たった今、洗濯物を干しながら
「宅配食材の申し込みの〆日、今日じゃん・・・やらないと」
と、思い出したんです。
そういえば、このサービスってA8.netにプログラムがあったような?と、思い出し、
「そういえば、なんで宅配食材を利用してるんだっけ・・・?」
と、考えたところ、ファンブログで書いてる内容が理由だったことに気付きました。
ってことは、プログラムがあれば紹介できるじゃん?
いや、なかったとしても良いサービスだし紹介したい。
そこからはもう、自分がそのサービスを利用して購入している商品のことや、その商品の何が良くて購入してるのか、でもこのサービスにはデメリットもあって・・・と、次から次に言葉が溢れ出してきました。
自分の言葉=オリジナリティ って、こういうことなんだ!ってはっきりとわかりました。
ファンブログで書いている記事も、記事によって何か違和感を感じていたんですよね。
用語説明的な記事は、間違いがあってはいけないっていうのもあって参考にしたページにどうしても似てしまうし、いくら文体を直しても私の言葉じゃないんです。
でも、自分の体験や経験、普段感じてることを書いた記事は、間違いなく私の言葉なんですよね。
自分の言葉で書くというのは、いかにそのことについて熟知・把握しているかってことなのかがようやく分かりました。もちろん言葉の意味ということで理解はしていましたけど、実感の伴う理解とはまた別です。
例えば人に何かを教える(伝える)とき、手元に何も資料がない状態でも、自分が知っていることってスラスラ説明できますよね。ちょっとあやふやなところは、あとで調べてから伝えたりもすると思います。
ネット上でチャットを使って説明するなら、不完全な部分は随時調べながら伝えたりするでしょう?
それに、「こういうことになってるけど実際はさぁ~・・・」とか、必ず自分の考えや主張も補足します。
でもってこれって、例えば相手が病気かもしれないとか、危機感や心配度によって、熱い説得になるんですよね。
相手が聞く耳をもっていなくても、なんとかわかって欲しい!
そうか、そうか・・・この気持ちなんだなあ。
自分の言葉で書くという本当の意味がわかったと思います。
わかった「つもり」のまま進んでしまうところでした、危ない危ない。
あー良かった!
そして、忘れないように、洗濯を干し終わってすぐ書きました。