《聊斎志異》書痴
彭城の郎玉柱は、役人の家柄の出である。中には郡太守にまで進んだ人もあったが、いずれも廉潔な人たちで、俸給で田畑すこともせず、すべてを書籍の購入につぎこんだので、家の中は書物の山だった。玉柱にいたってはもはや狂に近く、何もかも洗いざらい売っぱらってしまったが、父親の蔵書だけは一巻たりとも手放そうとはしなかった。
(中略)
二十歳になっても、嫁を娶ろうとはせず、ひたすら書中から麗人が現れるのを待ち望んでいた。客や親戚と会っても満足な挨拶もできず、二言三言話すと大声で本を読み始めるというありさまに、客はあきれて退散した。毎回科試ではいつも主席を取っていたが、本試験にはどうしても通ることができなかった。
(中略)
ある晩、『漢書』を読んでいて第八巻の半ばまできたとき、頁のあいだに紗を切り抜いた美人の栞が挟まれていた。
「書中顔玉の如きありというが、これがそのことだったのか」
とがっかりしたが、よく見るとその顔立ちは生きているようで、裏側には「織女」という字がかすかに見えたので、「これは不思議」と、書物の上に置いておいて、毎日あかずに眺めるうち、ついには寝食も忘れるほどになった。
ある日もそうして眺めているとき、美人が腰を折って起きあがり、書上に座ってにっこりしたので、郎は驚いて机の下にひれ伏した。美人はそのあいだに立ち上がっていた。背丈がすでに一尺ほどになっていたのでますます驚き、叩頭を繰り返すうちにも、美人は机から降りて、その場にすらりと立った。絶世の美女だった。伏し拝んでから、
「いずれの仙女さまでございますか」
と聞くと、美人はにっこりして言った。
「わたしはあなたがかねてからご存じの姓を顔、名を如玉と申す者でございます。毎日お心に描けていただきながら、一度もご挨拶にまいらないでは、未来永劫、古人の言葉を信ずる人がいなくなってしまうでしょうからね。」
郎は喜んで、ついにともに暮らすようになった。枕席での交わりもいっそう深まったが、郎は男としてなすべきことを知らなかった。勉強のときはいつも如玉をかたわらに侍らせた。如玉は勉強をやめるように諫めたが、彼が一向に聞かないので言った。
「あなたがどうしても及第できないのは、一途に受験勉強ばかりしているからなのですよ。及第した方々をご覧なさい。あなたのような受験勉強をした方がいったい何人いらっしゃると思いますか。お聞き入れくださらなければ、わたしはお暇させていただきますわよ。」
郎はしばらくは如玉の言うとおりにしていたが、そのうち、如玉の言葉を忘れてまた勉強をはじめた。しばらくして、如玉を捜したが、行方が分からなかった。勉強どころではなく、跪いて拝むばかりだったが、影すら見えなかった。ふと彼女を見つけたときのことを思い出したので、『漢書』を出して頁を繰ってゆくうち、以前のところで見つけることができた。しかし、呼んでも動かないので、ひれ伏して戻ってくれと頼むと、如玉が降りてきて言った。
「また勉強を始めたら、今度こそ本当にお別れですからね」
そして郎に碁盤や賽子を用意させて、毎日遊び暮らした。だが郎は心ここにあらずで、如玉がいない隙を見すましては、こっそり書籍を取り出して拾い読んだりしていたが、女に気づかれるのを恐れ、ひそかに『漢書』第八巻を出してきて、如玉を帰れなくさせようと別の所へつっこんでおいた。
ある日、読書に夢中になっているところへ如玉がひょっこり戻ってきた。その姿を見て慌てて本を隠したが、如玉の姿はすでに消えていた。これは大変と、手当たり次第書物をひっくり返してみたが、杳として分からなかった。そのうち、前のように『漢書』第八巻のなかで見いだすことができた。頁も同じところだった。また平伏して二度と読まないと誓うと、如玉が降りてきて、碁盤に向かい合い、
「三日してもうまくならなかったら、また行ってしまいますからね」
と言った。
三日目、ようやく二目勝ったところ、如玉は喜んで今度は琴を教えた。五日で一曲あげることと言われ、わき目もふらずに練習したところ、しばらくするうちに節につれて指が動くようになったので、いよいよ張り合いが出てきた。如玉は毎日、酒を飲んだり賽子をしたりしたので、郎も楽しさに勉強を忘れてしまった。すると、如玉は、
「今度は出歩いてお友達を作りなさい」
と言いだした。そして、仲間うちで名を知られるようになると、
「今度の試験を受けてごらんなさい」
と言った。
郎はある夜、如玉に言った。
「世間では男と女が一緒にいれば必ず子供ができるものなのに、君ともう久しく一緒に暮らしているのにどうしてできないのだろう」
「ほほほ、わたしは毎日のお勉強など詮ないことと申しましたが、まったく、この年になって夫婦のこともご存じないのですね。枕席という二字には別の意味があるのですよ」
「えっ、別の意味が…」
郎が驚くと、如玉は笑うばかりだったが、ややあって、そっと手をさしのべてきて導きおさめた。郎は感極まり、
「夫婦の楽しみがこんなに素晴らしいものとは思わなかった」
と叫んだものだったが、以来、会う人ごとにこれを話したので、聞いて吹き出さない者はいなかった。如玉がこれを知って責めると、彼は言った。
「不義密通なら、人に話すわけにはいかないが、夫婦の楽しみは誰にでもあること、なにも隠しだてすることはないじゃないか」
それから八、九カ月して如玉は男の子をもうけ、乳母を雇って育てさせたが、ある日、ふと言い出した。
「わたしはあなたのおそばに参って二年になり、すでにお子もできましたので、そろそろお別れしなければなりません。いつまでもいるとあなたに迷惑をおかけすることになり、その時になって後悔してもおよびませんから」
郎はこれを聞いてその場にわっと泣き伏した。
「君は乳飲み子のことが心配ではないのか」
如玉も涙にくれたが、ややあって言った。
「どうしても私に残って欲しいということでしたら、書架の書物を一冊残らず棄ててください」
「あれは君の故郷だし、わたしの命でもある。どうしてそんなことを」
如玉も無理にとは言わず、
「物事にはすべて終わりがあるものですから、わたしも黙っている訳にはいかなかったのです」
とだけ言った。
これより先、彼女を覗き見した家族の者は一様に驚き、相手の家柄を聞いていなかったので、こぞって郎を問い詰めた。郎は適当に言い繕うこともできないまま、だんまりをきめこんでいると、人々はますます疑いを募らせ、噂はたちまちひろまって、ついに知県の史公の耳にまで届いてしまった。史公は福建出身の新進気鋭の進士だったが、噂を聞いて心を動かし、その美しい顔を一目拝んでみたいものと思って、部下に郎と如玉を連行するよう命じた。如玉はこれを聞くと、行方をくらました。史知県は怒って郎を収監し、生員の資格を剥奪したうえで厳しい拷問にかけ、如玉のありかを白状させようとした。郎は息たえだえになっても、一言も答えなかった。小間使いを厳しく取り調べてみたが、やはりおぼろげなことしか分からなかったので、知県は如玉を妖怪ときめつけ、輿を命じて郎の家に検分に出かけた。行ってみると家は万巻の書物で埋まっていたので、探すのは面倒と、持ち出して焼き捨てさせた。庭には煙がたちこめて日差しを遮り、あたり一面真っ暗になった。
郎は釈放されると、遠方にいる父親の友人に頼んで紹介状を書いてもらい、資格を回復することができた。その秋挙行された郷試に及第し、翌年春の会試で進士に及第した。史知県にたいする恨み骨髄だったので、顔如玉の位牌を作って朝に夕に、
「もし君に霊魂があるならば、わたしの任地を福建にしておくれ」
と頼んでいたところ、のち果たして直指使に任じられて福建の巡察を命じられた。滞在すること三カ月、史の悪行を洗い出して、その家産を没収した。
(後略)