【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

原発白血病死を労災認定
東電福島元作業員 基準被曝量超す

福島県の原子力発電所で働いていた元作業員が慢性骨髄性白血病で死亡したのは、作業中に放射線を被曝(ひばく)したためだとして、労働省が労働災害と認める初の判断をしていたことが4日、明らかになった。一方、6日には静岡県で、約8年10カ月にわたって原発労働に従事、やはり慢性骨髄性白血病で死亡した孫請け会社作業員の遺族が、労災申請する。ともに、年間の被曝量は原子炉等規制法の限度以下だったが、労働省が労災認定基準としている集積被曝線量を上回っており、原発労働の安全性をめぐる論議が再び活発化しそうだ。
労働省によると、労災認定されたのは東京電力福島第1原子力発電所で働いていた男性。1979年11月から80年9月にかけて、配管などの定期検査の仕事をしていたが、退職後の82年12月に慢性骨髄性白血病と診断され、88年2月に31歳で死亡した。遺族は同年9月、地元の富岡労働基準監督署に労災を申請した。
同省によると、この男性は1年に満たない約11カ月の作業期間中に4レムの放射線を被曝していた。この量は、原子力発電所の労働環境について原子炉等規制法が定めた被曝限度である「年間50ミリシーベルト(5レム)」には達していなかった。
労働省は76年に、白血病にかかったレントゲン技師など放射線業務従事者の労災認定の基準として「相当量の被曝を受けたこと」など3つの要件を労働基準局長通達として出している。具体的には0.5レム×従事年数が「相当量の被曝」にあたるとして、認定の目安にしている。
この基準を申請のあった福島第1原発の労働者が満たしているかどうかについて、労働省で専門家らからも意見を聞いて検討した結果、申請から約3年後の91年12月26日、富岡労基暑が労災認定した。
一方、新たに磐田労基署に申請を出すのは静岡県小笠郡浜岡町、嶋橋正秀さん(63)、美智子さん(56)夫婦。長男の伸之さんは、中部電力浜岡原子力発電所で原子炉格納容器内に設置された計測機器の交換や定期点検作業などの仕事をしていたが、89年11月に慢性骨髄性白血病と診断され、91年10月に29歳で死亡した。

(朝日新聞 1993/05/05)