昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
中性子線2キロ先まで 臨界事故の瞬間に観測
茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故の瞬間の9月30日午前10時36分、現場から約2キロ離れた日本原子力研究所(原研)那珂研究所=茨城県那珂町=で、通常はほとんど検出されない中性子線を一瞬、通常の数倍の強さで観測していたことが5日、わかった。1時間当たり0.数マイクロシーベルトで、この距離では健康に心配はない。事故発生時の中性子発生量はこれまで不明だった。このデータによって、事故の規模や周囲の住民の被ばく線量の推定が可能になる。
原研によると、中性子線はその後、通常の数割増し程度に減り、臨界状態が終息したとみられる10月1日に通常に下がった。
中性子の強さは発生源からの距離が半分になると4倍になるため、ピーク時に例えば10分の1の距離の200メートルでは100倍強い1時間当たり数十マイクロシーベルトになるが、中性子線量が通常の数倍だった時間は短時間だったため、この距離でも一般の人の年間線量限度1ミリシーベルトに比べると少ない。
原研、科学技術庁はデータを詳細に解析し、実際の中性子線の強さを推定したいとしている。
那珂研では、事故時にウランが核分裂して発生した放射性物質から放出されたとみられるガンマ線で、警報が鳴った。担当者が点検しに行った際には、既に通常値に戻っていた。このため、中性子線量の上昇にはしばらく気が付かなかったという。
(朝日新聞 1999/10/06)