さて、この後14時の便でバリ島へ帰ります!
その前にお昼ゴハン♪♪♪インドネシア料理のレストランへ。
面白い体験?をしましたw
お葬式と結婚式、どちらも見ちゃったの(゜ρ゜)
火葬場が近かったんで、お葬式はなんとなく予想がついたけど、
電柱?に板っぽいのが干されてて、なんかお葬式の儀式らしい。
お葬式だし、うぅ・・・(ーー;)と思っていると、スナールさんが「後ろっ!」
派手に飾り付けられた車がww結婚式なんだって!!凄かったw
レストラン到着!
サテー、ミーゴレン、テンペ、空芯菜の炒め物などなど
本物のジャワカレー!!
スイカ、パパイヤ、パイナップル、不思議な果物(生の芋みたいなw)、ココナッツと米粉のお菓子
レストランの店員さんと☆
ここに着く間に、いろいろ考えさせられるものを目にしました。
それは、バリ島ではあまり感じなかった、震災の被害状況。
ジャワ島は震源地であり、地震の被害を一番受けた場所です。
大きな道路を走っていた時はあまり気にならなかったけど、中に入っていくと
崩壊している家が沢山。それを子供や大人達が修復している様子がありました。
崩れてそのままの学校や家、本当に沢山あって、自然災害の恐ろしさと、
なかなか復旧できない現実を目の当たりにして心が痛みました。
そして、もう一つ。日本とインドネシアはとても深い関係があります。
スナールさんが建物を指して「アレは昔の●●ホテルだよ!」と日本の名前を言っています。
そして昔のことを話してくれました。
日本は戦争の時、インドネシアに侵攻している歴史があります。
3世紀オランダの植民地だったのが一週間で日本が降伏させました。
なぜこんなにすんなりいったのか・・・
これにはある予言が関係あったそうです。
ジャワに伝わる、「ジョヨボヨの予言」と言う伝説がありました。これによると・・・
「わが王国はどこからか現れる白い人(結果オランダ)に乗っ取られるであろう、
彼らは魔法の杖を持ち、離れた距離から人を殺すことができる。(銃)
白い人の支配は長く続くが、やがて北方の白い衣をつけた黄色い人(結果落下傘で降りた日本人)
が白い人を追い出し、ジャゴン(とうもろこし)の寿命の間、(結果3年5ヶ月)
この地を支配した後に“ラトゥ・アディル=正義の神”の支配する祝福される治世がくる。」
長い間オランダの植民地として、言葉や強制栽培制度、東インドとされてきた時代から
予言の通りに日本が侵攻してきたため、救世主だと信じオランダを倒すことに協力したため
300年植民地だった東インドの国は、一週間で降伏させ独立への道を歩むことになります。
もちろん、日本はインドネシア人が思うような、救世主なんてきれいごとではなくて、
目的は、戦争に必要な豊富な資源や人だったわけです。
なので、協力を得るため日本軍はオランダによって牢に入れられたスカルノ、ハッタなど
活動家を解放し戦後のインドネシア独立を約束する事で、インドネシア人の協力を得ます。
また
・日本人とインドネシア人は同祖同族である
・日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
・同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する
植民地下にあったインドネシア人にとって、支配ではなく共存共栄なんてことは、
驚くべきことだったんでしょう。強い協力を得ることになります。
・農業改良指導
・小学校の建設と、児童教育の奨励
・新聞「インドネシア・ラヤ」の発刊
・英・蘭語の廃止と、公用語としてのインドネシア語採用
・5人以上の集会の自由
・多方面でのインドネシア人登用
・インドネシア民族運動の容認
・インドネシア人の政治参与を容認
・軍政府の下に「中央参議院」を設置
・各州・特別市に「参議会」を設置
・ジャワ島全域に、住民による青年団・警防団を組織
・「インドネシア祖国義勇軍」(PETA)の前身を創設
これらが約束され、結果、自由やきっちりとした国としての組織が造られることになりました。
オランダ領東インドはインドネシアへ、バタヴィアはジャカルタに変わります。
オランダ人は収容所へ、インドネシア人を役所や企業で高い地位につけたことで社会進出が進み、
公用語はオランダ語から禁止されていたインドネシア語に改められます。
・・・でも、日本の戦況はこの時もう厳しいものでした。
優しくしていた日本は、状況とともに、国歌と国旗を禁止し、皇紀・昭和の元号が導入、
学校では日本語、もちろん天皇崇拝も・・・
また青年団や婦人会、隣組のなどの組織の中で
ロームシャ(労務者)は日本軍に強制労働させられました。
なかなか独立できなく、不満が募っていきますが、日本の戦局が厳しくなり
上記の約束を果たしていきました。
議会や軍の成立、国旗・国歌を認め、独立の勢いが増していきます!!!
ついに、イ・日共同の「インドネシア独立準備調査会」が発足。
・民族主義
・国際主義
・民主主義
・社会福祉(社会的正義)
・神への信仰
がインドネシア独立の基本理念として提唱されます。
そして、8月24日が独立の日に決定されました・・・が・・・
そうです、日本は8月15日、無条件降伏し敗戦しました。
1945年8月17日、スカルノがインドネシア共和国 独立宣言。
日本とインドネシアにはこんな関係がありました。
戦犯として収監された、今村将軍は死刑寸前で釈放されますが、
実はインドネシア独立の父スカルノ達は、今村将軍を密かに奪還しようと作戦を練っていたそうです。
彼は日本の方針とは反して、独立に協力していたからか助けようとしてくれたのでしょうか。
この後の独立戦争では旧日本兵も残って戦ったなどもあり、インドネシアは
どちらかと言うと日本人を暖かく迎えてくれる国だったりします。
「結局、日本も他国も戦争で酷いことをしたけれど、伝説と言い、
インドネシアとの関係はちょっと不思議な『運命』にあったんじゃないかな?」と言っていました。
ちなみにTVでは・・・な感じのデヴィ夫人はこの時代にインドネシアで生きた日本人。
私は、インドネシアに興味持つまであんまりデヴィ夫人について知らなかったけど。
インドネシア人の方がよっぽど興味があって、詳しくてビックリしますよ。
日本では、インドネシアはあんまりメジャーな国ではないけれど、
現地に行けば、日本とインドネシアは深く関係があることに気付かされます。
↑は戦争の頃のお話だけど、今も日本・インドネシアはとても関係がある国です。
インドネシアの産業などは、日本やオーストラリアなど他国に依存している傾向があり、
そして東南アジアの必需品、バイクなどはほぼ日本メーカーが占めています。
中国などのメーカーも進出を試みたけれど、結局壊れやすい。アフターがちゃんとしていない
などの結果、高くてもほとんどの人が日本メーカーを選ぶとスナールさんが言っていました。
道を通れば、日本メーカーの旗が本当に沢山なびいてます(°◇°;)
そして、日本にとって資源の宝庫であるインドネシアは、取引相手として大切な国のひとつです。
また、インフラ整備や技術面でも交流がありました。
「あれは、日本の●●が協力して作った道路だよ」とかたくさん・・・
街の大きな病院や公共施設は、日本の戦後保障で建てられたものだと説明してくれました。
とても綺麗で大きな病院でした~最近出来たらしいっ!
道を通るたびこんな話がよく出るので、複雑な気持ちでしたが・・・
道はバイクだらけっ!!中央分離帯には、平気で人がいますww
みんな急に出てきて歌とか歌って、チップGetしてます。
新聞とか普通に窓叩いて売りに来るんだけど、轢かれないのが不思議w
前日、スコールが何度も降ったんだけど、このバイクの人達はすごいっ!
みんな一斉にどこからともなく、カッパみたいなのを広げるんです!車から見てると、
みんなバットマンみたいなのwww凄技ですwww
さてさて、空港へ行く前に、インドネシア名物アヤムゴレンの美味しいお店へ!
ジョグジャカルタにはアヤムゴレンの一番有名なお店があります!
『Nyonya Suharti』(ニョニャ スハルティ)
鶏のから揚げにサンバルをつけて食べます!
レストラン経営が大成功した後、旦那さんと別れたんだけど、
なんと、旦那が同じ名前で同じアヤムゴレンのお店をやってるの(爆)
見分け方は、旦那店が鶏マーク、本当のスハルティおばさまのお店は昔の顔写真マーク。
空港へ向かうソロ通りにあるよ☆
どっちも繁盛してるのか聞くと、
「旦那店は美味しくないよ、やっぱり本当のお店に行くべき!」
とスナールさんと運転手さんが言ってました!
お店は、お昼時だったからか、奥は結構混んでました!!
1/2羽~しか頼めないので、かなりのボリューム・・・
「頭どぉ~する???」と、スナールさんに衝撃的な質問を投げかけられ、焦りました(∂。∂。;;
もちろん、無しでお願いいたしました(苦笑)
もぉお腹いっぱいだったのでちょっと食べてお持ち帰り・・・ホテルで食べようっ!
うまいっ!!!
賑やかなメイン通りであるマリオボロを横目に。。
なんだか、雲行きが怪しくなってきました・・・