【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
ウラルの被ばく50万人 49年から長期間たれ流しや事故で

【モスクワ7日=共同】

「ウラルの核惨事」で知られるロシアの軍事閉鎖都市チェリャビンスク65で、1957年の惨事以外にも、高レベルの放射性廃棄物が川や湖にたれ流され、環境に放出された放射能は総計1億5000万キュリー(1キュリーは370億ベクレル)と、チェルノブイリ原発事故で旧ソ連が公表した数値の3倍にも達し計50万人の住民が被ばくしたことが、ロシア人専門家らの調査で明らかにされた。報告書は旧ソ連保健省生物物理研究所チェリャビンスク特別調査室がまとめたもので、「南ウラルにおける放射線事故」として、近く英科学誌「ネイチャー」に掲載される。
報告によると、チェリャビンスク北西100キロのチェリャビンスク65(通称マヤーク工場)は1948年に建設され、核兵器用のプルトニウムを生産。49年から56年にかけ、近くを流れるテチャ川に高レベルを含む液体の放射性廃棄物をたれ流し続けた。
投棄量は計7600万立方メートルで、放出された放射能は51年の最も多い時で1日当たり10万キュリーにも達し、線量では275万キュリー(ベータ線放出核種)に上った。
テチャ川の水は住民の飲料水、農業用水として使われており、このたれ流しで計12万4000人が被ばく。さらに67年春、放射性廃棄物の投棄場になっていたカラチャイ湖の水が蒸発し、セシウム137、ストロンチウム90などを含んだちりが約2700平方キロにわたって飛び散り、約4万1500人が被ばくした。

(朝日新聞 1992/06/08)