昨年、三回忌を終えた、認知症だった母について、少しお話しいたします。。

 

世の中には、ご自分が、また家族や知人で、認知症を発症されている方々が

多くいらっしゃると思います。

 

広く見れば、私の母もそのうちのひとり。。

 

しかし、私にとっては、「まさかのひとり」でした。。

 

しかし、父に先立たれ、私たちとの同居という環境変化など、母にとっては、

私たちの想像を超える心労があったのかと思います。

 

また、元々、白内障を患っていたのですが、その進行につれての身体変化での

影響も考えられます。。

 

認知症での白内障手術は、術後の管理が大変だと聞いていました。。

 

会社の同僚へ話すと、「やめたほうがいい」とも言われました・・・。

 

自分自身が、何で包帯をしているのか、ゴーグルをしているのか、理解出来なくなる

可能性があり、下手すれば、手術前より悪化することもあるそうです。。

 

本人が、管理出来ないのなら、私たちが管理する。。

 

身近な人たちの強い気持ちが大切となります。

 

 

私たちは、ヘルパーさんたちの協力もあり、両目の手術の術後経過もなんとかうまくいき、

 

完治後の母の第一声が、「すこぐ、良く見える!綺麗に見える!」でした。

 

 

その年の夏から、翌年の晩秋で亡くなるまで、日本の四季の景色を楽しんで

くれたと思います。

 

桜や、紅葉、ドライブでの車窓・・・・。

 

「うわ~、キレイねぇ~。」とはしゃぐ姿を見ることが出来ました。

 

私たちも大変な思いをしましたが、そんな笑顔に救われた気持ちです。。。

 

 

それでも、認知症が改善することはなく、・・・。

 

母の訳の分からない発言や行動に、さすがに苛立つこともしばしば・・・。

 

それを超えて、ドッと、疲れがのしかかる時もたくさん、ありました。。

 

 

もう、入浴で自分でカラダを洗うことを忘れて出来ない母を私が洗ってあげます。

 

行きつけのヘアーサロンで、シャンプーの手の動かし方も伝授してもらい、

母へその洗髪方法を試みると・・・「気持ちいい・・・」と、独り言。。

 

湯舟に浸かっている時も、「あ~幸せ~」と。。

 

 

病気は、治りませんが、少しでも、「笑顔」を見せてくれることに全力で努めました。。

 

 

こちらも辛いですが、一番辛いのは、認知症の母だということ・・・。

 

 

そのことに気が付いたのが、毎日、小さな子供のように、寝かしつける時です。

 

「明日は、ぼくがいるの?」・・・もう、私のことは、子供の時の呼び方です。。

 

「明日は、お姉ちゃんが来る?」・・・姉は、週に二回、休暇返上で見守りに来ていました。

 

「明日は、お母さんのお気に入りのお手伝いさんの○○ちゃんが来るよ。。」

 

・・・母には、ヘルパーさんという言葉は、通じません。。お手伝いさんです。。

 

 

 

そんなやり取りをしている時、ふと、気が付きました・・・・。

 

母は、夜、寝る時が、一番、淋しそうになる。。。

 

そう、寝て起きて、ここは、どこなのか、自分が誰なのか、何でここにいるのか。。。

 

分からなくなることが、少しでも起きるのが、怖いのです。

 

認知症の本人のその場の気持ち・・・・とても不安だということ。。それは本人もわかるのです。

 

 

不安で眠れない、母を安心させるには、どうしたらいいか・・・・。

 

考えました。。

 

その時、キッチンで片付けしている、カミさんに聴かれたら、恥ずかしいので、

母の耳元でささやきました・・・・。

・・・恥ずかしいというより、耳が遠い母に、聞き取りやすくするためでもあります(笑)

いや、何度も言うのが、恥ずかしいからですね・・本音は。。

 

 

『お母さん。 生んでくれて、ありがとう。 育ててくれて、ありがとう。』

 

 

この時、母の顔が、フワッと明るくなり、目がキラキラ✨

ニッコリ、笑ってくれたので、「ゆっくりお休みね。。」と言うと、うなづいて、

すんなり寝てくれました。。

 

 

人生、振り返って、こんな簡単な言葉ですが、本人、前にして、言ったことありません。。

 

私、男ですから、お嫁に行く時の親への挨拶のような経験がないのですね。。

 

 

そんなことで、不安な就寝前の母には、必ず、この言葉をささやいてあげてました・・・。

 

そのうち、その言葉に対して、母が、ニコリとして、「そんなことないよ・・」 と、

返答してくれたり。。

 

重度の認知症となっても、ちゃんと、この言葉の意味を理解しているのです。

安心するのです。。

 

人は、最後まで、一個人です。

 

ゴミには、なりません。。

 

プライドは、なくなりません。

 

一個人として、親として、認めてもらいたいという気持ちは、最後まであるのです。

 

ウチの母は、貧乏生活の中で、子供だけには、不自由させないで、育てたという

自負があったのですね。。。

 

やさしくもありましたが、当たり前のように折檻された私たち姉弟ですけど(苦笑)

 

どんな親でも、年老いていく姿を見ると、それでも親です・・・・。

 

 

 

病気を治してあげられなくても、気持ちを楽にしてあげられることはあります。

 

改めて、この「魔法の言葉」のありがたさを感じた瞬間でした。。

 

まさに、言霊ですね・・・。

 

 

みなさんは、ご両親にこの言葉を発したこと、ありますか?

 

もし、ないのであれば、タイミングみて、是非、使ってみてください✨

 

 

私は、運悪く、父と母の「最期」の瞬間に立ち会えなかったです。。

 

どんなに近くに住んでいても、一緒に暮らしていても、絶対は、ありません。。

 

 

 

母の認知症介護と、会社の役員業務の両立は、とても大変でした。。。

 

しかし、そういう時間が、生前の母へ直接この言葉を伝える時間にもなりました。。

 

今は、この言葉を伝えることが出来て、よかったと思います✨

 

母のうれしそうな、恥ずかしそうな、笑顔を見ることが出来ました。

 

その時間をくれた、神様仏様にありがとうです🙏✨

 

ついでに、認知症にも、ありがとう (笑)

 

 

本当は、この言葉を皆さんにお伝えしたくて、始めたブログ。。。。

 

それが、ブログのタイトルです。。

また、そう感じた時、ベランダで見上げた、「おひさま」がとてもやさしくて、

写真に撮ったのが、ブログのイメージ写真です。

 

 

桜井識子さんの神仏からのお言葉にも助けられたし、そのお礼含めて、記事を

描き始めたので、少し、遠回りしてしまいました。。

 

この言葉を伝え終えたら、ブログを辞めるつもりでいました。。

 

ある意味、そんな軽いような、重いようなことが、きっかけです。

 

 

ですが、ブログを始めてみると、たくさんの方々との出会いがあり、

今までの社会人生活では、知り合えない遠方の方々とも交流が出来て、

また、皆さんから新しい刺激も頂き、なんて素晴らしいのだろうと・・・・。

 

何でもそうですが、道具は、使い方次第。。

 

この経験も桜井識子さん風に言えば、「人生経験のひとつ」として、生まれる前に

組み込んであったものだと意識して(笑)、もう少し、続けて行こうと思います😊

 

 

・・・著名人の方々も、「ありがとう」という言葉の大切さを唱えているように、

私も、少し、その有難さを知った、今回のお話しでした。。

 

『訪問してくれて、ありがとう。読んでくれて、ありがとう。』

『いいね!してくれて、ありがとう。 コメント頂き、ありがとう。』

 

本当に、いつもありがとうございます🌈

 

・・・最後の母の手料理の写真です。

お味噌のおにぎり🍙

 

子供のころ、お腹減って帰って来ると、夕飯までの間、残ったご飯を

おにぎりにして、味噌をなびってくれました。。

(栃木県出身の母は、塗ることを、なびると言います。。)

 

とても料理上手な母。本人もそれが自慢だったり・・・・。

 

亡くなる二年前、私が、催促して、にぎってもらいました・・・。

すでに、昔のように、軽快に、にきることが出来ず、戸惑いながらのおにぎり・・・。

 

最後の手料理・・・とても美味しかったです✨