。
各都道府県警察においては、告訴・告発の的確な受理・処理の重要性を再度認 識した上で、下記により、告訴・告発について、被害者・国民の立場に立った迅 速・的確な対応を徹底されたい。
なお、本通達の対象となる告訴・告発は、全部門で取り扱う告訴・告発事件と する。ただし、既に、被害の届出が受理されるなど捜査中の事件に係る告訴・告 発は除く。
1 受理体制の整備
(1) 警察署における受理体制
記
原議保存期間10年 (平成34年12月31日まで)

現在、告訴・告発の相談がなされ、事件担当課が明確な場合は当該事件担 当課が責任をもって相談対応に当たっているが、告訴・告発がなされる事案 の中には、初期段階では処理すべき部門が不明確で、告訴・告発をしようと する者がどの部門に相談すべきか判然としないものもあり得るところ、その 者の立場からは、身近な窓口で当該事案に係る専門的知識を有する警察官に より迅速に受理されることが最も望ましい。
そこで、対応責任者及び対応担当者をあらかじめ指定した「警察署告訴・ 告発センター」等を設置することにより、告訴・告発の相談の聴取、担当課 の決定、受理・不受理の判断が迅速になされる体制を構築すること。
(2) 警察本部における受理等の体制 警察本部においても告訴・告発の相談を受けることがあることから、責任者及び対応担当者の要員を配置又は指定した「本部告訴・告発センター」、 「告訴・告発対応室」等(以下「「本部告訴・告発センター」等」とい う。)を設置し、告訴・告発しようとする者の便宜を図ること。
その際、告訴・告発の相談が「本部告訴・告発センター」等になされた場 合には、告訴・告発の取扱件数が多い都道府県警察にあっては特に、その他 の県警察においても可能な限り、「本部告訴・告発センター」等において受 理することに配意すること。
なお、迅速に受理するためには、直ちに告訴・告発の内容を聴取し、検討 し、また、警察署を指導する必要があることから、配置又は指定される要員 については、事件捜査の経験が豊富な警察官を充てること。
(3) 本部事件担当課との連携 告訴・告発の相談を受けてから、受理・不受理の判断までの間については、本部事件担当課との連携を密にし、早期に対応を図ることができるよう留意 すること。
2 本部事件担当課による指導・管理の徹底 現在、知能犯事件については、「知能犯罪に関する告訴・告発の受理・処理の適正化について」(平成24年1月20日付け警察庁丁捜二発第6号)等により、 告訴・告発の相談段階から本部捜査第二課がその内容を把握した上で、個別の 案件ごとにきめ細かな指導・管理がなされているところであるが、各都道府県 警察にあっては、知能犯以外についても、告訴・告発の相談段階から本部事件 担当課がその内容を把握した上で、個別の案件ごとに受理の可否・処理の方針、 進捗状況等をきめ細かに指導すること。
3 その他 細目的事項について必要がある場合には、警察庁各事件担当課から別途指示
することとする。