30分ほど待ちぼうけ( ´ ▽ ` )ノ



もー永遠に来ないんじゃないかとさえ思えてくる。笑



湿気で髪の毛やばいし、とにかくはよ来い!おっさん!
今日のふゆみさん作コーデ。



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マネキンさん、実は少しデブなので61はボタンが、止まりまへん!
わたしは意外に真面目である。
それゆえにいろんなことを真正面から受け止めて考えようとする。
でもアウトプット能力は至って低い。
全て自分のなかに溜まって行く。
抱えきれなくなって放棄する。


これが自分で思う自分のパターン。



好きな人に振られたり、友達に裏切られたり、バンドが解散したり。
主観的なことで落ち込むこともあるけど、わたしは人のことで落ち込むことが多い。
しかも自分にはどうしようもないこと。

まあ、その理由はさっき書いた通り。
自分でも最近分かってきた。
影響されやすいだけかもね。


東北の地震の直後、被災者でない人のPTSDの発症が目立ったらしい。
わたしはPTSDまでいかなくても、頻繁にそういう状況に陥ってるのかもしれない。



今回は臓器移植について。
さっきテレビでやってたんだよね。

もし自分が脳死状態になったら心臓でも肺でも好きなところを好きなだけ持って行ってくれればいい。

ただ自分のたいせつな人がそういう状況になったなら、話は全く変わってくる。

一度、ある人が亡くなる前の晩に会ったことがある。
昏睡状態ってやつだね。
すごい不思議なのね、あれ。

ただ眠ってるだけに見える、本当に。
でも何て声をかけても、体をゆすっても絶対に起きない。
命はそこにあるのに。
きちんと心臓は動いているのに。

それがもし自分の家族だったら?
まだ動いている心臓を止めて臓器を取り出す。
自分が家族の命にピリオドを打つことになるんじゃないのか?
このままにしておけばいつか目を覚ますんじゃないのか?

きっと誰もがそんな考えを持つと思う。
そんな考えを持ちながら臓器提供をしたご家族の思い。
想像するだけで居た堪れない気分になる。



去年の7月に臓器移植法が改正された。

わたしがたいせつだと思ったポイントはふたつ。

まずひとつ。
「死」に対する観念。
これまでの法では「臓器提供をする場合のみ」、脳死は死亡状態とみなされていたが、新しい法においては「脳死は人の死である」ということが法の根本にある。
これは大きな違いじゃない?

次に、これまで本人の臓器提供の意思と家族の承諾がないと、臓器提供は認められてなかったんやけど、この法改正で本人に臓器提供の意思がない場合は家族にその意思があれば臓器提供が可能になった。

この法改正によって臓器提供の件数はぐっと伸びたらしいが、その件数の分だけ悲しみもある。

もちろん医師の葛藤もあるだろう。

本人、家族、医師、立場によって意見は大きく変わってくる。
軽く聞こえてしまうだろうけど、難しい問題、そう思う。


知ったように書いてるけど法改正については今調べた。
何も知らなかった。
ギリギリ法改正があったということくらいしか知らなかった。


もちろんわたしがあーだこーだ言える問題じゃないことは分かってる。

だってわたしは今日の今日まできちんと知らなかったし、知ろうともしてなかったんだもん。



今日思ったのは、わたしの知らない世界はもちろんいっぱいあって、わたしにはどうしようも出来ない悲しみがこの世界にはたくさんある。

テレビを見て「ああ、かわいそうに。」って安っぽい同情の涙を流した次の日には自分がその立場になっているかもしれない。
誰でも一寸先は闇だ。


もっとわたしは知ろうとしなきゃいけない。
原発のことだってもっと理解しなきゃいけないはず。
正直、今は原発なんてどうだっていい。

でもそれじゃいけない。

日本がどこへ動こうとしてるのか、それによってどんなメリットデメリットが生じるのか、分かってなきゃいけない。

それがゆくゆくは自分とたいせつな人を守れるんじゃないかなって思う。
無知は恐ろしい。
知ろうとしないことはもっと恐ろしい。


テレビを全て信用していいものかも迷うけど、とにかくそこから始めないと。



なんとなく今日はそんなことを考えた。