【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

「放射能防護」機能せず 全ドラム缶から火柱
爆発事故で動燃訂正報告

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が14日、科学技術庁に提出した、東海事業所爆発事故報告書の訂正報告で、最初の火災は激しいもので、発見直後には、アスファルト固化処理施設内に煙が広がっていった様子が明らかになった。アスファルト充填(じゅうてん)室から煙が漏れ出し、放射能の防護システムは、すぐに機能しなくなっていた。意図的な隠ペいではないというが、重要な事実経過だけに、報告の遅れに対して、批判が出そうだ。
訂正報告には、出火から約30分後までの、生々しい状況が追加された。
それによると、出火当時の3月11日午前10時6分から8分にかけて、充填室内のドラム缶1本から約2メートルの火柱が上がっていた。その直後、作業員から見えるすべてのドラム缶から火柱が上がったのが目撃されたという。
さらに、同13分ごろ、隣接の操作区域で、作業員がスプリンクラーの停止作業をしていた際に「煙が室外に出ていることを確認」。同24分ごろには、2階の通路や、隣接するビルとの連絡通路でも煙が確認されていた。
充填室は放射能レベルが高く、操業以来、操作区域から厚い壁越しにロボットアームを操って作業を行っている。このアームを取り付けた部分のすき間から煙が漏れていた。
また、ほぼ同時に気圧差が失われていくことを示す警報が鳴り、同15分ごろに隣接の別の部屋で「気圧差がゼロ」になっていた。
これらの新事実は、室外より気圧を低くし、放射性物質などが漏れるのを防ぐ「負圧システム」が、かなり早い段階で損なわれていたことを示している。
事故直後に動燃は、換気設備が目詰まりなどで故障し、放射性物質が拡散し続けていたと発表。専門家などから、負圧システムは火災時には役に立たないのではないかと指摘されていた。
しかも、放射性物質が外部に漏れているのに気付くのが約5時間も遅れたことや、茨城県へは当初「環境への影響があるとの報告はない」と連絡していたことが問題になっていた。
今回、「煙が室外に出ているのを目撃」と報告が訂正されたことから、現場では早くから、放射性物質が外部に出ている可能性が高いことは分かっていたとみられる。
動燃の中野啓昌理事は、最初の報告にこうした事実が書かれていなかった理由について「情報はあったが、(虚偽報告の聞き取りを行うまで)はっきりしなかった」と説明している。

(中日新聞 1997/04/15)