転院二日目で既に違和感 | 気まぐれ日記

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専業主婦の備忘録。主に日々の晩ごはんの記録と出来事を綴った普通の日記(๑•⌄•๑)

急性期病院から療養型病院へ転院したその日。



朝早くから元の病院へ迎えに行き、ワゴンタクシーに乗せる準備をしている間、『寒いわ』と言いながら車椅子に乗せられてそばで待ってた。



ちゃんと寒いと言葉が出る。


最初の事を考えたら、自分の意思を言葉にできるようになったのは凄い進歩。



ただ半身麻痺で嚥下障害が残ったまま。


飲み込めない。


何回もいろんな看護師に聞いたけど、嚥下は不可能、無理だと言われた。


医師からも嚥下訓練の指示は無いと。


毎回はっきり断言され毎回心が折れた不安


そんなに絶対?




可能性がある人の場合はSCUに入ってる時点で嚥下訓練とかもやってるらしい。




食べれないということは致命的。





そして、転院先の病院でベッドに寝かされ、話しかけるとお金の心配をするような事も喋ってた。ちょっと聞き取りにくいけど何となく分かった。  


まぁまぁ機嫌は良かったかなぁ?




その日はそのまま帰って、次の日の土曜日に面会に行くと、動く左手は体を掻いたり鼻のチューブを触るので、ミトンをされてベッドに縛られてた。



ベッドの配置も入り口だったのが、なぜか窓際の人と交代されていた。理由は不明。




いろいろ聞きたいけど、そもそも看護師が居ない真顔



土曜日やから?

放置?





土曜は昼前に面会できるのだが、うろうろしてる看護師がいない驚き



看護師を探して連れてきて説明を聞いてみたけど、いろいろ聞くとだんだんめんどくさそうに苛立ってきてるように見えた。




土日はレントゲン技師が居ないので、触ってしまった栄養チューブが胃にちゃんとあるか確認できないから手は縛ってると。



ということは栄養も注入出来ないという事?


それ以上の説明は無し。




その時は良く分からんかったけど、後で考えるとじゃあ栄養はどうするんやろう?


と、家に帰ってから悶々としてた。






急性期の病院では父親は痰が人より多いのでだいたい一時間おきくらいに吸引していたという事、あとは指に着けた機械(パルスオキシメーター?)で酸素濃度を数字で見て判断し吸引していたという事を看護師に聞いてたので、その情報を入院した日にそのまま今の病院の看護師にも伝えていた。




それやのに、酸素濃度図る器具も着けてないし、全然見回りにも来ない。


寝てる体勢も前の病院ほど気遣いがなさそう不安




ここ大丈夫なんやろか?驚き



はっきり言って、不信感しかない




そして初日の医者の説明も、ざっくり簡単に言えば、最終的にはどういう風に死なせるかって事を聞きたかったみたい。

後悔の無いようにとか言ってたし。



療養型ってそういう事なんや?


死ぬ事前提みたいな感じの入院という印象を受けた。




確かに高齢やし、回復する見込みはゼロに近いやろうけどさ、何かモヤモヤする。




少しずつでも言葉が回復してるのに、どういう死に方にするか選らばないとあかんなんて。




今は一般病棟にいるから、普通の患者さんと同じ部屋にいる。


それもなんか違和感があったんやけど。



なんか、この病院にいると確実に死に急がされそう。



もう既に転院させたいと言ってる最中。



病院選び失敗やったな真顔





この件で、最近もっぱら記憶が曖昧になってきてる母親とイライラして口喧嘩になってしまい自己嫌悪に陥るし、疲れたネガティブ




療養型病院は候補をたくさん挙げといて、いろんな病院を紹介してもらってから、見学なり家族面談をした方が良い。



と、今さら後悔してる真顔