ここに書きこむのは初めてとなる
第1回目のちゃんとした記事である。
今回は、この前の学祭であった時のことを書こうと思う。
(以下の文章には所々セリフがあるものの、思い出して書いているので正確に再現は出来てないので悪しからず)
先日、大学の学祭があった。
私の大学は年に2回ほど学祭を行う。
5月と11月の春秋に大学としての大きな学祭が行われる。
今回は5月ということで、大学生同士がわいわいやるというよりは、主に新入生勧誘や在学生の表彰などを目的とした学祭である。
私は全身スーツ(靴だけはスニーカーだった)という出で立ちで大学に向かった。
普段はそのような格好はしないのだが、今回ばかりはそうはいかない理由がある。
総長に逢い、大学から援助して貰った課外活動の成果発表を行うという目的があったのだ。
この援助は、様々な課外活動が公募の末、大学側に選定され、採択を通ったグループだけが残るというものだ。
私たちは合成生物学の国際学生大会であるiGEMの件で採択されていた。(いつかiGEMについては別で書こうと思う)
しかし、他にもロボコンや鳥人間、学生フォーミュラ(車を作っている)などが採択されている。
理科系の学問だけでなく、文系の研究としては、国際模擬裁判や留学生の意識調査なども研究名に名を連ねている。
全部でおよそ10団体。採択されるのは中々難しいのだ(去年われわれは採択されなかった)。
みな、大学から資金面での援助を受けて、独自に多くの人の助けを得ながら研究成果を出してきていた。
朝9時20分に集った人たちは、1時間後に来る予定の総長に成果発表する為、各ブースを設営している。
時間になると、総長や共通教育委員長などが多くの人を連れてやってきた。
各グループは各先生の質問に応対しながら、自分たちの研究について如何に成果を出したかということを発表していった。
総長達への発表が終われば、自由時間とでもいおうか、取りあえず自由の身となる。
一仕事終えた安堵感にみな包まれて、三々五々にばらけていく。
一応、15時までは設営が解けないので、ブース前には各グループ1人くらいが常駐し、時折来る人に説明を行う。
とはいうものの、一応「学祭」である。
研究の報告を聴きに来る人など基本的には誰も居ない。
私が説明したのも2人くらいである。
暇を持て余した我々は、自ずと、他グループの説明を聞きに行く。
スーツに身をやつした御仁もいれば、フランクな紋切型の大学生の服装の人も居る。
よく見れば、何年かにわたって数回採択されている団体はスーツのようだ。
総長に逢うのだから、スーツで、という意識があるのだろう。
それはさておき、こういう他分野の研究というのは非常に面白い。
ブースに居るのが同じ大学生ということで質問もしやすい。
一応、各団体はバックアップに先生が居たり、学部があったりするので、的外れな研究もそこまで多くない(と信じてみる)。
事実、数回採択されている団体は、多くが「国際大会」や「国内大会」で大学名を背負っている所が多い。
私も例にもれず暇だったので、他団体に質問しに行った。
勿論、興味というか、下世話な質問を飛ばしたい欲望というか、まぁ色々、ないまぜになっている。
私はそこで所謂「意識高い」と呼ばれる人と出逢ったのだ。
最も興味があった研究は「大学におけるボランティアセンターの役割について-3.11を通して-」というテーマのモノだった。
ボランティアという言葉に惹かれた。
何故かと言えば、ボランティアというのはかなり曖昧な言葉だからである。
それを研究テーマの1つに掲げているのだから、何を調べ、何を結果として出したのか、非常に気になったのだ。
研究テーマとしては「ボランティアセンターは有った方が無いよりは良い」という結論だった。
ボランティアセンターの有無で大学ごとに聞き取り調査を行い、ボランティアセンターが実際機能しているのかどうかを調べていた。
ボランティアセンターとは、ボランティアを一貫して扱い、大学生とボランティア先をつなぐ大学の機関である。
曲解している可能性があるので、ここで研究内容については詳しく書かないこととする。
興味深そうに、ブースのポスターを見ていると、ひとりの男性が話しかけてきた。
このブースの担当者のようだ。
服装はいたってフランク、正に「大学生」である。
うすピンクのパーカーの中に薄い青のシャツを着込んでいる。
髪は短く整えてあって、決して染めている訳でも、ワックスでがっちり固めてあるわけでもない。
清純な大学生という印象を受けた。(あくまでも見た目)
グラフの読み方や、アンケートの内容についてなど、とりあえず思いついたことを全部訊いてみた。
すると、丁寧に対応してくれる。
私は決して、優しい聴衆ではない。
質問も、相手が答えられなさそうなものを選んで質問する。
非常にうっとうしい客だったはずだが、なんと綺麗に返してきてくれた。
しかし、色々質問するうちに色々見えてきたものがある。
ポスターに書いてあること以外の質問も多数していたが、抽象的というか、本質的な質問への返答が曖昧なのである。
まぁ質問が悪いといえばそれまでだが、答えられないのではなく、本当にそう思っているかも、と感じた。
その答えというものが「解らないです」という言葉である。
例えば「大学生がボランティアをする場合、勉学とどちらを重視すべきですか?」という質問には明確に答えてくれる。
応えはこうだ。
「私は大学生のうちは勉強するべきだと思います。私は教養教育優秀賞を実際貰いましたし、メリハリが大事ですよ」と。
なるほど、教養教育優秀賞を貰っているという。
教養教育優秀賞とは、教養教育(一般教養)の期間で成績が優秀であった者を表彰する大学の制度である。
各学部、3-4人が選定されるが、自薦という形なので、応募しない限り採択されない。
かなり頑張っているのだろうということが見て取れた。
実は私も貰っていたのだが、本人の前では言わなかった。
変に身構えられても面白くないからだ。
話を戻そう。
例えば、こういう質問を投げかけてみた。
「大学生はボランティアはした方が良いですか?」
彼はこういう。
「ボランティアは強制じゃないと思います。自分がやりたいからこそやる」
そして、彼には彼なりの理論があるようだ。
「ボランティアのイメージを変えたいんですよ。今のイメージは悪すぎると思います。だから、活動から変えていきたい」
更にこう続く。
「気軽にボランティアが出来る環境が良い。海外だと日本人大学生よりボランティアが一般的だ」
「ボランティアはニーズがあってこそだと思います。自分が相手に何かすること、そして、自分が何か得ることが大事なんです」
「ボランティアをやるきっかけは何でもいいと思います。たとえ、単位が目的でも、きっかけになれば良いのです」
ボランティアとしての問題点も認識しているようだ。
「もちろん、偽善なのではないか?という疑問は常に付きまといます。そしてマナーの悪いボランティアが居なくなるようにもしないといけません」
そして、こういう話を聞いて、こう訊いてみた。
「将来どうするつもりなんですか?」
そう聞いてみると「私は理学部の生物専攻なんです」という。
ほう、と少し驚いた。
私が採択してもらった合成生物学の団体も主体は理学部生物である。
同じ学科とはいえ、毛色の違う人も居るものだと改めて思った。
そして将来の話をとつとつと喋りだす。
「理学生物の研究もしたいんですけど、ボランティアの研究もしたいんですよねぇ」
散々質問してからだが、この人は「ボランティア」が好きなんだなぁと思った。
ボランティアの在り方を只管考えている気がした。
「もう、ボランティア団体を設立した方が速いんじゃないんですか?」
私は思わず、そう言った。
「ええ、実はそういうことも考えています」
ああ、やっぱり、そこまでやる気なんだなと思った。
「大学生が活動することで、ボランティアの現状はよくなりますか?」
そう訊く。
「解らないです。そこは解りません。どうなるかは誰にもわかりません」
そう聞いた時、少し、拍子抜けた。
解らないのは当然である。これでは、未来は誰にも予測できません、そう言っているようなものだなぁと。
理学部の生徒だからだろうか、不確実なものには明確な言葉を附せないのかもしれない。
個人的にはここまで理想を語るなら、もっと喋って欲しかったのであるが、そうはいかなかった訳である。
最後に、彼は笑いながらこういった。
「実は今、会社を立ち上げようとしているのです。知り合いの人が居て…」
その笑いは照れくさそうな笑いだった。
彼は何を感じていたのだろう。
「私は何事も、やっていればきっとよくなると信じているのです。どうなるかは解りませんが、きっと社会はついてくる、そう思うのです」
彼は最後の最後に信念を語った。
そして、要らぬ心配ではあろうが、なんだか大丈夫かなぁ、そう思ったのであった。
一言でいえば、ビジョンが非常に曖昧であると感じた。
本当に社会は動いてくれるのだろうか。
私はまだ、この点がよく理解できていない。
「意識高い」ということは悪い事ではない。
大いに奨励されるべきことであろう。
ボランティアも悪くない。
ボランティアというのは非常に大切なものだ。
しかし、彼と話して、あまり芯を突いたような応えは聞けなかった。
もっと、語ってもらった方がよかったのかもしれない。
彼のボランティアは「大学生が何かを得るきっかけ」であった。
「ボランティア先のニーズ」が少し軽く扱われているような認識を受けた。
あくまでも、短時間の会話だけの応答に過ぎなかったが、そういうことを感じた。
彼の未来が「理想通り」になる事を望むものである。
余談ではあるが、この日、あと2人面白い人に会った。
こちらも後に書いてみようと思う。
第1回目のちゃんとした記事である。
今回は、この前の学祭であった時のことを書こうと思う。
(以下の文章には所々セリフがあるものの、思い出して書いているので正確に再現は出来てないので悪しからず)
先日、大学の学祭があった。
私の大学は年に2回ほど学祭を行う。
5月と11月の春秋に大学としての大きな学祭が行われる。
今回は5月ということで、大学生同士がわいわいやるというよりは、主に新入生勧誘や在学生の表彰などを目的とした学祭である。
私は全身スーツ(靴だけはスニーカーだった)という出で立ちで大学に向かった。
普段はそのような格好はしないのだが、今回ばかりはそうはいかない理由がある。
総長に逢い、大学から援助して貰った課外活動の成果発表を行うという目的があったのだ。
この援助は、様々な課外活動が公募の末、大学側に選定され、採択を通ったグループだけが残るというものだ。
私たちは合成生物学の国際学生大会であるiGEMの件で採択されていた。(いつかiGEMについては別で書こうと思う)
しかし、他にもロボコンや鳥人間、学生フォーミュラ(車を作っている)などが採択されている。
理科系の学問だけでなく、文系の研究としては、国際模擬裁判や留学生の意識調査なども研究名に名を連ねている。
全部でおよそ10団体。採択されるのは中々難しいのだ(去年われわれは採択されなかった)。
みな、大学から資金面での援助を受けて、独自に多くの人の助けを得ながら研究成果を出してきていた。
朝9時20分に集った人たちは、1時間後に来る予定の総長に成果発表する為、各ブースを設営している。
時間になると、総長や共通教育委員長などが多くの人を連れてやってきた。
各グループは各先生の質問に応対しながら、自分たちの研究について如何に成果を出したかということを発表していった。
総長達への発表が終われば、自由時間とでもいおうか、取りあえず自由の身となる。
一仕事終えた安堵感にみな包まれて、三々五々にばらけていく。
一応、15時までは設営が解けないので、ブース前には各グループ1人くらいが常駐し、時折来る人に説明を行う。
とはいうものの、一応「学祭」である。
研究の報告を聴きに来る人など基本的には誰も居ない。
私が説明したのも2人くらいである。
暇を持て余した我々は、自ずと、他グループの説明を聞きに行く。
スーツに身をやつした御仁もいれば、フランクな紋切型の大学生の服装の人も居る。
よく見れば、何年かにわたって数回採択されている団体はスーツのようだ。
総長に逢うのだから、スーツで、という意識があるのだろう。
それはさておき、こういう他分野の研究というのは非常に面白い。
ブースに居るのが同じ大学生ということで質問もしやすい。
一応、各団体はバックアップに先生が居たり、学部があったりするので、的外れな研究もそこまで多くない(と信じてみる)。
事実、数回採択されている団体は、多くが「国際大会」や「国内大会」で大学名を背負っている所が多い。
私も例にもれず暇だったので、他団体に質問しに行った。
勿論、興味というか、下世話な質問を飛ばしたい欲望というか、まぁ色々、ないまぜになっている。
私はそこで所謂「意識高い」と呼ばれる人と出逢ったのだ。
最も興味があった研究は「大学におけるボランティアセンターの役割について-3.11を通して-」というテーマのモノだった。
ボランティアという言葉に惹かれた。
何故かと言えば、ボランティアというのはかなり曖昧な言葉だからである。
それを研究テーマの1つに掲げているのだから、何を調べ、何を結果として出したのか、非常に気になったのだ。
研究テーマとしては「ボランティアセンターは有った方が無いよりは良い」という結論だった。
ボランティアセンターの有無で大学ごとに聞き取り調査を行い、ボランティアセンターが実際機能しているのかどうかを調べていた。
ボランティアセンターとは、ボランティアを一貫して扱い、大学生とボランティア先をつなぐ大学の機関である。
曲解している可能性があるので、ここで研究内容については詳しく書かないこととする。
興味深そうに、ブースのポスターを見ていると、ひとりの男性が話しかけてきた。
このブースの担当者のようだ。
服装はいたってフランク、正に「大学生」である。
うすピンクのパーカーの中に薄い青のシャツを着込んでいる。
髪は短く整えてあって、決して染めている訳でも、ワックスでがっちり固めてあるわけでもない。
清純な大学生という印象を受けた。(あくまでも見た目)
グラフの読み方や、アンケートの内容についてなど、とりあえず思いついたことを全部訊いてみた。
すると、丁寧に対応してくれる。
私は決して、優しい聴衆ではない。
質問も、相手が答えられなさそうなものを選んで質問する。
非常にうっとうしい客だったはずだが、なんと綺麗に返してきてくれた。
しかし、色々質問するうちに色々見えてきたものがある。
ポスターに書いてあること以外の質問も多数していたが、抽象的というか、本質的な質問への返答が曖昧なのである。
まぁ質問が悪いといえばそれまでだが、答えられないのではなく、本当にそう思っているかも、と感じた。
その答えというものが「解らないです」という言葉である。
例えば「大学生がボランティアをする場合、勉学とどちらを重視すべきですか?」という質問には明確に答えてくれる。
応えはこうだ。
「私は大学生のうちは勉強するべきだと思います。私は教養教育優秀賞を実際貰いましたし、メリハリが大事ですよ」と。
なるほど、教養教育優秀賞を貰っているという。
教養教育優秀賞とは、教養教育(一般教養)の期間で成績が優秀であった者を表彰する大学の制度である。
各学部、3-4人が選定されるが、自薦という形なので、応募しない限り採択されない。
かなり頑張っているのだろうということが見て取れた。
実は私も貰っていたのだが、本人の前では言わなかった。
変に身構えられても面白くないからだ。
話を戻そう。
例えば、こういう質問を投げかけてみた。
「大学生はボランティアはした方が良いですか?」
彼はこういう。
「ボランティアは強制じゃないと思います。自分がやりたいからこそやる」
そして、彼には彼なりの理論があるようだ。
「ボランティアのイメージを変えたいんですよ。今のイメージは悪すぎると思います。だから、活動から変えていきたい」
更にこう続く。
「気軽にボランティアが出来る環境が良い。海外だと日本人大学生よりボランティアが一般的だ」
「ボランティアはニーズがあってこそだと思います。自分が相手に何かすること、そして、自分が何か得ることが大事なんです」
「ボランティアをやるきっかけは何でもいいと思います。たとえ、単位が目的でも、きっかけになれば良いのです」
ボランティアとしての問題点も認識しているようだ。
「もちろん、偽善なのではないか?という疑問は常に付きまといます。そしてマナーの悪いボランティアが居なくなるようにもしないといけません」
そして、こういう話を聞いて、こう訊いてみた。
「将来どうするつもりなんですか?」
そう聞いてみると「私は理学部の生物専攻なんです」という。
ほう、と少し驚いた。
私が採択してもらった合成生物学の団体も主体は理学部生物である。
同じ学科とはいえ、毛色の違う人も居るものだと改めて思った。
そして将来の話をとつとつと喋りだす。
「理学生物の研究もしたいんですけど、ボランティアの研究もしたいんですよねぇ」
散々質問してからだが、この人は「ボランティア」が好きなんだなぁと思った。
ボランティアの在り方を只管考えている気がした。
「もう、ボランティア団体を設立した方が速いんじゃないんですか?」
私は思わず、そう言った。
「ええ、実はそういうことも考えています」
ああ、やっぱり、そこまでやる気なんだなと思った。
「大学生が活動することで、ボランティアの現状はよくなりますか?」
そう訊く。
「解らないです。そこは解りません。どうなるかは誰にもわかりません」
そう聞いた時、少し、拍子抜けた。
解らないのは当然である。これでは、未来は誰にも予測できません、そう言っているようなものだなぁと。
理学部の生徒だからだろうか、不確実なものには明確な言葉を附せないのかもしれない。
個人的にはここまで理想を語るなら、もっと喋って欲しかったのであるが、そうはいかなかった訳である。
最後に、彼は笑いながらこういった。
「実は今、会社を立ち上げようとしているのです。知り合いの人が居て…」
その笑いは照れくさそうな笑いだった。
彼は何を感じていたのだろう。
「私は何事も、やっていればきっとよくなると信じているのです。どうなるかは解りませんが、きっと社会はついてくる、そう思うのです」
彼は最後の最後に信念を語った。
そして、要らぬ心配ではあろうが、なんだか大丈夫かなぁ、そう思ったのであった。
一言でいえば、ビジョンが非常に曖昧であると感じた。
本当に社会は動いてくれるのだろうか。
私はまだ、この点がよく理解できていない。
「意識高い」ということは悪い事ではない。
大いに奨励されるべきことであろう。
ボランティアも悪くない。
ボランティアというのは非常に大切なものだ。
しかし、彼と話して、あまり芯を突いたような応えは聞けなかった。
もっと、語ってもらった方がよかったのかもしれない。
彼のボランティアは「大学生が何かを得るきっかけ」であった。
「ボランティア先のニーズ」が少し軽く扱われているような認識を受けた。
あくまでも、短時間の会話だけの応答に過ぎなかったが、そういうことを感じた。
彼の未来が「理想通り」になる事を望むものである。
余談ではあるが、この日、あと2人面白い人に会った。
こちらも後に書いてみようと思う。