僕は君にそこで待つように言った。

来る日も来る日も君はそこでじっとしていた。

僕は時々気にするけれどほとんど忘れていた。

でも、

でも君に知らず知らず近付いて行った。

友人やら親しい人が君と楽しく話してると僕は君を意識せずにはいられなかった。

恋しい時も悲しい時も。

僕が近付いているのか君が近付いて来ているのか。

とうとう君のすぐ側までやってきた。僕はすっかり老い、君の声すら届かない。僕の側には待ち焦がれた君と大事な大事な家族。

君に出会えた時、どれほど悲しく寂しいものだと想像したが、それは予想を遥かに越えた。

とても悲しく、僕の目からは涙しか流れない。君を受け入れなくてはならないが僕は君を恨み、家族達に感謝の言葉をかけつづけるだろう。

ありがとう。

人はどれほど君を見て意識をするのだろうか。

ただ一つ言えることは君を見て見ぬふりはしてはいけないということ。

君を恨んではいけないということ。

僕は涙の溢れた目を静かに閉じた。
ある星に食いしん坊な怪獣がいました。

いっくら食べてもいつもお腹が満たされることはありません。

星中の食べ物を食べつくした怪獣は目に着くものを食べてしまおうと思いました。

手にもっていたお気に入りのおもちゃ。

飲み込むように食べてしまいました。

それでも満たされず、他のおもちゃも残らず食べてしまいました。

でもまだまだ満たされません。

次に目に着いたのは大好きなお友達。

躊躇うことなくごっくん。他の怪獣も次々にごっくん。

ごっくん。

まだまだ満たされません。

体はどんどん大きくなり、お腹もどんどんすいていきました。

今度は自分のお家をぺろり。その星の全ての建物を一口でぺろり。

ぺろり。

とうとう星には自分以外何もありません。それでもお腹はすいていきます。

涙を流しながら太陽と月をむしゃむしゃと食べ、怪獣の体は星よりも大きくなりました。

怪獣のお腹はいつ満たされるのでしょうか。

真っ暗闇の中、怪獣は自分の星も食べてしまいました。

とうとう何も無くなってしまった怪獣は、自分のしっぽをかじり自分自身も食べてしまいました。

もう何もありません。

おもちゃも、お友達も、家も、

星も、太陽も、月も、

怪獣も。
臨床心理学者で来談者中心療法のカウンセリングで有名なロジャーズ。

彼は、

「人間は成長力を内に秘めている、自分の問題については自分が一番よく知っているのだ」

と考えた。

つまりはカウンセラーはちょっと道標を見せてあげるだけで、後は患者が自分自身で立ち上がるのを待つしかない。カウンセラーが主導権を握ってはならない。

ということ。


ロジャーズはまた、「適応」「不適応」という言葉を使って、人が悩みを抱えてしまう一つの原因を考察した。

適応……自己概念と経験の一致

自分で「ある状況の時、自分はこんな性格だからこうなる」と考えた結果、実際の状況・経験はほぼ一致した場合が適応という。

自己概念…「僕はあがり症だから人前で話すことは苦手だ」
実際の経験…「思った通り人前であがってしまい思うように話せなかった」

これを適応といい、例え物事に失敗してもショック・傷付きが少なくなる。

逆に

不適応とは……自己概念と経験の不一致

自分で想像した自分がいざその状況になったら全く思い通りにならなかった場合を不適応と言う。

自己概念…「僕は人見知りではないし、気が強いから人前で話せないわけがない」

実際の経験…「全く予想外だ。いざ人前に立ったら何も話せなかった」

これを不適応といい、この時失敗するとショックが大きく大きな傷が付き、悩みと変化していく。


これを避けるために、最初から出来ないと思うようにすればいいと考えた。

「適応」していれば傷がつかないから。


でも、これって…


とてもネガティブな考え……


自分は出来ないと考え、結果出来た時、自己概念と経験のズレはあるが「不適応」とはならない。

でも、「不適応」を避けるためには何事も「自分は出来ない」と考えていなければ、ふとした時に「不適応」な経験をしてしまいかねない

だから一日中、
自分は出来ないと考え、

一年中、
僕は必要とされてないと考えさせられてしまうい。




逆に気持ちが落ち込んでいきそう。
ロジャーズはネガティブ推進委員会の人間だったのかもしれないな。