タイトル通り、更新する意味が見いだせなくなったので更新終了します。
といっても、これまでも更新停止していたようなものですが…
 
たまに見てくださっていた方はありがとうございました。
備忘の意味も込めてログ自体は残しておきます。

 お久しぶりです。最近何も書いてなかったので生存・近況報告でもやります。

 

・予備試験に合格した

 

 なんだか司法試験予備試験に合格しました。予備試験は結構難しい試験で、合格率3%くらいです。俺は自分を褒めたいと思います。なんで合格したのかは我ながら理由がよく分かりません。

 

・将来の展望

 

 将来の展望はなさ過ぎて困る。それなりに法律の勉強をしてきた気がしますが、自分でも驚くほど法律に対して興味がありません。やり続ければ何事にも興味が出てくるとかいうのは嘘だったんや。それと同時に、興味がないことでもそれなりに続けられる自分自身に嫌悪を感じます。

 

 どうやって生計を立てていけばよいものか。サラリーマンはどう考えても向いてないし、企業法務は興味がなさすぎる(企業が合併しようがどうでもよくないですか?)。離婚相談とか相続相談もどうでもいい気がします。なんもかんもどうでも良いです。根本的に法曹の適性がない。入れるなら博士課程からどっかの大学院に入りたい。

 

・関西生活の感想

 

 関西に越してきてもう長いですが、わりと堪能しました。大阪は梅田も難波も大きい町だし、大きなジュンク堂もあるし、交通の便もそこそこ良く、暮らすのに特に不自由しなかったです。京都も市内から離れると静かで風光明媚な場所とかあり(鞍馬とか)、その一方で河原町とかは現代的で活気があり、結構好きになりました。総じて関西はその辺のおばはんやおじさんが人懐っこく話しやすく、なかなか楽しく過ごせました。

 

 しかしながら、今いる大学院の同級生は、人生とはレールに乗ることと見つけたりみたいな人間が多く、そういった人間は好きにはなれませんでした。大学院に入って以来、同じ専攻の人間で、本を読んでるやつを見たことないんですが(実話)、これってやばくないですか?よって俺は構内で死ぬほど浮いていました。一人でタバコ吸いながら孤独な散歩者の夢想とか荒野のおおかみとか読んでました。中二病っぽいが精神を保つには仕方がなかった。

 

 一応今は友人っぽい人はいます。

 

・中国旅行

 

 四川省は成都に9月くらいに行ってきました。航空券なんと2万円!わりと楽しかったです。町ゆく人が日本人よりかは優しく、食堂で注文に困ってたら筆談とかしてくれました。人の心の温かさに触れ、なんだか日中の懸け橋になりたいような気がした。今度は上海・香港・北京のどれか行きたいですねー。中国は近いから行きやすいですね。

 

・趣味方面

 

 ピアノについてはなんら成長したところはなく、むしろ退化したと思われます。ベース・ギターもなんもやってないんで退化したと思います。聞く方ではモーツァルトに目覚めた。

 

 読書は少しはした。実践理性批判とかイデーンとか読みました。最近はアレントと白川静読んでました。アレントの「責任と判断」は面白かったです。

 

 語学については、ドイツ語は前より少し読めるようになったと思う。あと、食わず嫌いしてた中国語の文法を一周やれたのは数少ない収穫と言えよう。ほかの言語については、英語はたぶん現状維持、フランス語はわずかにもってた知識が消えかかり、ラテン語ギリシア語スペイン語は完全なる忘却の中、といったところです。どう考えても多言語に手を広げすぎたと言えます。3言語くらいに集中させるべきだった。将来的には英独仏(とできれば中国語)が読めれば大満足ですが、頭が悪いため困難を極める。

 

 このようになんも変わったところがない僕ですが、提督レベルは結構進歩して100になりました。艦これくらいしか進歩してないです。

 

どうもこんちわ。

久しぶりなんですけど、わりと元気に生きてます。

ちょっと今回は愚痴っぽくなってしまうんですが、勘弁してください。今の環境で友達(?)が増えたんですが、それにともなって問題が起きてきたのです。

というのも俺が今いる環境に、愚民が多すぎて疲れるのです。愚民と言い切るのもあれですが、どう考えても愚民なので仕方がない。俺も別に頭は良くないが、それに輪を掛けて愚かな気がする。

まず話題が低俗。噂話か下ネタしか話さないような人間ばかりです。「頭が痛い」と言おうものなら、「男の子の日~?」みたいな…。マジで失笑もんですよ。哀れみすら覚えてきます。俺としては、下ネタは人類共通のネタなので、使い所によっては相手と仲良くなるツールたりうると思うのですが、四六時中そればっかだと流石につまらない。飲み会の場も下ネタだけ(!)です。

噂話も、どこどこの女が可愛いとか、どこどこの男がどこどこの女を狙ってるとか、しょうもないのばっかです。どっかの男がどっかの女と交尾したとして、それがどうしたっていうんですかね…下世話すぎるんだよなあ。時間を空費しているだけにしか見えない。

愚民すぎて本当にやばい。連中に教養が皆無なのは言うまでもないですが、そして教養がないってのは俺としては別に構わないんですが、なんにも好奇心がないのは本当にまずいと思う。このまま行くと、噂話と下ネタしか言わないおっさんおばさんになると思われる。

お前のいる環境が低レベルなんだと思うでしょうか?これがそうでもないんです。俺のいる環境って大学院ですし、この大学院、業界の中ではそれなりの位置なんですよ。俺は、大学院って、好奇心と教養をそれなりに備えた人がいくもんだと思ってました。大学院生にもなってこんなにも幼稚なのかと思うと、日本の未来に絶望しています。この連中がこれから先に就く職業のことを思うと、本当に暗澹たる気持ちになってくる。マジで、日本やばい。いやほんとに、マジでやばいです。

昔も愚民は多かったと思うけど、最近は洒落にならないレベルな気がします。

結論としては、やる気がある人が個人個人頑張るしかないですね。やる気ある人が頑張らないと次世代はさらに愚民化が進みそうです。

ということで、卒業したら東京に戻ります。

生存報告をかねて。

関西で暮らしはじめてから半年経ちましたが、私は元気です。

友達出来たかと言われると、まあ普通に出来てないですね。高校時代の友人がなんかこの地にいて、彼と話す位です。講義の情報を共有したり雑談したりするような、知り合いレベルの人はそこそこいます。とはいえ、自分の趣味の話をしたりする相手はいないです。それにつけても昔からの友人は大事にすべきですな。

けど、東京にいた頃に一人で楽しむ力は身につけたんで、特に寂しいとかはないですね。暇な時には相方と話してるんでそれも大きいような気がする。

ピアノは上達してません。ショパンのバラード四番を途中まで弾けるようになったくらいか。我ながらやる気ねぇな。けど心持ち、読譜が早くなったのが嬉しい。ベース・ギターは完全ノータッチ。

本は何読んだっけ。このごろはフロベールの感情教育とか、芥川の随筆とか荷風の日記とか古代ローマの社会史とか読んだ気がする。フロベールはボヴァリー夫人が面白くなくて敬遠してたが、感情教育は中々良かったです。白髪の生えたヒロインに再会したときの主人公の心の描写が秀逸だった。古代ローマについては、2000年前に、インスラとかいう高層アパートが存在したとか知って驚きました。ローマファンになった。

そろそろ哲学読まねばならぬな。最近マジで色々とサボり気味だったので、がんばらないといけません。

じゃあサボって、何をやっていたのか。本当に恥ずかしいと自分でも思うのですが、ひたすら淫夢動画見てました。正直かなり見た気がする。野獣関連の動画が面白すぎてつらい。空手三部衆の動画、何回見たか分からない。人間の恥だわこれは。それなのに面白いからこまる。

他には。。エルミナージュとかいうゲームとか、ブレイブリーデフォルトとかセブンスドラゴンとかやりました。全部rpgです。どれも星4つというところか。面白いんだけど何か足りないよなあ。世界樹4は神ゲーだった。

他には、、、そういえば法学もやってたような気がする。この半年で、民法とかの私法系は上達した気がします。暇なときに、租税法とか金融商品取引法とかやりましたが、正直全然面白くなかったよ…法学は、専門的なのに入れば入るほど面白くないですね。憲法民法刑法が法学の中では面白い方だと思います。法学の中では。ここ強調。

他には・・・こっちに来て、餃子にはまりました。他には・・大阪京都奈良神戸では、奈良が一番好きになった。他には、、、関西弁には全然かぶれてないです。他には。。もう思い付かないぞ!

やっぱり半年ではこんなもんですよね。そんなに色々起きるわけもなし。

みんなは今頃何をしているのだろうか?それにつけても、東京にいた頃にあった事とか近所の公園とかが思い出されます。懐かしい事よのう。まあ親しい奴とは今でも電話で連絡取り合っているのだが。

というかこの生存報告は誰が見てるんですかね…こんなに放置したのに、アクセス解析見る限り、なんか複数人が見てたみたいでビックリしました。駄文だが更新頻度上げようと思った。

次回は真面目な文章書きたいな。




前回の記事を久々に見てみたら、辛辣で読んだ俺が傷ついた。メンタルやられました。反省。あの時は気が立ってたからなあ。

どーも久しぶりです。

関西に来てそこそこ経ちますが、まあ楽しくやってます。

人間関係はいつも通りと言ったところかな。交友関係は狭いですけど、親しい友人を一・二人は見つけられそうです。これまでの人生を振り返って考えると、このスタンスでも親友はそこそこ出来たと思うので、今回もこんな感じが俺に合ってていいんじゃないかと思う。関西弁はまだ全然話せないですね。

本業も普通にやってます。だるいけど。7月中旬まで地獄の日々になりそうです。

いつも通り、結構ぶらぶらしてます。京都とか梅田とかなんばとか飛田新地とか三ノ宮とか芦屋とか尼崎とか宝塚とかぶらついてます。なんつうか、東京と比べて昭和の香りがする街並みが多くて新鮮です。意外と、京都よりも大阪の方が好きかもしれないと思った。新鮮味があるし、街歩いてて東京と違うところを発見できて面白いしね。関西人は確かに当たりが強い人が多いです。

悲しいことにそんなに関西自然なかったわ。よく考えたら、古くから開発されてるから当然だった。和歌山とか兵庫とか日本海側とか行かないと黄昏れられなさそうです。

今回は生存報告を兼ねてこんなもんで。関西に来る人いたら飲みましょう。京都くらいまでなら行く気が起きる。


寂しがり屋の害悪について

私は孤独な人間である。孤独に慣れた人間の通例として、孤独を愛してもいる。私にとって孤独とは、自己を鍛えることのできる格好の時間であり、草木や花をひとり満足行くまでじっくりと眺めることができる贅沢な時間でもある。孤独のうちからしか独創的なものは生まれないと考えている。

しかしながら、世の中には寂しがり屋というものがいる。いや、世の中は寂しがり屋で満たされていると言ったほうがよいだろうか。寂しがり屋は他者を求める。恋愛、飲み会、クラブ活動、場屋。こうした場所には寂しがり屋が特に集まりやすい。

以下では寂しがり屋の分析を試みたいと思う。前置きしておくと、私は人間と人間との付き合いに、意味がないと言っているのではない。会話によって私は違った視点から世界を眺められるようになるからだ。しかし、空疎な会話に意味はない。内容のない人間と内容のない人間が話し合って得られるものはせいぜい精神の安定位しかない。

寂しがり屋は変わらない。何年経っても変わることがない。寂しがり屋は、寂しくなるとすぐに携帯電話やパソコンに手を伸ばす。または、人が多く温度の高そうな場所に足を伸ばす。そこで通り一遍の会話をして温かみをもらって家に帰る。よくあることだが、そういう場所では表面的な話しか出来ない。帰った家ではまた寂しさに襲われる。

恋愛でも似たようなことが言えようか。寂しがり屋は自分ひとりでいるのは不安なので、相手に依存する。そういう者は相手にわがままを言うものである。相手の愛情を試すのである。相手が自分のわがままを聞いてくれているうちは、自分の寂しさも抑えられる。しかし関係が危機に貧すれば、他人に相談などをしてその挙句にその他人に惚れるのであろう。あまりに喜劇的で定型的でもある。

寂しがり屋は驚くほど定型的である。会話をしていて、その会話の話題や会話の応答が予想できてしまう。一般常識の範囲でしか話をしていないと感じられる。こちらが会話をする必要性を感じなくなるほどだ。人間と世界は、もっと複雑で豊かで残酷なものであるのだが。

結局、寂しがり屋は暇なのだ。暇でかつ、やりたいこと、やるべきことがないのだ。しかしそういった目標は、自分の胸に問うて見なければ見つかることはないであろう。人と話せば定型的な言葉を返してくれるだろう。そういう言葉に従っていくうちに人生もどんどん定型的になる。そしてますます不安になってくる。

人間はもっと孤独になるべきである。孤独の中でのみ自分と他人との絶対的な違いに思いを馳せられる。そして他者への思いやりが生まれると言うべきである。隠者や人間嫌いは往々にして柔和で優しげである。

人生は複雑怪奇な迷宮をめぐって進んで行く。

ある時に、これで全てのパターンを想定し終えたと考え、全てに対応策を準備したとしても、現実はそれをやすやすと乗り越える。いくらネットで検索して情報を集めても、精神を安定させる作用くらいはあるだろうが、役には立たない。人に話を聞いても同じことだ。

結局は、何が起ころうとも対応できる心構えを身につける他はない。運命(好きではない言葉だが)の力の前には人間は対応することしか出来ない。それならば、運命の流れの中で揺蕩おうではないか。
たまには音楽と本のおすすめ。

・音楽

Theピーズっていうバンドを発見したんですが、やる気がなくてかなり良いです。日本酒を飲んでいるという曲とか、歌詞が気が抜けててよい。声質もやる気がない。サウンドはけっこうゆっくりめ・シンプルで、最近のアイドル曲を聞いていると音の多さに頭が痛くなってくる私にはちょうど良いです。こういうのでいいんだよこういうので。まだそんなにたくさんは聞いていませんが、俺の好きな系統な気がします。若干メンへラ感がありますがcoccoとか倉橋ヨエコとか好きなので問題なかったわ。

・本

石牟礼道子の苦海浄土、まだ読みさしですが素晴らしすぎる。

水俣病の患者・その家族に、水俣出身の作者が話を聞いてまわる、という内容です。こう書くとノンフィクションの作品のようですが、作者は何度か患者たちの話を聞いただけで後は想像で、患者・家族のことばを紡ぎだして書き付けたそうです。病が蔓延する水俣の街・水俣の人々が緻密に描写されている点だけでも素晴らしいのですが、文学作品としてさらに素晴らしい。現実の辛苦と想像の中の浄土が交錯し合った幾重にも重層的な作品で、俺の力量では解釈しきれません。しかしただ美しい海だけが残っている。

海の描写と患者の心情の描写が圧巻です。ゆき女きき書という章は尋常ならざる筆致で書かれていて、これを超える文章はここ数年は読んでないです。

ある言語は、その言語特有の世界を構築します。日本語話者が見ている世界と英語話者が見ている世界とは全く異なるものでしょう。日本語話者として、こういう本を読めたのは幸運だった。

それと、私が肥後弁を知っていたのも幸運でした。祖母が話していた肥後弁の優しげな口調が蘇ってきて、患者の肥後弁の話がすんなり入りました。魂が深くなった気がする。

久々に話した人に専門用語満載で色々解説されて困った。

例えばの話ですけど、犯罪とは、構成要件に該当する違法で有責な行為なんだよ!!って言われて意味分かりますか?知らない人には分かるわけないですよね。詳細は控えますが、そんな感じで解説されました。わからないので質問するとまた専門用語。分からせようという意思が感じられなかった。自分の知識を誇示したかったんですかね。

コミュニケーション能力、というよりコミュニケーション意欲が欠けてるんじゃなかろうかと思った。もちろん専門用語を解説するのは難しいし面倒ですが、概略的なことだったら伝えられると思うんです。しかしそういう労を取らない。こいつに説明するのも面倒だし、そもそも伝えた所でどうせ分からないだろう、という心象があったんじゃなかろうか。そこに、コミュニケーションと言語への不信があらわれている。自分の心情についてならともかく、専門用語の内容程度なら説明可能だと思うのですが。

相手の知らない情報を伝えることによって、相手もまた一つ賢くなるし、その相手もまた別の相手にそれを伝えて…となると思うので、社会のためにもなると俺は思います。それに、説明することは思っているよりも難しいことなので、おそらく自分の中の知識整理にも役立つ気がします。

それともあの人は、相手も自分と同じ程度の知識を持っていることが当然だと思っていたのかもしれない。こんなに個々の学問・技術が専門化した時代においては、そういうことはほとんど起き得ないのに!全てを知る人間、万能人なんて今の時代にいる訳がない。ある人と同程度以上の知識を持つ人間は、同じ業界、研究科とかにしかいないでしょう。そんなんでは恐らく狭いコミュニティの中でジャーゴンを使い合って夜郎自大になっていくだけではなかろうか。プライドだけが肥大化していって、専門用語で門外漢を叩き伏せていくわけですね。そして、社会全体の効用・利益は静かに失われていく。蛸壺型とかなんとか丸山眞男も言ってましたね。自戒も込めつつ。

表現が下品になった。すみません。

俺としては分からないことは聞きまくるくらいしか出来ることないですね。あと、聞かれたことには懇切丁寧に答えることですかね。友人にかなり懇切丁寧に答えてくれるやつがいるので彼を見習おう。