まず最初に、ご報告。
前回の記事、その前と、高い評価頂きました😄
1位でなくても、一桁のランクをたくさん頂けて、感謝です。
特に、「#出雲大社」 で、6位とは、恐れ多い気持ちです😄
日頃、訪れていただく、読者様すべてに、お礼申し上げます✨
・・・・今回は、この写真一枚で、もう、この先、写真はありません(笑)
さて、本日のタイトル、「怪我の功名」。
辞書や、ネットで調べると、出てくる文言と私は少し違う捉え方をしています。
少し前の記事で、私が、尿管結石を三度、
そして、その同時期に、右手首を骨折したこと、お話ししています。
その時の暮らしは、母との同居と、その母の認知症介護も重なっていました。
母の介護を、「苦」と捉えるなら、『三重苦』 です。
そして、その頃、会社では、取締役を仰せつかっていました。
50人くらいの子会社の役員ですが、その社員の「お世話」と、
母の介護の「お世話」、・・・・
そして、自分自身の「お世話」です。。
右手首骨折、私は、左利きですから、食事には、問題ありません。
ですが、ペンを持つ手は、矯正されていますので、右利きです。
要するに、普段は、左手で、食べて、右手で、書き物をします。
今のご時世、仕事は、パソコンありきの世界。
片方の手が、使えないということ、これ大変。
ですが、諦めません。。
二週間もすれば、左手だけで、両手を使うような、
操作をこなしてました。
会議で、メモを取るのも、左手で、ペンを持って、書き留めてました。
母は、足もイマイチな状態でしたから、杖が必要でした。
母は、歩行時、杖は、右手に持って、そして、母の左手を私が繋いであげて、
歩行をするのです。
ということは、私の右手が頼りです。
右手首を骨折しても、その手で、母の左手を支えないといけません。
怪我後、一か月は、クルマの運転は、止められましたが、
その後は、運転もして、母の通院同行もしました。
そんなことしながら、尿管結石の通院もしてたのですね。。
仕事では、責任がのしかかる。。
家では、母の介護で、骨折した右手首に母の体重が、のしかかる。。(笑)
挙句の果てには、自分の健康管理ものしかかる。。
ですが、人間、自然と、諦めない気持ちが芽生えるのですね。
もちろん、支えになる欠片が何もないと、そういうわけにはいかない。
・・・・仕事では、良い結果が続き、
・・・・・母の介護でも、母の笑顔を見ることができ、
・・・・・尿管結石も、石排出という結果にもなった。
耐え忍ぶということを、実践していると、必ず結果がついてくる。
いつの間にか、『三重苦』 が、功名を得ることになったのです。
あ、別に、名誉を得たわけではないですから、
功名という言葉が正しいかどうかは、さておき・・・・😅
有名スポーツ選手も、スーパースターになる前に、
大きな怪我をされること、よくありますね。。
それを乗り越えて、克服することで、とても素晴らしい記録を得る。
これ、よくあることです。
人生には、こういった、「仕掛け」が、どうもあるようです。
それぞれの人生の長短は、異なりますから、
何歳が、山場だとかは、決まっていません。
ですが、必ず、超えないといけない「山場」は、あります。
それを超えることの勇気。
その努力。
そして、自分自身を自分で励ます、気持ち。
試される、「山場」は、乗り越える価値があります。
その先には、違う景色が待っています。
あ~、そういうことか。
ということを知ることができるのです。
私の場合は、小さい、「山場」の連続でしたが、
人によっては、大きな「山場」を経験しないといけない時間もあるでしょう。
それでも、回り道しないで、正面から乗り越えてみてください。
時間もかかるし、辛い思いもしますが、
たとえ、乗り越えられなくても、達成感は得られます。
何事にも、逃げない気持ちが、大切。
後回しにしない心構えが、自分自身を強く成長させます。
「山場」が、大きいと、その乗り越えた時に得られるものも、
とても大きい✨
たとえ、得られる幸せが小さくとも、とても涙が止まらない嬉しさがこみ上げてくる。
幸せというものは、こういうことなのか・・・
ということを実感できるのですね。
怪我の功名。
諦めない心。
最後は、笑顔になれますよ。
悔し涙を、笑顔に変えられるのです。
人間には、そういう、心をちゃんと、宿しているのです。
その瞬間を感じられるのも、
人間としての与えられた、最高な特権のように思います。
その笑顔が、周りを幸せにすることもできます。
全ては、良いことの積み重ねの意識が、その近道だとも思います😊✨
本日も、最後までお付き合い、ありがとうございました🌈