それは今から30年以上も前のこと。私には三歳年下の従姉妹がいました。彼女は一歳で父親を亡くし、母親と暮らすこともなかなかできず、ほとんど祖父母に育てられていました。経済的にも、精神的にも苦労の連続。我が家に家出してきたこともありました。
そんな苦労ばかりしてきた彼女がなぜという思いでいっぱいでした。約一年の闘病生活のあと21歳の若さで彼女は逝きました。
体がだるくて仕方がないと行った病院で、まさかの白血病の診断を受けます。そのときは、まだ元気な笑顔で私を迎えてくれました。(退院したら、しゃぶしゃぶに連れて行って。お鍋が食べたいわ。)と。彼女は、ひとりしゃぶしゃぶのお店でかわいいお鍋を食べたかったらしいのですが、私はそんなお店があることを知らず、(お鍋は家で、みんなで食べるものよ。)と言ったことを覚えています。その後、ひとりしゃぶしゃぶのお店のことを教えてくれるのですが、実現することはありませんでした。
次に連絡をもらったときは、(かわいい帽子がほしいの。お見舞いに持ってきて。)といわれました。なぜ、入院しているのに帽子が欲しいのか、私にはわかりませんでした。抗がん剤で髪が全部抜けて、生え揃うまで帽子が必要だったことに気づきませんでした。知識としては抗がん剤で髪が抜けることを知っていましたが、実際となると何もわかっていませんでした。とにかく、かわいい帽子を買ってあげようとたくさんのお店を見て回りました。デパートやブティック、帽子屋さん。何カ所か回って、ようやく見つけた帽子。素材は柔らかいコットンジャージ。オレンジとグレーの小さなストライプの入った、それはそれはかわいい帽子でした。
その帽子を持って病室に入った私はショックで固まりました。彼女は体中が白血病独特の紫斑だらけ。よれよれの地味なニット帽をかぶっていました。その帽子を脱いで、私の買ってきた帽子をかぶりました。髪の毛は抜け落ちていました。わずか数ミリの産毛。(少し生えてきたの。伸びるまで、この帽子をかぶるね。)ととっても喜んでくれました。今よりずっと昔のことです。ウイッグもありませんでした。あったとしても高額で手が届かなかったと思います。年頃の女の子が、病気のせいとはいえ辛かったと思います。
骨髄バンクもなかった時代、何とか生きてほしくて、ドナーになってくれる人を探しました。願いもむなしくドナーが見つかることはありませんでした。
彼女は最期まで私のプレゼントした帽子をかぶっていました。
ドネーションという言葉をマレーシアにきて初めて知りました。この企画を聞いたとき、どんなことしても参加したいと思いました。亡くなった従姉妹に捧げたくて・・・。
一度は無期延期になったこの企画が、優しい人々の手で復活しました。目標の50のウイッグができて、ガンで苦しむ子どもたちに少しでも笑顔が戻りますように。ぜひとも、目標達成できてほしいと心から願います。






