【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

米ワシントン州・ハンフォード核研究施設
冷戦のツケ 放射能漏れ続く 汚染処理には30年

米国の核兵器製造の拠点の1つだったワシントン州のハンフォード核研究施設が、漏れ出した高濃度の放射性廃棄物による環境汚染を引き起こし、改めて注目されている。全米で最悪といわれる汚染土壌などの処理には30年間もかかる見込みで、地元には健康への影響を懸念する声と雇用確保への期待が交錯している。(米ワシントン州リッチランドで、田村雄司)

太平洋岸のシアトルから南西へ300キロ余り。砂漠といった方がいいほど乾き切った荒野の中に、ハンフォード核研究施設がある。太平洋戦争中、核爆弾を開発するマンハッタン計画によって開設され、長崎に投下された原爆のプルトニウムもここで作られた。軍事用原子炉は、1980年代半ばに運転を止め、冷戦のツケともいえる大量の核廃棄物が残された。
広さ1400平方キロの敷地のほぼ中心に23万キロリットルを超える高濃度の放射性廃液や汚染水をためた鋼鉄製の地下タンクが177基ある。そのうち68基に穴があき、土壌を汚染しているのが確認された。
施設から25キロほど離れた所に住むジュリーさん(47)は「20年ほど前、汚染された牛乳で家族の多くが甲状せんの異常に苦しんだ」と不安を隠さない。
その中で政府とエネルギー関連企業による汚染処理事業が89年から始まった。廃液はガラスで、汚染土壌や低濃度の廃棄物はコンクリートで固化する方法だが、全部を処理するには30年の歳月と6兆円近い巨費が必要な見通しだ。
しかも、この汚染処理は第1段階に過ぎず、最終処分先がまだ決まっていないのだ。
全国的な環境団体からの反発に対し、地元リッチランドの住民の大勢は「これであと数十年は仕事が残ることになった」(ヨーク商工会議所会頭)として、雇用確保の立場から処理に時間をかけることはいとわない。住民生活は、核によって支えられてきただけに、町の北側に広がる“核の墓場”がもたらす汚染には目を向けたくないのかもしれない。

(中日新聞 1993/08/05)