【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

茨城・東海村 再処理工場 火災“鎮火”後に爆発
動燃施設外に放射能漏れ 室内の10人被ばく 

茨城県東海村の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の再処理工場内のアスファルト固化施設で11日午後8時すぎ、大きな爆発音が聞こえ、施設のドアやシャッター、建物の窓ガラスなどが破損した。午後11時現在、けが人などは確認されていない。同日午前に同施設で火災が起きており、動燃は爆発音とともにあらためて出火した可能性があるとみて、作業員に被害がなかったかどうか確認を急いでいる。また敷地境界に設置したモニタリングポストの値も一時異常を示した。同日午後9時には正常に戻ったという。動燃は事態を重視、午後8時22分に現地に防護活動本部を、同8時40分、本社内に災害対策本部(本部長・近藤俊幸理事長)を発足させた。
同施設では同日午前10時ごろ、低レベル放射性廃液と高温のアスファルトを混合してドラム缶に詰めるターンテーブルで火災が起きたが、14分後に鎮火したとみられていた。科技庁核燃料規制課や動燃によると、爆発音があったのは午後8時14分。その後、鉄筋コンクリート4階建て(一部5階)の固化施設の窓と、固化した廃棄物をトラックで搬出するためのものなど2カ所のシャッターが壊れているのが確認された。施設の2階と4階部分の窓から煙が上がっていた。また、固化施設と渡り廊下でつながっている放射性廃液処理施設の扉2つも破損していた。
事故直後に施設の排気口の放射線モニターの警報が鳴り、同8時50分すぎには、施設に最も近い放射線モニタリングポストの値が20%程度上昇。周辺に放射性物質が漏れたと考えられる。動燃は午前の火災直後に、放射線管理区域への放射能漏れに気付き、施設内で作業員を避難させるとともに、現場にいた59人を調査した結果、10人からごく微量の放射性物質を検出した。さらに、2人について調査を続けている。科学技術庁核燃料規制課によると、全身の汚染状況を調べた結果、判明した限りで最大の被ばく量は約2700ベクレルで、年間摂取限度の2000分の1以下だった。


<アスファルト固化施設> 動力炉・核燃料開発事業団東海事業所内にある使用済み核燃料の再処理工場の付属施設。工場から出る低レベルの放射性廃液を、アスファルトと混合してドラム缶に詰め固化する。1982年に実際の廃液による試験運転を開始、これまでにドラム缶約3万本分を処理している。84年5月には施設内で白煙が上がる事故があった。

(中日新聞 1997/03/12)