【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
JCOの篠原さん死亡 臨界事故被ばくで2人目
東海村臨界事故で大量被ばくし、重症となっていた核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所社員、篠原理人さん(40)=茨城県日立市田尻町=が27日午前7時25分、多臓器不全のため入院先の東京都文京区の東大病院で死亡した。
昨年9月30日の事故から約7カ月。同12月21日に35歳で亡くなった大内久さんに続き2人目の犠牲者となった。事故の直接原因となった作業に当たり臨界の瞬間を目撃したのは死亡した2人だけで、発生時を知る証人が失われ、事故の刑事責任を追及する茨城県警の捜査にも影響を与えそうだ。
篠原さんや大内さんら社員3人は昨年9月30日午前10時35分ごろ、JCO東海事業所転換試験棟で、ステンレス製バケツなどを使ってウラン溶液を沈殿槽に移す作業中に臨界を引き起こし、多量の放射線を浴びた。
大内さんと篠原さんは転換試験棟の作業は初めてで、臨界の危険性について十分な教育を受けていなかったことから、事故を捜査している茨城県警は2人を被害者とする方針だ。
3人は千葉市の放射線医学総合研究所(放医研)に搬送され、集中治療を受けた。篠原さんの推定被ばく量は、広島、長崎の原爆爆心地並みとされる大内さんの17シーベルトに次ぐ10シーベルト前後とされた。
篠原さんは当初、意識障害に陥り、リンパ球や白血球の減少が続いた。10月4日、東大医科研病院に転院し、10月9日には造血機能を回復させるため、被ばく医療では初の臍帯血(さいたいけつ)移植を受けた。
放射線による皮膚の熱傷も全身の7割近くに及んだが、培養皮膚の移植手術を受けるなどして一時はリハビリを始めるまで回復。
しかし、今年2月下旬以降、肺炎や胃からの出血が起きるなど容体が悪化。4月10日には、大内さんの治療に当たった東大病院に転院し、集中治療室で全身の管理を受けていた。
事故では、大内さんが急性放射線障害による多臓器不全で死亡、作業していた3人のリーダー格の横川豊さん(55)は昨年12月に放医研を退院している。
(共同通信 2000/04/27)