愛猫の納骨が終わりました。


飼い始めて10ヶ月、子猫ではないけど成猫というほど老いてもいない感じの黒猫でしたが

最初の検診から少し引っかかりのある子で、

それでも適度に賢く、適度に甘えん坊で、

振り返れば付かず離れず軒寄りでコチラをジッと見ているような子でした。


外を眺めては鳴き、ご飯を求めてはは鳴き、

とにかくよく声を出す子ではありましたが、

なぜだか大人しく物静かだった印象のある不思議な子でした。


そんな子が2月の頭に急逝しました。


急逝とはいえ、最後はご飯もあまり食べられなくなって、嘔吐はするしで、あまり状態はよくありませんでした。


それでも。


最後の日の朝はこちらを見つめながら小さな声で声をかけてくれて、また夕方には普通に夕飯を与えて仲良く過ごそうって考えていたところでした。


でも、帰宅してみて、ご飯を持って自室に戻ってみると、もうその子は動かなくなっていました。


泣きましたね。

たくさん動物は飼ってきて沢山見送りもしたけれど、多分人生において一、二位を争う悲しい別れでした。


それからひと月半。


だいぶ精神的にも落ち着き

納骨を終えた事でひと区切り出来た感覚があります。


よくそんな話をしていると

『きっとまたあえるから...』

といってくれる方が結構いて、


そういう転生みたいな話が

世間では一般的に言われているものなのか?


と少し驚きました。


僕自身はファンタジー作品や異世界転生モノを結構好きで読んでいたりするので、そういう話は嫌いでは無いのですが、一般に受け入れられないヲタク的思考のジャンルだとおもっていたので、


世間一般の常識的なひとたちからそんな事を言われてて少し面食らった感じになったりもしたんですが、


会えるものなら会いたいと普通に思いますし、

そう言われてから、また会いに来てくれるかな?って少し期待しつつ周りに猫はいないかと探してしまっている感じにはなっていると思います。


でも、


また飼いたいか?と問われると少し考えます。


確かにそばにいる間は本当に幸せでした。


他に何もいらないくらい、

何をしたら喜ぶかって日常的に考えてしまうくらいに楽しかったんですが、


それを全て失ってひと月半。

いなかった頃の日常に立ち戻って、

いままた飼いたいか?と問われれば、

結構、お金もかかったし、


やっぱり、別れのツラさを味わったばかりというのもあるのか、迂闊に飼いたいとも言えないというか...。


そんな感じです。


・・・会いたいけどね。


ほんとうに会いたいとは思うけど、

あの子じゃなきゃもう要らないかな...。


って感覚はあります。


恥ずかしながら...、ですが。