人生が 楽しい!
グラミンダノンがいかにしてここまで持ってきたのか。
グリコにプレゼンする際にいい材料となる。
ジェルペダノン株式会社(フランス)は
皆がよく知っているのはダノンビオとかプチダノン
といったヨーグルト。
そのダノンヨーグルトをダノンはバングラデシュで
販売している。
ダノン社はあのグラミン銀行と合弁会社を設立。
グラミンダノンを立ち上げ、
いまあつよしさんがいるGCCの2階上にオフィスがある。
グラミンダノンはヨーグルトを一個8円という安さで売っている。
商店などで売るのではなく、シャクティレディたちにボックスを持たせて
売らせたり、広場などで定期的に「販売日」を設け、売っている。
これが飛ぶように売れていく。
「子供が欲しいというから買うんだよ」ある父親がインタビューで語った。
現在は1日7万個のヨーグルトを現地工場で作っている。
これは3年前の3倍の数字だそうだ。
彼らは中国製の安い機械を導入。工場の初期投資を1億円以下に抑えている。
なにより、もととなる牛乳を現地の村人から買っている。
冷蔵費用がかからないためコスト削減になるうえ、現地の人の
収入の支えにもなっている。
しかしまだ赤である。
途上段階での赤だからいずれ黒になるのだろうが、
あつよしさんいわく
広告宣伝を頑張った結果総合的に赤になっているという。
グリコがバングラデシュで通用するには何が必要なのだろうか?
ビスコは必ず彼らにとってプラスになる。
ビスコに限らず日本の技術は彼らのメディカルプロブレムを少しづつでも
改善するはずだ。
さらに食育も日本独自。
特にグリコは食育面で世界を引っ張っている。
強みはある。
これをどう生かすか。
70億分の1の僕が何かmovementを起こせたらと思う、
GCMPに出会って、なんかもういつの間にか
全体を知っているスタッフのひとりとなった、
だいすけさんに出会い、
あつよしさんに出会い、
activeなスタッフに出会い、
夏、冬と参加者に出会い、
刺激を受けまくってきた。
だけど自分の強みがない僕は悩んだ。
どうすればいいのだろうか と。
貴重な機会や経験を与えてもらっている
特にだいすけさんには感謝してもしきれないほど
たぶん運命を変えてくれたひとりだと思う、
そんな中じっとしてるなんてつまんない、
ダメでも行動しなきゃわからない
ダメでも何かつかめるはず。
みんなが滑走路で飛んでいく中
僕はそれを指をくわえて見ていた、。。。。。
でもそんなのつまんないよ。
僕も飛びたい。
誰よりも飛びたい。
だから今回の企画は必ずやり抜いて見せる。
そして僕は今GCMPという枠組みから抜け出す覚悟を
少しづつだが抱き始めている。
夏プログラムを境に僕はGCMP活動を少なくしようと思っている。
それはこのままでは自分に甘えがでると思うから。
GCMPは面白いしすごい団体だと思う。
って個人的に思ってる。
だからこそ・・・・
これからだいすけさんが世界を飛び跳ねる。
あつよしさんがE-educationを加速させる
僕も負けてらんないよ
先輩の背中ずっと見てるんだもん。
なつきさんも尊敬する人の一人。
最近いろいろ紹介してもらってるけど
本当に尊敬出来る人。
同じ上智でよかった後輩でよかった、
活動ジャンルは違うけど
どこかで必ずつながっているもの。
じゅん
グリコにプレゼンする際にいい材料となる。
ジェルペダノン株式会社(フランス)は
皆がよく知っているのはダノンビオとかプチダノン
といったヨーグルト。
そのダノンヨーグルトをダノンはバングラデシュで
販売している。
ダノン社はあのグラミン銀行と合弁会社を設立。
グラミンダノンを立ち上げ、
いまあつよしさんがいるGCCの2階上にオフィスがある。
グラミンダノンはヨーグルトを一個8円という安さで売っている。
商店などで売るのではなく、シャクティレディたちにボックスを持たせて
売らせたり、広場などで定期的に「販売日」を設け、売っている。
これが飛ぶように売れていく。
「子供が欲しいというから買うんだよ」ある父親がインタビューで語った。
現在は1日7万個のヨーグルトを現地工場で作っている。
これは3年前の3倍の数字だそうだ。
彼らは中国製の安い機械を導入。工場の初期投資を1億円以下に抑えている。
なにより、もととなる牛乳を現地の村人から買っている。
冷蔵費用がかからないためコスト削減になるうえ、現地の人の
収入の支えにもなっている。
しかしまだ赤である。
途上段階での赤だからいずれ黒になるのだろうが、
あつよしさんいわく
広告宣伝を頑張った結果総合的に赤になっているという。
グリコがバングラデシュで通用するには何が必要なのだろうか?
ビスコは必ず彼らにとってプラスになる。
ビスコに限らず日本の技術は彼らのメディカルプロブレムを少しづつでも
改善するはずだ。
さらに食育も日本独自。
特にグリコは食育面で世界を引っ張っている。
強みはある。
これをどう生かすか。
70億分の1の僕が何かmovementを起こせたらと思う、
GCMPに出会って、なんかもういつの間にか
全体を知っているスタッフのひとりとなった、
だいすけさんに出会い、
あつよしさんに出会い、
activeなスタッフに出会い、
夏、冬と参加者に出会い、
刺激を受けまくってきた。
だけど自分の強みがない僕は悩んだ。
どうすればいいのだろうか と。
貴重な機会や経験を与えてもらっている
特にだいすけさんには感謝してもしきれないほど
たぶん運命を変えてくれたひとりだと思う、
そんな中じっとしてるなんてつまんない、
ダメでも行動しなきゃわからない
ダメでも何かつかめるはず。
みんなが滑走路で飛んでいく中
僕はそれを指をくわえて見ていた、。。。。。
でもそんなのつまんないよ。
僕も飛びたい。
誰よりも飛びたい。
だから今回の企画は必ずやり抜いて見せる。
そして僕は今GCMPという枠組みから抜け出す覚悟を
少しづつだが抱き始めている。
夏プログラムを境に僕はGCMP活動を少なくしようと思っている。
それはこのままでは自分に甘えがでると思うから。
GCMPは面白いしすごい団体だと思う。
って個人的に思ってる。
だからこそ・・・・
これからだいすけさんが世界を飛び跳ねる。
あつよしさんがE-educationを加速させる
僕も負けてらんないよ
先輩の背中ずっと見てるんだもん。
なつきさんも尊敬する人の一人。
最近いろいろ紹介してもらってるけど
本当に尊敬出来る人。
同じ上智でよかった後輩でよかった、
活動ジャンルは違うけど
どこかで必ずつながっているもの。
じゅん
日本のメディアに関して
世界中のメディア、報道機関で、その役目をきっちり果たしているものは明らかにある。

では日本に特化して考えてみる。
日本のメディアは芸能化、野次馬化しているため
熱しやすく冷めやすい。
newsはいつ何時、何チャンネルを見てもやっている内容はほとんど同じである。
さらに日本の場合、芸能ニュースやスポーツニュースの枠が長いため、
本当に伝えなければならないニュースの時間は少ない。
例えば辺野古。
日本のメディアがこぞって辺野古を特集しだしたのは最近のこと。
しかし世界のメディアは辺野古が基地になる!!
という記事やNEWSを何年も前から報道し、特集を組んでいる。

僕が考えるに
この中で次ぎなるメディアとなるのは
フォトジャーナリスト始め、ジャーナリストの方ではないだろうか?
最近ジャーナリストの方とお会いする機会があり、お話を伺った。
メディアが伝えない真実、本当は伝えなければならない事実を
彼らは持っている。

では日本に特化して考えてみる。
日本のメディアは芸能化、野次馬化しているため
熱しやすく冷めやすい。
newsはいつ何時、何チャンネルを見てもやっている内容はほとんど同じである。
さらに日本の場合、芸能ニュースやスポーツニュースの枠が長いため、
本当に伝えなければならないニュースの時間は少ない。
例えば辺野古。
日本のメディアがこぞって辺野古を特集しだしたのは最近のこと。
しかし世界のメディアは辺野古が基地になる!!
という記事やNEWSを何年も前から報道し、特集を組んでいる。

僕が考えるに
この中で次ぎなるメディアとなるのは
フォトジャーナリスト始め、ジャーナリストの方ではないだろうか?
最近ジャーナリストの方とお会いする機会があり、お話を伺った。
メディアが伝えない真実、本当は伝えなければならない事実を
彼らは持っている。
この中のひとつになれればいい
自分のポジションて大切?
GCMPのインターンプログラムに去年の8月、
スタッフとして参加した。

ただその時はスタッフらしいことはひとつも出来ず、
参加者のひとりとして過ごしていた。
チームのメンバーは僕をとりあえず?一応スタッフだからということで
リーダー格においてくれていた。
ただ他の参加者よりも知識も経験も不足する僕は
毎日手探り状態で
結構悩んでいた。
でも2回目のプログラム、2010年1月
今回は前回経験者として、質問にも対応出き、
知識も増え、今回はきっちりスタッフとしての役割を
果たすことができたと思う。
でもそれだけじゃない。
だからこそスタッフという肩書をなくしたら
僕はどういう役割をしていたかが重要。
まだまだ手探り状態ではなかったか。

僕はこの中のひとつ。
みんな色は違うし考え方も違うし目指す方向も違う。
その中で自分ができる役割はなんなんだろう
それを探し続けている。
GCMPのインターンプログラムに去年の8月、
スタッフとして参加した。

ただその時はスタッフらしいことはひとつも出来ず、
参加者のひとりとして過ごしていた。
チームのメンバーは僕をとりあえず?一応スタッフだからということで
リーダー格においてくれていた。
ただ他の参加者よりも知識も経験も不足する僕は
毎日手探り状態で
結構悩んでいた。
でも2回目のプログラム、2010年1月
今回は前回経験者として、質問にも対応出き、
知識も増え、今回はきっちりスタッフとしての役割を
果たすことができたと思う。
でもそれだけじゃない。
だからこそスタッフという肩書をなくしたら
僕はどういう役割をしていたかが重要。
まだまだ手探り状態ではなかったか。

僕はこの中のひとつ。
みんな色は違うし考え方も違うし目指す方向も違う。
その中で自分ができる役割はなんなんだろう
それを探し続けている。

