『上京』という言葉の響きからイメージされるのは「若さ」「情熱」「一途」など いずれもポジティブな単語ばかりである。

私にも上京の経験がある。当時すでに40歳になっていた。漫画家という職業には浮き沈みはつきもので、その頃 ほとんどの

連載が一時期に終了し、食い詰めて上京せざるを得ない事態に追い込まれていた。限りなく夜逃げに近い「上京」であった。

「上京」という言葉をイメージだけで判断してはいけない。

 

40過ぎの上京。住居となったのは家賃3万円、4畳半、風呂なし、共同トイレの木造アパートだった。 とにもかくにも仕事がない。金もない。友だちもいない状況で、朝、目を覚ますと「今日は何をして1日をつぶそうか」と悩んだものだった。ひがな1日ひたすら近所を散策していた。図書館、公園、喫茶店、昼間の銭湯…と何の目的もなく、ただそこにいて周りの風景を眺めていた。40過ぎて家庭も持たず、財産もなく、仕事もない状況。悲惨この上ない事態なのだが、ドン底まで落ちると人間、開き直れるもので,私は何のノルマもなく、誰からも干渉されない日々を心から楽しんでいた。

当時の私は間違いなく「貧乏」ではあったのだが、自分の人生の中で最も豊かで、最も幸福な時間を過ごしていたように思う。

 

「貧乏」という言葉をイメージだけで判断してはいけない。