【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
チェルノブイリ被災地 IAEA報告に医師ら強い不満
事故の影響明白と指摘 「調査対象少なく短期間」

「彼らの目的は健康の維持ではないから」「事故の影響はデータではっきりしている」──ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の放射能被害について、国際原子力機関人(IAEA)が5月に発表した報告が「健康への影響は認められなかった」としたことに対し、ウクライナと白ロシア、ロシアの3共和国の医師たちは強い不信感をもっている。朝日新聞厚生文化事業団などが日本赤十字社と取り組んでいる被災者救援募金活動「チェルノブイリに光を」の第3次調査団に同行し、現地で住民の治療にあたっている人々に聞いたところ、IAEA報告への批判が噴出した。(科学部・友清 裕昭)

チェルノブイリ原発を抱え、セシウムだけでなくストロンチウムによる高い放射能汚染地域が、立ち入り禁止地帯の外にも広がっているウクライナ共和国。保健省のウラジーミル・シェスタコフ次官は開口一番、「私たちは非常に不満だ」と強い口調で語った。


共通の言葉がない

「病気には多くの要因がからんでいて、放射線の影響だけを区別するのが難しいことはわかる」としたうえで、IAEA報告は大量被ばくした事故処理作業者を除外していることなどを指摘し、「もう少し時間がたつとはっきりしてくるだろう」と述べた。
さらに、「IAEAは原子力を利用しようとする人たちの集まりだ。本来は保健の仕事をしているわけではない。私たちと彼らとには共通の言葉がない」と、手敵しい。
原発から北東へ120-260キロも離れた一帯に高濃度汚染地域が広がる白ロシア共和国の放射線医学調査研究所病院には、甲状せんがんで手術を受けた子どもたちが入院している。
セルゲイ・コルイトコ院長がファイルから次々と資料を取り出しながら説明してくれた。その1つが同共和国統計局がまとめた、この地方に多い甲状せん腫の年次変化。1970年にはゴメリ州の住民の46%、モギリョフ州では60%に甲状せん腫が認められた。それが次第に減って、85年には両州とも20%強に。しかし、原発事故でこの地域が放射能汚染された翌年の87年には30%台後半に増え、89年にはゴメリ州で54%、モギリョフ州で40%と、70年代の水準に戻ってしまった。
「この地方はヨウ素不足で甲状せん腫が昔から多かった。70年代にヨウ素剤が投与されて減った。最近の増加は明らかに事故の影響だ」と、コルイトコ院長は断言する。


甲状せんがん多発

白ロシア共和国では、事故前にはほとんどなかった子どもの甲状せんがんが昨年は20人。ことしは前半だけで21人に達しているという。
コルイトコ院長はいう。
「甲状せんがんは被ばく後15年ほどたってからといわれていたのに、あまりにも早いので驚いている。西ヨーロッパの専門家は疑っているが、全例を手術後に病理検査して確認しているので間違いない」
同病院のアレクサンドル・アリンチン研究員は、IAEA調査団が白ロシアに来たとき現地を案内した。
「測定器などは私たちのものより立派だった。だが、調査したのは短期間で、一部地域の40人ほど。この点が私たちの調査とまったく違う」
これまではあまり報道されていなかったが、ロシア共和国も白ロシア共和国との境界付近のブリャンスク州に広大な汚染地域を抱えている。同州医療委員会のエフゲー二ア・フロローバ副委員長も、89年と90年の州内の地域別の病気の統計を示して、汚染が強い地域ほど風邪などの呼吸器疾患が多いと説明した。


反論キャラバンも

事故被災者の支援団体「チェルノブイリ同盟」は、IAEA報告への反論キャラバンの準備をしている。9月から40人乗りのバスでモスクワを皮切りに40日間で欧州17カ国を回る予定だ。スポークスマンのアンドレイ・コネチェンコさんはいう。
「IAEA報告では調査の対象外にされた事故処理作業従事者が乗り込む。日本のヒバクシャも参加してくれたらありがたいが、無理でしょうね。せめて日本の企業がスポンサーになってくれないだろうか。車体に名前を入れていいキャンペーンになりますよ」

(朝日新聞 1991/07/06)