お久しぶりです。実は今シドニーからブログを書いています。

 

 中学生の頃、同じものを見ていても自分と他の人で本当に同じものを見ているのか分からないことに漠然とした恐怖を感じる時期があった。

文章化が難しいので例を挙げる。自分はプチトマトを赤い球体だと思っているが他の人はそう見えていないのかもしれない。

そして球の定義も人によっては違うのかもしれない、という感じ、、、多分理解できないと思う。もっと文章力があればと

定期的に自分の国語力のなさに嫌になる。

他人が見ている視界を見ることはできない、同じものが同じように見えているのか確かめる手段がない。これに気づいた瞬間、急に落とし穴に落ちたような、視界が真っ黒になるような、そんな恐ろしさがあった。分からない、ということ対して漠然とした不安と恐怖を感じていた。この瞬間私は背中をとん、と押され恐怖の穴に落とされたのだ。そんな感じがした。

 

 

 話は変わるが、タイトルにもあると通り、違う地域に住む鳥は異なる言語を話すのか?という疑問が自分の中にずっとある。

鳥の世界の中にも自治があり、職があり、地域ごとに異なる言語を話していたら?

 

もしそうだとしたら、動物園の鳥ゾーンでだんまりな鳥が多くても仕方がないと感じる。だって彼らは様々な地域から急に一か所に集められた異なる言語を持つ集団なのである。

 

もしそうだとしたら、渡り鳥はきっと先祖代々郵便局員の家系だろう。海を超えて山を越えて遠くに住む仲間たちへ伝言を届けるのだ。

 

もしそうだとしたら、通貨は木の枝と虫、どっちの方がレートが高いのだろうか、、、笑

 

 

 分からないことで想像力が掻き立てられ楽しさを感じる一方で分からないことに対する底知れない恐怖が自分の中にはある。

 

 

先日シドニーで開催されていたRon Mueck展へ行ってきた。そこで”Dark Place”という作品を見た際、先述した「恐怖の穴に落とされた」感覚が一瞬で蘇った。一歩ずつ進み真っ白な壁が見えなくなり、視界が真っ黒になる。目の前には巨大な顔がある。ピリピリと電流が走るように頭の方から順に鳥肌が立っていった。

 

 

 

 

 

また、変なまとまりのない自分の考えをこの世に放出してしまった。