いいかげんな自分メモ(ブログ記事整理再編中)過去の文章がいきなり再掲されたりしますw
先日の記事のスペインつながりでちょっと思い出した事を。もう10年以上も前の夏。首都近郊のアルカラ・デ・エナーレス(Alcalá de Henares) という町に滞在していて、以前からなじみのロックバーに夜な夜な足を運んでいた。帰国も迫ったある日また行ってみると、以前からの顔見知りと一緒にもうひとり、ナディア(Nadia)という女性が店番をしていた。White widoWというメタルバンドのメンバーだ。その際、ナディアからデモ音源をもらう約束をしたのだけど、結局果たせずに僕は帰国。・・ああ、White widoW、もっと前から聴いておけばよかったなあ!!と、後悔。後で知ったけど、その年の夏も結構ライブとかやってたみたいだ。結果的には、バンドの公式サイト等で公開されている音源を後日聴けたのでよかったんだけど、バンドは間もなく解散してしまった・・・。…と、ここまでで話は終わってるわけなんですが、最近ちょっと思い出してバンドのHPをダメもとで開いてみたら、まだある!!公開音源も聴ける!!久しぶりに聴けて感動した。意図的に残してあるのか、単なる放置HPなのか分らないけど、こうして後になってからも聴けるのは嬉しい。もう活動してないので、特に宣伝するつもりもないけど、プログレッシヴ・メタルと銘打っていて、ちょっとダークなテイストもあるメタルバンドだ。Nadiaのような女性メンバーがいる White widoWというバンド、というと女性中心のバンドを想像するかも知れないが、女性は Nadia 一人で、あとは男4人。Nadiaはキーボード担当でフロントではない(メインボーカルはヘスス(Jesús)という男性)【2013~14当時】。(もともと男性メンバーだけで Viuda Blanca ビウダ・ブランカ というバンド名で活動していて、Nadiaは少し後からバンドに加わったらしい。なお、Viuda Blancaは、White widoWと同じ意味のスペイン語)。(White Widow, やWhite Widowsという名のバンドは世界中に結構いるけど、男性バンドが多いようだ)。ちなみに、我らがホワイト・ウィドウは White Widowではなく、White widoWと書くのが正しい。みんな元気かな。。。
以前、Movida madrileñaの思い出と題する記事を載せたのだけれど、あの話に出てくるアーティストたちは、あの頃(1989~90年)流行ってたとか、僕がラジオやロックバーでよく聞いたとか、どこかしこで知り合った人から聞いて知ったのが中心になってて、しかもロックに限らずポップスのいろんな人達が登場する。あくまで個人的な思い出話だからしょうがないとして、もちろん、あの記事で触れてない重要なバンドもたくさんいるわけで、特に80年代前半に活躍したパンク系のバンドのことはほとんど触れていなかった(というか、比較的活動期間が短かったバンドも多く、知る機会がなかったり、当時の僕にとっては余りなじみがなかった。)・・・なんだけど、このたび、"Various Punk Ibérico 1982-1986" なるCDが出ていることを知り、早速入手して聴いてみた。既に廃盤となっている当時のEPやミニアルバムの音源の再発版といったもので、かなり貴重なんじゃないかと思う。80年代初頭~前半は、日本でもバッキンバキンのハードコアパンクが隆盛だったが、本CDに収められているバンドも、その系のバンドたち。例によって高速ノリでまくし立てるようなヴォーカルスタイルが多く(曲によってはいわゆる「何言ってるか分んない系」のもww)、あの頃の息吹満点だ。こういうものをしっかり扱っている、REVENGE RECORDSさんには頭が下がる。ちなみに、本CD中のバンドで上記のMovida madrileñaの記事で触れてるのは Siniestro Total(シニエストロ・トタル)だけ。もっともSiniestro Totalは、早々にバキバキのパンク路線から離れて、僕がスペインに行った頃は結構ポップな感じになっていたと思う。そういえば最近、Rotura(ロトゥーラ) とか Harén(アレン)といった現代スペインのパンク系バンドも聴いてみてるんだけど、(もちろん、それぞれの個性はあるわけだけど)基本的には80年代頃のそれとノリは一緒だ。歌詞の具体的な内容(取り上げてる話題)は違っても、ある種の主張・批判のスタンスのようなものがある限りり、こういう音楽は時代を超えて受け継がれていくのかなあ。
主に1980年代後半に活躍した日本のロックバンド、RAPについては、このブログでもちょっと前に触れた⇒こちら参照。ところでこのバンド名、当時、友達などと音楽の話をするとき、「ラップ」と言うと別のラップ(音楽に乗せたリズミカルな語りというか、あの音楽ジャンルとしての「ラップ」)のことだと思われて、話が見えなくなることがよくあった。そこで僕は「[アール・エー・ピー]と書いて「ラップ」っていうバンドがいるんだけどさ、…」などとまどろっこしい言い方をすることも多かった。(面倒なので単に「アール・エー・ピー」と言うこともあったけど、これじゃスペルを言ってるだけで、バンド名を正しく言ってることになりませんね。やはりRAPはRAP[ラップ]だ。)さて、あの頃買ったレコード(EP、ミニLP)や、そこから普段聴き用にダビングしたカセットテープなどは劣化が進んでしまって、永久保存版状態になっています。なんたって、ほぼ40年ほど前のもの(一番“新しい”ミニLP『HYSTERIA』でも'87年)。ちょっと前から時々暇を見つけては、昔録ったテープなどの音をPCに取り込んだりしてるんですが、もちろんRAPもその対象。・・・残念ながらレコード(特にLP)の方は、たわんでしまって音がウワンウワンうねるし、再生するごとにテンポが違ってるような…(泣;)。(『HYSTERIA』のA面1曲目の前奏聴いたとき、これは自分の知らない曲だとさえ思った(泣&笑)。もっとも、ウチのレコードプレーヤーの問題もあるかも知れません。)一方、カセットテープはまだまだ聴ける!!!(カセットテープ聴けるデッキをまだ持ってるってか?、て感じですが)。でも、聴く方はPCに取り込んだ音に頼ることにして、テープ自体はやはり保存用です。去年RAPのCDが再発されたのでそっちを聴けば済むこと、と言われそうですが、やっぱりテープの音にはそれなりの味わいが。世にCDというものが普及しはじめた頃、アナログの方が音の厚みがあってどうのこうのという議論があった。僕としては今そういう議論をするつもりはないけど、カセットテープやアナログレコードを僕のようなシロウトが扱う次元の場合、本来の音源にはない音が入りやすいのは確かだ。「雑音」と言われればそれまでだけど、テープ回ってる音、レコード盤の上を針が走る音、などの独特の雰囲気音は、それだけで「そこにある空気」のような感じがして、それはそれで心の中の音の厚みと言ってよいのでは?(まるで間近で演奏してるかのように感じるのは気のせいだろうけど)。若い頃は、刹那的なめぐり合わせに身をまかせ、その時どきの都合に流されてばかり。自分なりに表現したい気持ちや、音楽から得た共感なども、あまり掘り下げずに自分のなかに置き去りにしがちだった気がする・・・また改めてじっくりとRAPの音楽と詩に耳を傾けてみて、忘れかけた言葉取り戻せるかな。停止しかけた思考を再開するために。
先日の記事でも触れた、1980年代に活躍した日本のガールズロックバンド、RAP。(パンク系のバンドです。あの音楽ジャンルの「ラップ」とは関係ありません。)基本的に洋楽偏向型だった僕にしては、別格的に好きだった日本のバンドだ(←つい回想気分で過去形に。もちろん今も好きです)。88年には解散してしまった彼女らだが、去年(2024)、CD『WRAPPED!』が発売された。(売り上げはチャリティにまわされるということなので、その意味でも買えてよかったよ)。【WRAPPED! 】ちなみにまだオンラインショップなどでも取り扱いあるみたいです。活動期間中に発表された曲、合計18曲が入ってる(当時未発売だった3曲も含む)。あの頃は、3曲入りのEPや6曲入りのミニLPなど、通して聴くのは数曲ずつ(しかもA面B面あるしね。テープに入れればもうちょっとまとめて聴けたけど)。CDになって18曲ぶっ通しで聴けるのもいい。今回の再発には感謝感謝だ!そういえば1985年頃から、ちらほらRAPの名を見聞きするようになっていた。当初は、たまたま当時つるんでいた女の子がいかにも真似しそうな感じだったという理由で、興味を引かれた程度だったかも知れない。で、ある土曜の午後、何となく情報誌を見てたら、某ライブハウスのその日のライブにRAPが出るっていう!!ほとんど衝動的に出かけて行った。演奏、ビジュアルとも光ってたし、歌詞も心に食い込んでくるものがあった。後になってレコード買って改めて聞き込むにつけ、詩にはますます魅了された。88年にRAPは解散。活動期間が短かったのは惜しまれるかも知れないが、そのかわり全ての曲が代表曲だ。その演奏と歌詞はいつ聴いても心に突き刺さってくる。もう、昔入手したレコードやテープは磨り減ったり劣化するのがイヤなので、そろそろ永久保存入りか。というわけで、再発CDには感謝、感謝だ!!【昔なつかしい自分用テープも永久保存入りか】EP『TRAP』と『RAPOUT』(いずれも1986)を自分用にテープに収めたもの。
僕は今ちょっとした病気を抱えている。表向きは重病には見えず、仕事も騙し騙し続けているけど、呼吸器の不全なので日々行動するのがシンドイ。無理すると心臓に来る。最近脈の乱れとかヤバイ。医者によると体力の消耗が激しく、老化も早まるそうで…・・・だから、というわけでもないが、少し前から身辺整理に着手している。その一環として、納戸やクローゼットの奥にしまいこんでいた物品を、暇を見て整理する・・・昔描いた絵とか下絵とか(←実際にはただの落書きだよ)、なんかの素案とかメモなどを出してみる・・・やっぱり身辺整理って大事だな。だって、こんな無様なもの残したまま死ねるかww。さて、保管物のなかに、一般家庭にありそうな液晶テレビ画面ほどの大きなポートフォリオがいくつかある。そのひとつ、表面落書きだらけで薄汚いやつに Atelier Rouge(アトリエルージュ)と書いてある。落書きは僕自身のもの、あの頃の仲間のものなど混在していてメチャクチャだ。「アトリエルージュ」は、1980年代ごろの僕の活動の場だった。活動の場とは、物理的には当時付き合っていた人の家、僕自身の家、などだが、あの仲間の輪そのものが僕にとっては活動の場であり、アトリエルージュだった。こんなふうに言うと、いかにも芸術サークルのような感じがするかも知れないが、(今だから言っちゃうけど)、実態は、ただの気ままにふざけたり戯れあってるだけの交遊関係に過ぎなかった・・・かも。ゴメンそれでもたまにちょっとした活動を計画したり、同人誌みたいなものを作ろうとしたりした。そもそもただの交遊関係の輪なので、最初から最後まで決まった名などなかったわけだけど、いつの頃からか「アトリエルージュ」の名を意識するようになった。無論、自分らで勝手に「あだ名」的に言ってるだけで、公的に使ったりしてません。この名前、(僕の記憶に間違いがなければ)ロックバンド RAPのvo、ROUGEの名前をヒントにしている。仲間の女の子が好きそう、いかにも真似しそうな感じだったので、「アトリエルージュ」という名を思いついたんだと思う。RAPのCDが去年発売されて、ちょっとあの頃を色々思い出してたりしたので、ポートフォリオについてもなんか感慨深い。
僕の今住んでる場所は、東京都内の田舎の方で、もちろん最寄り駅の駅前の商店街・繁華街も小規模。それでも地元民としては、お気に入りの飲食店などもそれなりにあって好きなんですよやっぱり。でも正直言って、地元以外の人がわざわざ出かけてくるような店とかって特にないかも…(商店街の皆さん、こんな事言ってすみません)・・・と思ったら、意外に(と言ってはまたまた失礼ですが)、意外にも「こんな所にこんな店が!」みたいな音楽系の店もあったりします。もともとそういう店が2軒あった。1軒はモロ駅のまん前にあって、普段は喫茶店風で夜はお酒も飲める店という感じだけど、定期的にジャズやブルース系のライブをやっていて沿線沿いではそこそこ有名スポットだった。それが数年前に閉店。同じフロアにあった他の店ともども消えてしまった。今はそのフロアまるごと某有名チェーン店だ。もう1軒は駅前ロータリーからちょい脇に入った道沿いの雑居ビルの上の階にある。最近は客のリクエストに応じてどんなジャンルの音楽もかけてくれるようだが、もともとはロック中心のバー。お酒はちょっと高いけど居心地いいし、マスターが古いロックも詳しくて話してて楽しい。客が少なければリクエストし放題だし、ひとつリクエストするとマスターが適当に傾向をみつくろっていろいろ流してくれる。僕は若い頃から新宿あたりのロックバーに入り浸ってて、今の町に住むようになってからも、ロックバーといえばわざわざ新宿まで出て行っていた。そのせいもあって、地元にあんないい店があるのをしばらく知らずにいた。(その新宿のバーも10年ぐらい前に閉店になっちゃった;;)遅ればせながら地元でお気に入りのロックバーを見つけたわけだけど、今は僕自身が体調不良続きで、おいそれと飲みに行ったり出来ない体になってしまった。でも、暇のある時、体の調子のいい時、また必ず行くよ。できれば徹夜で入り浸りたいけど、まあ無理すんな!!!
だいぶ前に(2020年8月)、La Vía Láctea(ラ・ビーア・ラクテア)というスペイン・マドリードのバル/ホールのことを書いた。マドリード滞在中によく行ってた、その後もスペインへ行くたびに必ず行ってた場所だ。いつかまた・・・と思ってたけど、どうも無理らしい。今の病気(呼吸器の障害)は、もうこれ以上良くならないと前から言われている。騙し騙しどうにか仕事や生活はしてるけど、この状態を維持するが精一杯というか、それだって今後どうなることか。飛行機にも乗れない。・・・というわけで、行けない場所いっぱいあるね。ボケないように、車の運転とギターいじりと家内の修理作業とかは地道に続けるとしようw。
前に、スペインのロックシンガー、クリスティーナ・ロセンビンク(Christina Rosenvinge)のことを書いたけど、その中でMovida madrileña(モビーダ・マドリレーニャ)と呼ばれるムーブメントについて触れた。これは、1970年代末期頃から80年代にかけて盛り上がった、スペインのロックやカウンターカルチャーのムーヴメントだ。Movida madrileña(モビーダ・マドリレーニャ)、そのまんまだけど、無理やり訳せばマドリードのムーヴメント、シーン、といったところか。スペインでは、1930年代の内戦(1936-39)の後、フランコ将軍の独裁体制が続いていた。独裁体制下のスペインでも、50~60年代以降ロックなどの若者文化がそれなりに開花したりして、新しい文化動向がことごとく抑圧されていたわけではない。でもやっぱり社会生活や文化、思想面での制限は多く、不自由な状況が続いていたようだ。1975年のフランコの死後、独裁体制が終わり、民主化・自由化が進められていく中で、文化面でも新しい動向が急激に盛り上がったようだ。ムーヴメントの先駆となったのが首都のマドリード。あくまでもマドリードを中心としたシーンを「モビーダ・マドリレーニャ」と呼ぶのだが、ムーヴメントはスペイン各地に波及し、地方のいくつかの主要都市にもそれぞれの「モビーダ」が生まれた。(ちなみに、親しみなどを表す語尾をつけて movidita (モビディータ)と呼ぶことも多い。)この動向はロックに限らず、サブカルチャーの多方面に波及したようだが、ロックに関しては、イギリスにおけるパンクやニューウェーヴ(ないしニューロマンティシズム?)などの動向と同調して湧き起こってきたようだ。ただし、モビーダの隆盛の中で出てきたロック・アーティストがみなパンク系というわけではない。パンクのほか、ハードロック、カントリーロック調から軽いポップまで様々だ。「シンセ・ポップ」と呼ばれたグループも多かったようだ。モビーダの盛り上がりは1980年代後半以降下火になっていったと言われている。ということは・・・僕が最初にスペインに滞在したのは1989年の9月からなので、初期モビーダの最も熱かった時代はとっくに終わってたことになる。が、モビーダの先駆的な人達の後に続くセカンド・ウェーヴとでもいうか、次々と新しい人達が出てきていて、まだまだ盛り上がりは続いていたように思う。80年代前半から活動していて後半以降ブレイクした人も多かった(以前紹介したChristina Rosenvigeもその一人と言える)し、80年代後半以降新人としてデヴューした人も多数いる。(以下の話ではマドリード以外のシーンの人達も含むが)モビーダの先駆的世代としては、たとえばJavier Gurruchaga ハビエル・グルチャーガ、Ramonín ラモンシン、Tequila テキーラ、Leño レーニョ、Radio Futura ラディオ・フトゥーラ、Los Elegantes ロス・エレガンテス、Barón Rojo バロン・ロホ、Siniestro Total シニエストロ・トタル、Danza Invisible ダンサ・インビシーブレ、Alaska アラスカ,Mecano メカーノ、Loquillo ロキーヨ,といった人・グループがいて、だいたいは70年代末期か80年代初頭ぐらいのデビューだ。もちろん80年代後半になってもこれら大御所の活躍は続いていた。80年代前半~中期ごろにかけて出てきて後半以降ブレイクした人も多く、たとえばSeguridad Social セグリダー・ソシアル, Barricada バリカーダ, Hombres G オンブレス・ヘー,El Último de la Fila エル・ウルティモ・デ・ラ・フィラ, La UniØn ラ・ウニウン,などの名が挙げられる。(ちなみに La UniØn の Ø はスペイン語にはない文字。スペイン語的には La Unión ラ・ウニオン (英語のユニオンunionと同じく「結合・団結」などを意味する言葉)で良いはずなのだが、Ø の部分を ウともエともつかないあいまいな発音にして「ラ・ウニゥン」みたいに言うのがツウっぽいとされていたwww。)80年代中期以降はDuncan Dhu ドゥンカン・ドゥー, Marta Sánchez マルタ・サンチェス(グループ Olé Oléで活躍), La Frontera ラ・フロンテーラ, Los Ronaldos ロス・ロナルドス, Presuntos Implicados プレスントス・インプリカードス, Modestia Aparte モデスティア・アパルテ, Héroes del Silencio ヘロエス・デル・シレンシオ など、その後ビッグになるアーティスト、バンドが続々登場してきた。以前紹介したChristina Rosenvinge クリスティーナ・ロセンビンク は、デモ以外の最初のレコーディングが85年 (Magia Blanca マヒア・ブランカ というバンドでEPを出している)、Alex & Christina アレクス・イ・クリスティーナ というデュオを組んだのが87年、そのファーストアルバムが88年なので、とりあえず「80年代中期以降組」に含めてもよいだろうか。ただしパンクの影響を受けてバンド活動を開始したのは80年からと、以外に早い(この年にデモを残している)。僕がスペインに行く前年(88年)には、 Alex & Christina や Héroes del Silencio や Modestia Aparte などのファーストアルバム、Los Ronaldos のセカンドアルバム、(Marta Sánchez 在籍中の) Olé Olé のサードアルバムなどが出ていた(Martaが在籍したのは86年から。グループ Olé Olé 自体はもっと古い)。89年には Héroes del Silencio のシングル Mar Adentro が大ヒット(翌90年にも Entre Dos Tierras が大ヒット)、Alex & Christina のセカンドアルバムが出て、Presuntos Implicados が セカンドアルバム 『Alma de Blues』 でブレイク、La Frontera のアルバム 『La Rosa De Los Vientos』からシングル El Límite が大ヒット、Luz Casal がブルース色のあるロックでブレイク、などなどと、80年代末期のモビーダ後発勢力の動きもまだまだ熱かった。上では流れ上、Luz Casal を後発勢に含めてしまったが、実は彼女は歌手としては70年代から活動しているベテラン。ソロ名でロック歌手として注目されるようになったのが80年代後半からで、特に89年のアルバム『Luz V』でブレイクした。91年にもブルース・南部ロック色の強いアルバム『A Contraluz』を発表、その中の曲が後にペドロ・アルモドバル (Pedro Almodóvar)の映画で使われたので、日本でも結構知られる存在となった。ついでに言うと、La Frontera の El Límite は、21世紀に入ってから僕が知り合ったスペインの若者たち(80年代当時子供だった)の間でも、定番の青春賛歌のように歌われていた。ベテラン勢も負けていなくて、88年にMecanoは、キャリア最高傑作とされるアルバム『Descanso Dominical』をリリース、90年には Javier Gurruchaga のGanaré や Los Elegantes の Déjame Entrar などのヒット曲が放たれた。Siniestro Total の同年のアルバム『 En Beneficio De Todos』はゴールドディスクとなり、シングル Camino de la Cama がラジオを賑わせていた。・・・と、このように、新旧入り乱れての盛り上がりようだった。30年前。1990年マドリードの夏は本当に暑かった。そして音楽シーンも、ディスコや夜遊び街のバルに集う人達もみな、もっともっと熱かった。
(2020/8月コロナ長引くなか)ちょっと終息しかかったように見えても、いつぶり返すか分らない感じ・・・仕事もずーっと在宅オンライン。電車通勤しなくて済むのは楽と言えば楽だけど、寝ても覚めてもPCに向かって仕事している感じで、かえって疲れるかも。運動不足もヤバイよね。この夏もスペイン行きはナシだ。さてーーマドリードに住んでた頃よく行ってた場所のひとつに、ラ・ビーア・ラクテア(La Vía Láctea)という店がある。(その後も、単発でマドリードに行く機会があるたびに必ず行ってた)。Vía Lácteaーー英語で言えば Milky Way、「銀河」だ。この近辺は、いわゆる若者向きの夜遊びエリアの一つで、ロック系のバルなどがいくつもある。La Vía Lácteaはそんなバルの一つ。当時あった音楽系のバルが後で行ってみたらなくなってた、なんてことがよくある中で、La Vía Lácteaは堂々と存続している。とりあえず「バル」と言ってしまったが、実際には踊るスペースもあるし、ライブもやれるホールでもある。1980年代頃からのマドリードロックカルチャーの本拠地だったような場所なのだ。【ある日の店内、というか奥のフロアの壁(1999年夏)。 装飾やポスター等はかなり古い時期のままだ】この地区は、最近では、それこそ週末夜遊び初心者のような10代のカップルでも安心して遊びに行けるような地区。人気のデートスポットでもあるのだが、昔は結構怖そうな場所が近くにあったりして、やや不穏な雰囲気もあった。市の中心部から北部に向かう主要通りから脇に入って、音楽系バルなどのある通りに沿って少し西に向かい、突き当たったところに広場があるんだけど、僕が住んでた頃は、その広場や脇の道には麻薬の売人や中毒者、怪しげな商売人や見るからに怖そうな人がいつもタムロしていた。人を見た目で判断してはいけないけれど、中にはかなり強烈で暴力的な輩も結構いたらしいので、はっきり言って、やっぱり怖い・・・周辺には普通に暮らしている地元の人達もいる。その辺を通りかかっても、危なそうな人と関わらなければたいていは特に危険はないのだが、こっちから関わらなくても声をかけられることもあるし、マドリード出身の友人達からも「あの辺へは一人で行くな」と注意されてたものだ。(・・・と言われてもねえ…、僕はまさに「あの辺」の近くに住んでたし、La Vía Lácteaをはじめ、大好きな店がいくつもあったんだからしょうがない。そこで知り合った人たちとの交流もあって楽しかった。)ちなみにこの広場のあたりから北に向かって歩いて、小さな街路2本も渡れば、かつて劇場や映画館でにぎわったエリアがある(どちらかと言うと大人向けのお出かけスポットという感じ)。その目と鼻の先に、一時期は怖いエリアがあったわけで、なんとも不思議な感じだった。ついでに言うと、上で言う「北部に向かう主要通り」から反対に東へ少し行ったところにももう一つ、悪名高い広場があったが、その地区は今ではオシャレな店の並ぶデートスポットになっている。(90年代以降、市や警察が治安の回復に相当力を注いだらしい)。【念のため広場や街路、地区の具体名は伏せておきます。】【閉店時の入り口(2013年夏)】・・・最後にLa Vía Lácteaへ行ってからもう何年も経っている。今度いつ行けるのだろう。今度行った時、まだあるといいな。みんな元気だといいな。
コロナ、大変ですね ーー 皆さん無事ですか?どうかご用心ください。僕は以前は、仕事の用も兼ねてチャンスがあるごとにスペインへ渡航していたものだ。ここしばらくは色々事情があってそれが出来ず、「よし、今年こそは」なんて思っていたんだけど、このコロナの嵐だ。僕の職場でも、よほどの事がない限り直接人と人が顔を合わせる会合は自粛され、仕事もオンライン主流の体制に移行しつつある。こんな状況下でおいそれと海外など行けやしない。(感染の危険の問題もそうだけど、そもそも仕事自体がこの変則的事態への対応に追われて大変なことになってるわけだ)。ところで、今からちょうど30年前、僕は初のスペイン滞在の真っ最中だった。感傷にひたるわけじゃないけど、ついつい当時のことを偲んでしまう。僕のお気に入りのスペインのロックアーティストはたくさんいるけれど、最も思い入れの深いのが、クリスティーナ・ロセンビンク(Christina Rosenvinge)という人。両親がデンマーク出身。全然スペイン語ぽくない Rosenvingeという苗字をスペル通りにスペイン語ふうに読むと「ロセンビンヘ」となるが、スペインの仲間達はみんな「ロセンビンク」と呼んでいた。なぜこの人が思い入れ深いかというと、スペインに着いて初めに聞いたスペインのロックの歌手だからだ。(スペインのロックといえばそれ以前から、例えばBarón Rojo(バロン・ロホ)とかMecano(メカーノ)とかある程度聞いたことはあったが、「初めて現地へ行って」というのが僕にとっては強い印象になっている)。初めてスペインへ行った時ーー(1989年の初秋)右も左も分らない土地でこれから色々やってかなきゃ、て時なのに、僕は何はなくとも幅40cm以上もあるダブルラジカセ(カセットテープ間のダビングができるやつ)をスポーツバッグに入れて飛行機に乗っていったのだった。マドリードに到着した日の夜、とりあえず宿に落ち着いてラジカセをベッド脇におき、ラジオをつけたら流れてきたのが、Christinaの歌う曲だった。この時は名前を知らず、ヴォーカルのちょっとけだるい声が印象に残っただけだったが、この声の主がChristina Rosenvingeだったというわけだ。数日後、そろそろ行きつけになりかけてたバルのラジオから流れた曲が、聞き覚えのある声だった。「(曲は違うが)あの時のアレだ!!」と思った僕はウェィターにグループ名を聞いた。― Alex y Christina(アレクス・イ・クリスティーナ).男女のデュオで、ChristinaはChristina Rosenvingeのことだ。後日レコード店に行ってみた。1989年に出た彼らのセカンドアルバム 『El Ángel Y El Diablo』 (天使と悪魔)のテープを買った(その時点では新作のホヤホヤだ)。(昔ながらのラジカセしか持ってなかったので、CDではなくテープを買った。そういえば、その後帰国するまでの間にも色々買ったけど、ずっとテープで通したww)。【懐かしい、『El Ángel Y El Diablo』のカセットテープ】テープを聴いて確認できた:マドリードに着いた夜聞いた曲は、アルバムのタイトルナンバーでもある El Ángel Y El Diablo、後日バルで聞いた曲は、El Souvenir (お土産)という曲だった。ちなみにこの「お土産」、夫に愛想をつかした女性が、夫の留守中に家にとんでもない置き土産を仕掛けて出て行くという内容で、「天使と悪魔」の甘ったるい雰囲気とは違ってなかなか痛烈だけど茶目っ気もある、という感じだ。それからしばらくたって、彼らのファーストアルバム(のテープw)も入手したが、この「ファースト」とはもちろん、Alex y Christinaというデュオのファーストだ。Christina自身は80年代初頭からバンド活動をやっていて、いわゆるMovida Madrileña(モビーダ・マドリレーニャ)と呼ばれる、当時のスペインロック・ポップスのシーンの一端にいた人だ。Alex y Christinaというデュオの成立は1987年。90年代に入り、デュオは解消、Christinaは新たにバックバンドを従えてChristina y los Subterráneos (クリスティーナ・イ・ロス・スブテラネオス)の名で活躍。このスブテラネオス時代の曲にも僕のお気に入りが多い。90年代後半にはソロに転向してChristina Rosenvingeの名で曲を出すようになった。アメリカのインディーシーンでも活動するなど、様々な試みに取り組みつつ、今も現役だ。(Christinaが好きな理由を友人などに聞かれると、説明が面倒なので「年が近いから親近感がある」とか言ってます。それ自体は事実ではあるが正しい理由ではない。あの頃スペインのロックシーンに続々登場してきた人達の中には僕と近い世代の人が多く、それはChristinaに限ったことじゃないので)。その後もスペインのロック、ポップスに色々触れる機会を持ったが、僕にとっては、初渡航時に真っ先に知ったという意味で、Christina Rosenvinge が最も大きな存在なのだ。早くまたスペインへ行きたいな・・・【今やウチの最重要コレクションの一端をなしている】
(・・・前のつづき)The Doorsの中期の2枚のアルバム『Waiting For the Sun』 (1968)や『The Soft Parade』 (1969)はしばしば酷評されがちだ。確かに初期アルバムのようなきらめきには欠けているかも知れない。68~69年ごろのドアーズは(あるいはジム・モリソンは)、いろいろな意味で苦境に立たされていた。売れっ子になって盛んにライブをこなすようになったのは良いが、サードアルバムの頃はアルバム用に使える完成度をもった新作を用意する余裕がなかったらしい。『The Soft Parade』の頃は音楽性・表現性の新たな展開に関してメンバー間で考え方の違いがあったり、ジムのスキャンダラスなパフォーマンスが糾弾されたり、とか。そんな中で作られたアルバムだから、ドアーズ本来の魅力が引き出せていなかったのかも知れない。けれど、『Waiting For The Sun』にはもともと大作Celebration Of The Lizard が収められる計画だったし、『Soft Parade』ではG.のロビーの主導で初期ドアーズとは異なる音楽性が追求されたりと、この2枚のアルバムも実は結構な意欲作だったと言える。余りに売れ線ぽいTouch Me なんかは僕もあまり好きじゃないし、『Soft Parade』でホーンセクションを多用しているのもいかにもドアーズぽくない感じがするけど、中期アルバムには初期アルバムとは違った味わいのある曲がいくつも収められているのは間違いない。僕はSummer's Almost GoneとかYes, The River Knows とか Shaman's Blues とか、結構好きです。『Waiting For the Sun』の曲のいくつかは、当たり障りのないラブソングのようにも言われるが、その詩には、決して能天気なラブソングではない不穏なメッセージがさりげなく入っていたりするし、Not To Touch The Earth のようなドアーズならではの不気味さを漂わせた曲もある(もっともこれはCelebration Of The Lizard の一部である)。The Unknown Soldier は強烈な社会的メッセージソングであり、そのステージパフォーマンスには演劇としての実験性も盛り込まれている。ちなみに、『Waiting For The Sun』はシングルHello, I Love You でジムのアイドル的人気がますます高まったこともあり、商業的には成功したようだ(アルバムチャート1位)。しかし『The Soft Parade』の方は売れ行きもだいぶ低迷したようだ。(ちなみにCelebration~は後にライブで完成版が披露される。サードアルバムのタイトル曲となるはずだったWaiting For The Sun は、後のアルバム『Morrison Hotel』 で完成を見た。こちらもドアーズにしか出せない空気感に満ちた名作だ。)(ジム自身に関しては裁判の事や自身の問題などもあったりして不調・不遇の状態はその後もずっと続くことになるのだが)、その後のアルバム、『Morrison Hotel』(1970)と『L.A. Woman』(1971) では、ストレートで力強いブルースロック調への回帰が見られる。これらも、いかにもサイケデリックなきらめきに満ちていた初期とは違った意味で、すごく魅力的な音楽を聞かせてくれる。・・・かと思えば、Wating For The Sun, Blue Sunday, Indian Summer, L'America など、いかにも「以前からのドアーズ」感に満ちた曲もしっかり収められている。結構名曲ぞろいだと思う。(ライブアルバムや、ジムの死後に出された『An American Prayer』 (ジムの詩の朗読に楽器演奏を加えたもの)については割愛。)以上、かれこれ半世紀ほど(幼少期に小耳にはさんだ記憶も含めると60年近く)ドアーズを聴(聞)いてきたヤツの感想でした。
これまでも、ドアーズ(The Doors)の音楽の白昼夢感が好きだ、ということを書いてきた。白昼夢感は僕にとっては、いつもと違うものの感じ方が覚醒しているけれど、あくまでも今・ここでの現実の中にいるという感じ。異世界へのトリップや幻覚ではない。(トリップ感はあるかも知れないけど)。さて、ドアーズの音楽の白昼夢感が特に際立っているのは、やはり最初の2枚のアルバムだと思う。『The Doors』と『Strange Days』だ (いずれも1967)。シングルで言えば例えば…と具体的に挙げてみようと思ったけど、ほぼ全曲になってしまいそうなので、やめたwwちなみに、僕のドアーズのお気に入りトップレベルを挙げただけでも、Break On Through, Soul Kitchen, The Crystal Ship, 21th Century Fox, Light My Fire, Unhappy Girl, Moonlight Drive, I Can't See Your Face In My Mind, When The Music's Over, などなど、初期アルバムの曲の名が続々と出てくる。(上記のうち、最初の5つはファーストのA面のほぼ全部じゃないか!ついでだからAlabama Song も入れておこうか。これでファーストのA面全部だww)レイ・マンザレク(Ray Manzarek)の、時にはキランキランした、時には闇の中で怪しく明滅する光のような、オルガンの音。ロビー・クリーガー(Robby Krieger)の、フィンガーピッキングを生かした滑らかで浮遊感のあるギター。ジム・モリソン(Jim Morrison)の、1音節ずつかみ締めるように綴られる詩。これらと相まって、ジョン・デンズモア(John Densmore)のドラムスは、異世界へと着実にいざなう儀式のようなリズムを刻みもするが、しっかりと音の空間にメリハリを与えてくれている。まるで心臓の鼓動のように、全てが今ここで起こっている事なのだと体に分らせてくれる。・・・かと思えば、時々意識の流れをぶち壊すようなショットを入れてくる。キラキラした感じは、ファーストアルバムの方がセカンドより際立っているように思う。セカンドでは、結構ソリッドなギター音に乗ったロックンロールもあるし、キーボードは曲によっては生ピアノだし、オルガンの音も厚みがあって時として不穏な響きとなる。セカンドではスタジオでの音の実験も多く取り入れられていて、ファーストよりも手の込んだものとなっているようだ。(初期アルバムに限ったことではないが)ジムの詩は、人間精神の闇の部分に関する普遍的なことをテーマにしているようでいて、単なる日常のモチーフが散りばめられていたり、逆に、日常的なネタをもとにしているようでいて、どこか普遍的な含蓄があったり。だから、潜在意識のほか古代神話や原始宗教といった神秘的なアイテムが象徴としてよく登場するわりには、これ見よがしな神秘主義とは違う・・・と僕は思う。(・・・・つづく)
以前の記事で、The Doors の音楽の白昼夢感が好き、みたいなことを書いたけど、この「白昼夢」的というのが、僕にとっては重要かも。サイケデリックというと、ついつい現実離れした幻想的・幻覚的イメージを持ってしまう。白昼夢だってただの幻覚じゃん、て言われればそれまでだが、僕が考える白昼夢感とは、ふつう通りに目を開けていて、ふつうに街へ出てふつうに人や物事を見てるのだけれど、どこか普段と違うものが見えてしまうというか、日常のなかにいて、いつもの日常とは違う感じ方が覚醒している、というような感じ。幻覚症状とか、睡眠中の夢とかではなく、今、この現実の中で起こっている、ある感覚の覚醒、意識の変容。まあ、こんな屁理屈を言ってられるのも、1960年代後半頃のカウンターカルチャーブームのただ中に直接身を置いてなかったからかも知れないが。(あの頃僕はロックなんて何も知らない幼児でしたからw)。子供ながらにラジオや近所から聞こえてくる音楽を小耳にはさんでいたと思う。多分、近所の高校生ぐらいのお兄さん・お姉さん達が聴いてるのが流れてきてたのだろう。子供ながらに不穏な感じがしてた。・・・というのも、後から思い出しての話。後になってあの時代、あの時代の音楽について少しずつ知るようになり、「ああ、あの頃こんなのあったなあ…」みたいな感じだ。それでも、子供の頃の不穏な記憶と一緒に、心に刻み込まれてしまっている。そんな気がする。
前の記事で、自分が好きなロックのジャンルがどうこうという話をしたけど、究極を言えば、ロックにおける「好き」って、――(たぶん)―― 生きる姿勢、というか、(実際にそういう生き方が出来てなくても)少なくともそんなふうでありたいと思う気持ちとか、 そういう問題であって、ジャンルや楽曲スタイルの問題だけじゃないのかも知れない。たとえば僕はどこからどう見てもいわゆるパンクじゃないけど、本気度全開のパンクの人には心を揺さぶられたりもするわけだ。・・・基本的にはそういう事なんだと思うけど、だからといって好きなロックアーティストの生き方にいつも全面的に共鳴できるとも限らないよね。たとえばドアーズ(The Doors)。僕はドアーズの音がかもし出す雰囲気と、Vo・詩人ジム・モリソン(Jim Morrison)の詩と声が好きなのだが、ジムは27才の若さで死んだ(1971年)。短い人生を激烈に生き抜いたとも言えるけど、ドラッグや酒に溺れて早死にするのを良いとは思わない。もちろん、あの時代のあの状況の中で、ジムなりに全力で何かを追求し、生きようとした結果なのだろう。きっと、そういう何かが感じられるから、音楽や詩に共感するし、だから好きだってことなのだろう。たぶん。生き方そのものは、結局本人、自分自身のものでしかない。他人の生き方が全面的に好きになるなんてあり得ないわけだ。
僕はいちおうロックファンです。新しめの物もつまみ食い的に聴きますが、だいたいは古いのばかり聴いてます。どのジャンルが好きか、とよく聞かれるけど、はっきりとジャンル名を限定するのは難しい。いわゆるサイケデリックも好きだけど、グラムや初期NYパンクも好きなのあるし、ヘビーメタルも好きだが、チャックベリーなどの50年代R&Rも好きだ。ライオットガール系も好きなのありますね。ジャンルじゃなく、好きなアーティスト名を挙げる方が簡単。The Doors, The Cream, The Who, Chuck Berry, T-REX, Blondie, Deep Purple, Ozzy Osbourne, Elastica, Sleater Kinney, ....でも、こうやって挙げてくとキリがなく、ましてそこに順番つけるのは、「好きな野菜トップ10」wwみたいなランキングをつけようとするのと同じくらい無意味だ。(いちおう、Doors一番てことにはしてるけど。)話のトッカカリがなくなってもなんなので、どれが好きか聞かれたらとりあえず「60年代後半ごろのやつ」などと答えることが多い。あの頃のロックを知ってる人なら、「ああ、あの辺のやつね」とだいたい想像つくかも知れないけど、やっぱり括り方としては大雑把すぎるかも。「サイケデリック」と言ってやたらに幻覚っぽいのを想像されても違うし。サイケデリックとは何かみたいな話はちょっとおいといて、サイケデリックの中でも「どんな感じのが好きか」ってことなら、僕ならあえて、ゥワーンガガッて感じのが好きと言うかも知れない。何の説明にもなってませんが。どこか日常感覚を拍子抜けさせるような感じもあるけれど、単に調子っぱずれだったり酔いどれ感だけじゃダメで、ある程度メリハリきいたリズム(必ずしも速いとは限らない)と、それなりの緊迫感があるのがいい。だから、ホワ~ンホワ~ンばっかりじゃダメで、ゥワーンガガッだ。例えばクリーム(The Cream)のWhite Room とか、ジミ・ヘンドリクス(Jimi Hendrix)のCross Town Traffic とか、ドアーズ(The Doors)の21th Century Fox とか、ジェファーソン・エアプレイン(Jefferson Airplane)の 3/5 of a Mile in 10 Seconds、といった感じか。・・・書きながら、あんまりゥワーンガガッって感じじゃない気もしてきた・・・;;あと、ドアーズについては、あの白昼夢感が好きだ。ああ、あれもいいなこれもいいな、と思いをめぐらせてくと、結局自分は何が好きなのか分らなくなる。ロックに目覚めてから何十年も漫然と生きてきたから、そうなるんだろうな・・・(そもそも上記のアーティストって「サイケデリック」と括っていいのかだって問題です。時代的な意味でそういうジャンル設定はアリだろうけど。)結局、何らハッキリしたものがない、腑抜けの俺がここにいる。