【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

もんじゅ事故 動燃に「情報隠し」の体質
専門家、経験不足など指摘

高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故で、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が「情報隠し」を重ねるなど、事故対応のまずさを露呈した。その背景には、設立時から持つ「国家戦略遂行機関」としての体質や、地元対応の経験不足などがあると指摘する専門家が多い。(新庄 直樹)


●国策組織

動燃は1967年、日本独自の新型原子炉の開発を目的に、原子燃料公社を吸収する形で設立された。
それまで日本の原子力研究を担ってきた日本原子力研究所(原研)では60年代前半、待遇改善などをめぐって労使が対立、ストライキが相次いで研究マヒ状態となったことから、「原研では高速増殖炉など、日本の将来に必要な原子炉の開発はとてもできない」とされ、動燃が産官学一体の組織として作られた。
高木仁三郎・原子力資料情報室代表は「動燃は、純粋な研究開発よりも、国家戦略として強力に事業を遂行する組織として作られた。この反動として、安全性や情報公開はないがしろにされてきた」と話す。


●経験不足

動燃がこれまでに建設した原子炉は茨城県大洗町の高速増殖実験炉「常陽」と、敦賀市にある新型転換炉原型炉「ふげん」「もんじゅ」の3基。
両県とも、すでに原研の研究所や日本原子力発電(原電)の原発などがあり、原子力には理解のある土地柄だった。
原子力政策に詳しい川上幸一・神奈川大名誉教授は「地をはうような努力で原発立地を進めてきた電力会社にくらべ、動燃は地元自治体や住民とのつきあい方が訓練されていない」と指摘する。
さらに、現在の原発のほとんどを占める軽水炉では、初期に配管割れなどのトラブルが相次いだ。このため、電力会社はトラブル時の広報や地元対応の経験を積んでいる。一方、動燃は原子炉での大きな事故は経験していなかった。
加えて、「住民の混乱を避けるため、よけいな情報は極力出さない」という原子力事業全般にある風潮、軍事転用の恐れのあるプルトニウムを扱う組織としての秘密保持の必要性などがあいまって、今回のような対応を生む土壌となったとみられる。

(朝日新聞 1995/12/24)