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古代より山は死者の魂の赴くところであり、その山に入ることは死を意味するとされた。

 

修験道は、この他界の地で苦行・修行することで仏となり、山から出る時には清らかな心身となって生まれ変わるという『擬死再生』の信仰が息づいている。

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大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、1300年前 - 開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれた、奈良の吉野と和歌山の熊野本宮大社を結ぶ、全長約100kmに及ぶ 日本最古の「修行の道」です。

 

他の参詣道(熊野古道など)が「目的地へ向かうための道」であるのに対し、大峯奥駈道は「歩くこと自体が修行」とされ、標高1,000m〜1,900mの険しい峰々を縦走する修行の場である。

 

 

 

 

また、道中には「靡(なびき)」と呼ばれる75の神域・聖地が点在しており、修行者たちは、これらを一つひとつ巡り、祈りを捧げながら進む。

 

 

【懺悔懺悔 六根清浄】

 

懺悔(さんげ)懺悔(さんげ)六根清浄(ろっこんしょうじょう)

 

これは、修験道の山伏や巡礼者が登山・修行中に唱える山念仏。

 

 

過去の過ちや六根=六つの器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)の汚れを懺悔して払い、清らかな身心で神仏に近づくことを意味します。決して自分を責めることではなく、「心の塵を払い、素直な自分に戻る」ことを指す。

 

《六根》
▪️眼(げん)
視覚:欲に溺れず、真実を見る。

▪️耳(に)
聴覚:雑音に惑わされず、清らかな音を聞く。

▪️鼻(び)
嗅覚:生命の香りを嗅ぎ分ける。

▪️舌(ぜつ)
味覚:言葉を慎み、慈しみの味を知る。

▪️身(しん)
触覚:行いを正す。

▪️意(い)
意識:心の内側を清らかに保つ。

 

 

大峯奥駈道のような過酷な修験道で、肉体の極限状態の中、繰り返し唱えることによって感覚が研ぎ澄まされる。
また、「懺悔」によって古い自分を捨て、「六根清浄」によって新しい感覚を手に入れる。まさに大峯が象徴する「死と再生」のプロセスを言葉にしたものと言えます。

 

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大峯奥駈道での修行を始めてから、今年で4年目。
今春も、この100kmの修験道を縦走するため、身体づくりを始めている。

 

大峯千日回峰行を成した大阿闍梨が提唱する「歩行禅」。

 

その一歩に命を懸ける歩みが「歩行禅」ならば、 私は山を駆け、風と一体になる『斗走禅』の境地を目指したい。

 

 

【極限の中でこそ感じられる世界がある】

 

疲労が限界を超えた先で、景色は『見るもの』から『溶け込むもの』へと変わる。

そのとき初めて、自分が山と一体になる。それこそが奥駈の真髄だと感じています。

 

 

山は、自分を飾る一切の社会的能力(肩書き)が削ぎ落とされる場所。
残るのは、ただ一人の人間として「意志と身体」だけである。

 

1300年、幾多の修行者が命を削り、祈りを積み重ねてきた道。
そこには、単なる自然を超えた、凄烈な歴史が宿っています。

 

限界の先にある世界へ。

 

-懺悔懺悔 六根清浄-

 


 

(追記)

 

※ちなみに、私たちが日常で使う「どっこいしょ」という言葉は、この「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」がなまったものという説があります。重い腰を上げる時、私たちは無意識に自分を清めているのかもしれませんね