一度終わってしまったものが再び始まることはないのかもしれない。

特に感情はそれが当てはまる。

終わりを告げた感情を復活させることは記憶から呼び起こすだけで完了する。

ただ、記憶は脆く、劣化しそのくせ美化される。

記憶の中ではどんなに清く美しくても、実際はそこまで綺麗なものではない。

だから、過去の記憶にある人を深く想うことは自分にはできない。

想ったところで、その場所から動けなくなってしまう。

動けなくなったら、自分を縛りつけるだけで何も生まれないし無駄に時間だけが過ぎる。

動けないのはもう嫌。

だけど、これを認めるのも嫌。

新しい場所を探さないと駄目な気がする。

それがたとえ、Imaginaryでも。
いつからか、よく泣くようになった。昔は泣かない赤ん坊だったと親から聞いたことがあります。自覚症状もあって、遊ぶ相手がいなくても独りで遊んでいた。よく地元の公園で四つ葉のクローバーを探していた(笑)そんな人間だったから泣く機会なんてこれまでそれほど存在していなかった。いや、むしろ泣いたら負けだと思っていたから小学生や中学生の時は泣いたことはあまりない。

少人数の場所でなくことはあっても、大勢の前で泣いたことって意外となかった。最初に人前で泣いたのは高校生の時だったかな。バンド組んでヴォーカルとして文化祭で発表したときが初めてだったと思う。結構歌詞とかに入りこんじゃう性格で、入り込み過ぎた結果大勢の前で泣いちゃったんだよね。思えばここから泣いてばかりだった。といっても1年に1回とかだよもちろん。さすがに毎月とか泣いていられないからさ。

やっぱり、人とのつながりを持てた高校時代は大きかったんだな。クラスの全員が相互に関係していたような気がするし。あと演劇部も大きかった。卒業式でも大泣きだったし。

大学ではガクサイの委員長が終わった時にメインステージで大泣きしたっけ。なんか、その場の雰囲気で1年と2年に言葉をかける時に感極まり泣いたみたいな感じだったね。ずっと同じ団体に所属してること実は今までなくてそういう意味でも自分にとって特別な想いがあったからな。


そして、卒業式の日も泣いてしまいました。夜までは泣かずに行けた!!ってカンジだったのに同じ代の顔見たらいろんなこと思い出しちゃって泣いてしまった。

共通して言えるのは自分ひとりではない大切な想い出があるときに泣いちゃうらしい。いつの間にか一人で大丈夫でなくなったらしい。そういった意味では強くなれたのかもね。

あと何回泣くのやら(次は自分の結婚式か?予定はないけど。)
昨日、ブログの連続投稿記録がストップしました。これは結構意図的だったりします。

昨日までは、誰かの大きな力によって支えられて生きてきました。昔はそんなことも感じずに結局1人で何かやっていると思っていた。だけど、その考えが間違っていて結局周りの人がいて自分が成り立っているんだということをガクサイの同じ学年の人たちから学びました。これは、どの大学の教授からも教えてはもらえない大切なことだと思います。

だけど、これからはその支えを失い1人で歩いていかなければなりません。それはとても大変なことだと思います。共に同じ問題に取り組み、思い悩み、泣きそして笑い...学生時代当たり前にできたことができなくなってしまいます。この現実を目の前にするととても怖いです。心に大きな穴が開いた感じ、失恋したときに感じるそれに似た何かがあります。さすがの自分でもそれを解決する手段はこれからずっと模索していかないといけないんだと思います。

「つながりを大切にすること」これが今年の目標です。離れていても、会えなくてもきっとつながっていたという記憶たちが自分を救ってくれるんだと思います。それが「つながった」ことの大きな意味を示しているんだなと感じる。人は結局1人では生きていけない。だから、せっかくつながったのにその関係をわざわざ否定する必要はないんだと思います。好き嫌いはあっても仕方ないけどそれだけで物事を見てしまうのはとてももったいないです。

俺は、最後の1年間は多くの人の記憶に残るようにしたいという願いが自分を支えるコアでした。ガクサイはもちろんのこと、実験のお手伝いやオープンキャンパス、研究室、学会発表。風のように過ぎ去る時間の中でいろんなことをして多くの人とつながることができた。大きな成果だったと思います。その成果は、研究室の先生学部長から表彰されるという形でも証明できるのかな

傷ついた分だけ強くなることができました。そして想い出だけ更に強くなることができました。それは先輩や後輩、そして一番大切な自分の学年があったからこその結果です。今、俺が経験したことを経験している後輩たちに言えることはとにかく進んでいけば何かが見えてくるということです。また、俺たちが去ることで新しく入るメンバーとのつながりをぜひ大切にしてください。


これから、みんなとの想い出を自分の原点にして進んでいきたいと思います。進んでいく中で迷ったり挫折したりすることが多々あるのかな。そんな時はみんなとまた会って昔のように支えあえたらすごく幸せです。

次のステージへ、全速力で駆け抜けていこう!!
「超緊張してきた~」と言っていた若かりし頃の自分。気づけばもうあれも3年半も前のことになります。何も知らずに、ある意味まだ高校生気分が抜けずにはしゃいでいました。時々あの頃に戻りたくなるけどあの頃へはもう戻ることができません。

過ぎ去りし日々は、優しい音楽を奏で続けています。いつかその時に戻れることを願うかのように奏で続けています。その時、何を想い何を感じたかまで鮮明にその音楽たちは蘇らせてくれます。



想い出の中にあるひとつひとつの記憶を全部書き出したらノートには収まりきらないでしょうね。その全てが大切な記憶であり、今の自分のコアになっている。

記憶の中に一人しかいなかった時代もかつてはありました。ただ、この4年間を振り返るとの記憶をたどっても自分以外の誰かがそこにいてくれます。昔は、過度なつながりを求めなかったドライな人間だったけど、この4年間でむしろこれ以上につながりたいと思うようになってきました。

これがきっとこの4年間の一番の成長なんだと思います。ただ単に協調性が出たってことではなくって、言葉にし辛いところが変わったんだよね。

多くのつながり、あの4階で苦楽を共にした仲間やあの11階で共に研究した仲間、縁があってつながることができたすべての人に感謝しています。

いつでもそんな大切な人と会えるという環境も明日を境に変わってしまうんだね。去る者がいて来るものがいるのは自然なことだから仕方ない。だけど、去る者の存在をそこで消すんじゃなくて受け継いでいくことができたらいいなと考えてます。


結局言葉にしたかったことって言葉にできないんだよね。
何書きたいか分からなくなってきたから終わりにしよう。



また号泣するのかしら自分は
こんばんは、Xartsです。遂にそろそろ卒業式というカンジですね。昨日せっかく1年生の時を振り返ったので今度は2年生を振り返ってみようかなと思います。

2年生といえば、初めて大学の後輩が出来た年です。色々あって俺は中々後輩たちとお話をする機会は少なかったです。本当は話したかったんだけど正直自分しか見えてなかったかなって思う。ただ、少しずつ話をする機会も増えてきて正直安心しました。

この頃は勉強とかもあまり意識しないで過ごせた貴重な時期だった気がします。何よりもひとつの目標に向かって、病みながらも進むことが出来ていたと思います。

途中からは委員長になり(もうあれから2年以上か……)大変ながらも楽しい日々を送ることが出来ていたと思います。

この辺りはひとつの目標に重力があるのごとくその目標に向かっていた時代だったかな。

今の原点はここにある気がする。先輩や後輩から学んだことも、同じ学年の大切さとかね。だからこそ言葉にしにくいのかもね。

さて、そろそろ本当に学生が終わってしまう。最後まで楽しまなければ!