Mの東方放浪記



もうツリーを飾る季節なんですよねえ。


東方神起の休止、それにつづくユニットの発表に

「ああ、本当に終わりなんだな」と打ちのめされた春。

結局あれから東方神起の曲を聴くことが出来なくなったまま。拒み続けたまま雪の季節を迎えそうです。


去年の今頃の日記を読み返すと、

一生懸命都合のいいように解釈しようとしている自分に物悲しくなる。

見えていたのにね、それを否定するのて凄い労力で、

その力てある意味カルトですよ。


溺れる者は藁をも掴むとは言うけれど、

ほんのぽっちりのあるかないか分からないような藁に縋っていて。

しかも藁だと思っていたものは藁でもなんでもなかったっていう。


もしあの頃の自分に出会えるなら、教えてあげたいな。

いや、抱きしめてあげたいな。(キモい)

よしよしと頭を撫ぜてあげたい。


人がああ言っていたこう言っていた、いや、これは実はこういうことだと振り回されてきたものからキッパリ降りる助けになったのが春の発表だったのだから皮肉なもんです。


もう誰かを無防備に好きになるなんてことはしないし、

出来ないだろうなあ。





ユノとチャミにはどうしても東方神起を名乗らせなきゃいけないんですかね?

沢山の人の努力によって築き上げたものだからやっぱ大事にしないとダメ?

魚沼産コシヒカリみたいな?

ただのコシヒカリじゃないのよ!みたいな?

中身がしっかりしていれば別にそんな事どうでもいいと思うんだけどな。