【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
国内初の臨界事故 東海村の放射能漏れ
分裂反応なお続く 10キロ圏30万人に外出自粛勧告


茨城県東海村にある民間のウラン燃料加工施設で30日に起きた深刻な放射能漏れ事故は、13時間以上たっても核分裂反応が続いたままで、日本で初めての臨界事故となった。施設周辺で検出される放射線のレベルは夜になっても高いままで、茨城県は現場周辺10キロ以内の住民約31万3000人に被ばくの恐れがあるとして、家から出ないよう呼び掛けた。科学技術庁は、作業員が線量等量にして最大8シーベルトを被ばくした日本の原子力史上最悪の事故を収拾するため、1日未明、核分裂反応を止めるための対策を取ることを明らかにした。


事故は30日午前10時35分、JR常磐線東海駅の北西約2キロにある核燃料加工会社の「ジェー・シー・オー」(東京・港)東海事業所の転換試験棟で、酸化ウランを硝酸で溶かす作業中に発生した。沈殿槽と呼ばれる容器に入れるウラン溶液の量を、臨界を防ぐ規定値の2.4キロを超える16キロ加えたため、核分裂反応が起きて制御できなくなり、分裂が連続して起きる「臨界」に達したとみられる。被ばくした職員は「青い光を見た」と話している。

事故当時、加工作業をしていた製造部製造グループの横川豊さん(54)、篠原理人さん(39)、大内久さん(35)の3人が被ばくし、ヘリコプターで放射線医学総合研究所(千葉市)に運ばれた。横川さんの意識ははっきりしているが、ほかの2人は下痢や嘔吐(おうと)を繰り返すなど重症だ。
施設周辺など21カ所設けた放射線監視装置のうち、南西部の境界に設置した装置で1時間当たり0.84ミリシーベルトの空間線量を記録した。通常の約4000倍にあたり、茨城県は施設敷地外を含む半径200メートルへの立ち入りを禁止。

敷地内の放射線量は午後8時になっても通常時の約2000倍と高い水準を保っている。施設の敷地境界では中性子が検出されており、核分裂反応が続いているとみられる。このため、茨城県は住民に対して家の外に出ないよう避難勧告を出した。また事故施設の半径1キロ以内で販売される食品サンプルを調査することにした。東海村や那珂町は近隣を流れる久慈川からの取水を停止した。午後10時現在、東海村で50世帯、151人が、安全のために公民館などへ避難している。避難した社員らのうち11人の毛髪から放射線が検出され、被ばくしていることがわかった。茨城県は住民が放射線障害にならないよう予防薬のヨウ素剤約340万錠をひたちなか保健所などに用意した。

JR東日本は同日午後10時28分、常磐線の水戸-日立間で上下線とも運転を見合わせている。日本道路公団水戸管理事務所も東海パーキングエリアに職員を派遣して、エリアの利用者に退避するよう呼び掛けた。
ジェー・シー・オーは住友金属鉱山のウラン転換技術部門が79年に分離独立してできた。本社は東京都港区で、99年3月期の売上高は17億2300万円。東海事業所(茨城県東海村)は天然ウランを濃縮した6フッ化ウランを2酸化ウランに転換し、原子力燃料加工会社に納めている。98年10月までに累計で8080トンの2酸化ウランを生産している。


被ばく患者2人が重症

被ばくした患者3人が収容された科学技術庁放射線医学総合研究所(千葉市稲毛区)では、30日午後7時過ぎから佐々木康人所長や担当医が記者会見、患者の容体などを説明した。
佐々木所長らによると、大内さん、篠原さんの2人は重症で無菌室に収容。2人よりやや軽い症状の横川さんは通常の病室に収容し、ウランの解毒剤やステロイドを投与するなど懸命の治療にあたっている。

患者の吐しゃ物と携帯電話からは放射能を持つナトリウム24が検出され、症状からの推定では、大内さん、篠原さんは8シーベルト以上、横川さんは1-2シーベルトを浴びた可能性があるという。
大内さん、篠原さんは医師の問いかけには反応するものの、はっきりした受け答えはできない状態。


臨界事故 制御困難な分裂反応

ウランやプルトニウムなどの核燃料で起きた核分裂反応で中性子が発生、その中性子が衝突して周囲の核燃料も次々と分裂、反応が続く状態を臨界と呼ぶ。核燃料が一定の密度以上に集まると臨界に達する。原子力発電所では制御棒などを使って反応にブレーキをかけているが、人為的に制御できなくなって暴走するのが臨界事故だ。原子力技術の開発初期には、海外の研究用原子炉や濃縮度の高い核燃料を扱う軍事用施設で臨界事故が起き、作業員が被ばくしたことがある。普通の原発(軽水炉)で燃やす低濃縮燃料を加工する民間施設では起こりにくく、80年以降は欧米でも民間事故の報告はない。

(日本経済新聞 1999/10/01)